ライターになりたい! プロが教える、好きを仕事にするサバイバル術【05 〜ファッション系ライター・野田春香〜前編】

いまや大人がなりたい職業1位となった“ライター。とはいえ、ひと言でライターと言っても、資格はなく、名刺を持った人がその日からなれるこの職業が、どんなお仕事なのか、どうやってなるのか、生活はできるのかなど疑問に思う人も多いはず。少しでもライターという職業に興味を持った人が読み参考にするべく、ライターを生業としている人に志望動機から楽しみ方、苦悩などたっぷりインタビューしていく連載です!

今回は、女性ファッション誌やWEBを中心に活躍するライターの野田春香さんがゲスト。『CLASSY.』(光文社)の名物着回し企画で、「“推しに人生狂わされる系”バンギャ女子」などのあまりに凝ったディテールのストーリーで何度もバズっているのをご存じの方も多いのでは? キラキラと華やかに見えるファッションライターの世界、野田さんはどのようにサバイブしてきたのでしょうか。

野田春香● エディター、ライター。大学時代からフリーでビジネスムック等のライター経験を積み出版社に就職。女性ファッション雑誌の編集部員を経て現在はフリーランスの編集・ライター、脚本家として活動中。『CLASSY.』(光文社)、『MORE』(集英社)、『姉ageha』(medias)、『ESSEonline(扶桑社)』のファッション企画や読み物企画を担当しているほか、映像作品の脚本、台本執筆も行う。Twitter(@harukanoda0329)

吉田可奈●エンタメ系フリーライター。80年生まれ。CDショップのバイヤーを経て、出版社に入社、その後独立しフリーライターに。音楽、映画、声優、舞台、アイドル、タイドラマ、オタク事が得意。InRed、TV Bros.、NYLON、awesome、ダ・ヴィンチ、B=PASSなどで執筆中。著書『シングルマザー、家を買う』『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』が発売中。Twitter(@knysd1980)

連載01吉田可奈編はこちらから

連載02五十嵐大編はこちらから

連載03吉川愛歩編はこちらから

連載04筧真帆編はこちらから

 

おしゃれをして終わりじゃなく、おしゃれをしたその先に興味があったんです

――野田さんのお名前を一躍有名にしたのが、『CLASSY.』(光文社)をはじめとしたファッション誌での着回し企画ですよね。ユニークでリアリティのある設定が目を惹き、Twitter上でバズっているのを何度も目にしました。着回し企画の極意も伺いたいのですが、まずはライターを始めたきっかけを教えてください。

大学生の頃に、大学生向けのフリーペーパーを作っている会社のインターンをしたことがきっかけでした。当時はスタイリスト志望だったのですが、出版に携わるお仕事をすれば、スタイリストさんとの縁ができると思って。でも、いざやり始めたら、編集やライターとして誌面を作ること自体が楽しくなって、スタイリストではなく、雑誌のお仕事をしたいと思うようになったんです。そのタイミングで、当時のSNSの中心だったmixiに、“雑誌の編集を手伝ってくれる人募集”というコミュニティがあり参加したところ、その後、働くことになるインフォレストという出版社に繋がりました。

――『小悪魔ageha』など革新的なファッション誌を数多く輩出した出版社でしたよね。

はい。業務委託でライターとして採用され、大学に在籍しながら始めたんです。それからは、ライターのおもしろさに目覚め、今度は“ライターしかやりたくない!”と思い、そのまま『小悪魔ageha』の編集部員となりました。

――それは『小悪魔ageha』がブレイクしていた頃ですか?

ちょうど有名になり始めていた頃でしたね。私が入社した2年目に発行部数40万部になりました。当時、大手出版社のファッション誌・『MORE』(集英社)や『with』(講談社)が50万部の発行部数だったことを考えると、あんなに読者を選ぶニッチな雑誌がそこまで売れていたことが異例だったんですよ。いま思えば、いい時期に働いていたなと思っています。実は入社当時、同じ会社から出していた『nuts』というギャル雑誌で働きたかったんです。私はギャルだったわけではないのですが、ギャルカルチャーがすごく好きで。でも、残念ながらタイミング的に編集部員を募集していなくて、たまたまフィットしたのが『小悪魔ageha』だったんです。

 

報道スタイルで培った小悪魔agehaでの取材力

 

――20代前半の頃って、希望通りの部署に行けないと少しモチベーションが下がってしまいますよね。実際に入ってみたらいかがでしたか?

想像もつかないことの連続だったので驚きました(笑)。『小悪魔ageha』って、一般的なファッション誌の作り方と根本から違うんですよ。どちらかというと、ノンフィクションの雑誌や、新聞の作りに近いんです。女性ファッション誌って、“今年はこれが流行るよ”とか、“こう着ましょう”という提案をすることが多いのですが、当時の『小悪魔ageha』編集長はそれを絶対に許さなかったんです。というのも、「大人から理想を押し付けられても、私たちは誰かの思う理想通りにはかわいくなれないから、髪をぐるぐるにまいて、濃いメイクをして、派手な服を着ているんだ」っていう基本理念があったんですよね。だからこそ、これから何が流行るかではなく、実際に街で何が流行っているのか、他の雑誌に書かれていない流行りは何なのかということを取材してネタとして持って来なさい、というスタンスだったんです。

――ほとんど報道ですね。

そうなんですよ。基本方針がそのスタイルだったので、とにかく足で情報を掴みに行っていたんです。それが本当に大変だったんですが、一番楽しいことでもあったんですよね。

――その情報はどこに探しに行っていたんですか?

雑誌が抱えている読者モデルの子たちが150人ほどいたので、毎日誰かに電話して、ヒアリングをしていました。当時の携帯はガラケーで、もちろんLINEなんて便利なものなどはなく。暇さえあれば電話をしていましたね。

――そのやり方って、本当に情熱がないと出来ないですよね。

そうかもしれないですね。私も若かったし、その編集部が1社目だったので、これが当たり前だと思っていて(笑)。あとは、編集部の人間関係が本当によかったんです。仲間意識が強くて、一緒に良い雑誌を作ろうという目的があったので、毎日が熱かったです。ただ、そこで4年間走り抜けた後、どこかやりつくした感があって、一度リセットしようと会社を辞めました。

――出版社あるあるですが、月刊誌のサイクルで働いていると常にタスクに追われているから転職活動ってほぼできないんですよね。

そうなんですよ。なので、1度辞めて半年ほど休んだ後、次は『JELLY』(ぶんか社【現・文友舎】)というギャル雑誌に転職をしたんです。当時『JELLY』もすごく売れていたんですが、『小悪魔ageha』とは正反対の、トレンド提案型の雑誌だったんです。提案型は、読者モデルではなく、アパレルのプレスからいかに情報を引っ張るかが勝負なんですよね。なので、あらゆるブランドの展示会へ行って、プレスの方ととにかく話し、メモを取って、そこで得た情報を誌面に反映させていくんです。ただ、そこで私が違和感を感じてしまって。

――どんな違和感ですか?

ここで気づいたのが、私は“何が流行るのか”というよりも、その人がその服を着る意味のほうに興味があるということ。なので、しっかりリサーチを重ねて雑誌で発信すれば次に流行る服が分かるし、トレンドを作ったり発信するやりがいはあるけれど、私自身、そうやって誰かに提案された服が着たいかどうかはわからない。そういう気持ちで携わるのは雑誌にも読者にも不誠実だと思ったので、『JELLY』を離れました。

――間違いなく、『小悪魔ageha』のジャーナリズム精神が刷り込まれていたんですね(笑)。

あはは。そうかもしれないですね。もともと大学生のときにスタイリストになりたいと思ったのは、おしゃれをすれば何かうれしいことがきっとあるから、そのためのお手伝いをしたいと考えていたからで。ただ装うことではなく、おしゃれをしたことで起こる何か、おしゃれをしたその先に興味があったんです。

――それが今の、野田さんの得意分野である着回しの企画に繋がってくるんですね。

そうですね。その後にまた無職になり、どうしようとか思っていたときに、『小悪魔ageha』時代に繋がっていた人たちや、それまでに知り合った編集さんたちに“何もしていないならちょっと手伝ってよ”と声をかけてもらって、見切り発車でフリーランスになったんです。

 

コミュニケーション能力を育ててくれたバーでのアルバイト

 

――その頃は、金銭的に問題はありませんでしたか?

いえ、2年くらいはあまり余裕がなくて、友だちがやっているバーでバイトをし始めたんです。

――いわゆる、兼業ライターだったんですね。

そうですね。このバーでの経験が今も本当に役に立っているんです。バーって、カウンターでお酒を作るだけではなく、お客さんと話すことも仕事のうちなんですよね。話が盛り上がらない人とも、得意じゃないタイプの人とも話さなくちゃいけなくて(笑)。でも、これがのちのライターとしての取材力に直結しました。ライターって、初対面の人や、合わない人とも話して、何かしらネタを持って帰らないといけないですよね。当時は人の好き嫌いがかなりはっきりしていたタイプだったのですが、バーでお仕事をすることで、克服することができたんです。

――たしかに、人間観察としては本当に最適な場所ですね。

最適でしたね。すごくおもしろかったです。“こういう話は好きじゃないんだけどな”ということについても耐性が付きましたし、すごくいい経験になりました。

 

ライターで生きていきたいと思ってから、他の職業を考えたことはなかった

 

――その後のターニングポイントはいつになるのでしょうか。

フリーになり、4年程経ったときに、主要の取引先だった会社が倒産してしまったんです。さらに、主戦場としていたギャルカルチャーが衰退して、UNIQLOやGUなどの低価格のノームコアなファッションが流行り始めたんです。その頃には私もそれなりに大人になっていて、“そろそろギャルの気持ちが分からなくなってきたな”と思っていたんですよね。自分で読む雑誌も、ギャル雑誌からいわゆる赤文字系と呼ばれるスタンダードなファッション誌になっていて、私もこういう雑誌を作りたいと思いはじめて。それで今も仕事をしている『MORE』(集英社)と『CLASSY.』(光文社)のライターに応募したんです。

――ファッション誌って、最後の方のページに募集が載っていることが多いですよね。

そうですね。そこに応募の書類を送ったところ、どちらも採用していただいて。

――どちらも雑誌のカラーやターゲットも違うし、競合にもならないのでちょうどいいですね。

そうですね。どちらも働く女性向けの媒体だったし、私自身が読者の年齢層と近かったので、気持ちがわかるなと思ったんです。

――ちなみに、兼業ライターをしていくうちに、他の仕事を選ぶこともできたと思うのですが、そういう考えに至ることはなかったんですか?

考えたことがなかったですね。ライターで生きていきたいって思ってから、そこに関しては思いがブレることはなかったです。

――そこまでライターがいいと思ったのはどうしてでしょうか。

大学生の頃から、文章を書くことが好きだったんです。当時はブログ文化でしたし、なにかしら毎日書いていました。それが自分の好きなファッションに繋がるのがいいなと思っていたんです。

――『MORE』も『CLASSY.』も王道の売れ線ファッション誌ですが、戸惑いやプレッシャーはありましたか?

それが全くなくて。『小悪魔ageha』でやっていたという経歴に価値を感じてもらえていて、コンスタントにお仕事をいただくことができていました。スタンダードなファッション誌の作り方や考え方が分からない戸惑いは多少ありましたけど、編集担当さんが全部教えてくれましたし、すごくいい環境だったなと思っています。

 

仕事の有無を決めるのは自分で考えた月10本の企画

 

――女性ファッション誌では、ライターの役割が一般的なものとは少し違いますよね。ガッツリ企画段階から入って、編集さんとタッグを組んでページを担当することが多い印象です。いま主に担当されている媒体も同じですか?

基本的にはそうですね。ある媒体では毎月編集担当とライターで企画の打ち合わせがあって、1か月に10本程度の企画を出さないといけないんです。それが採用されればページがもらえるし、されなければ、その月は担当ページがないというスタイルなんですよ。別の媒体では編集部からこういうテーマの企画をやりたいけど内容は決まってないから一緒に考えて欲しい、というやり方。いずれにせよ企画段階から関わっていることは同じです。

――プレゼンで勝たないとページをもらえない状況は、野田さんほどの経歴をお持ちの現在でもそうですか?

そうです。ネタがおもしろくなければ仕事はありません(笑)。

――私はエンタメや音楽が主戦場なのでジャンルは違えど、フリーランスとして痺れる部分は同じですね(笑)。企画はどのようにして集めているのでしょうか。

私が関わっている『CLASSY.』と『MORE』に限った話をすると、働く女性がメインターゲットの媒体なので、実際に働いている女性にコンスタントに会って、情報収集をしています。そう考えると、『小悪魔ageha』のときと同じですね。数珠繋ぎのように、「おしゃれな20〜30代の女性、知らない?」と周りに声をかけて、紹介してもらって、取材をしています。

――それが仕事に繋がらないこともあるわけですよね。

もちろん。でも、後々、必ず活きるんですよ。あとは、とにかく出かけます。なるべく飲みに行き、誘われたら断らない。出かければ必ず何かしら予想だにしない情報が入ってくるし、企画が思いつくこともあるから。これがコロナ禍になってからできなくなり、一番大変なことでした。

――本当に足で稼いでいくタイプなんですね。

私はそうですね。先ほど話した通り、服を着る意味を感じたり考えたりすることが好きだから、進んで人に会ってヒアリングを続けているのですが、トレンドを提案していくタイプのライターさんは、展示会でプレスの方と話したり、ファッションのサイトやSNSなどをとにかく見て、いいなと思ったものを企画にしているので、やり方はライターの人数分あると思います。

――野田さんのようなタイプのライターさんはファッション誌には少ないのではないですか?

編集部によっては、編集部員も読者世代の女性に会って取材して、レポートにして編集部に提出するのがタスクになっているんですよ。なので出版社の社風によりますし、ライターもそれに左右されます。

――なるほど、『CLASSY.』と同じ光文社で発行されている読者密着型の『VERY』のような雑誌ができるのも、同じような理由なんでしょうね。

そうだと思います。提案型ファッションの企画が多い雑誌には私のようなタイプは編集にもライターにも少ないイメージです。ただ、その分アパレルブランドの情報にはすごく強かったりと、編集部によってカラーが全然違うし、それを感じることができるのも、色んな編集部を出入りできるフリーならではの特権、という感じがしています。

――ファッション誌のライターさんって、華やかに見えて本当に大変ですよね。今の話を聞いていると、新聞記者のようで!

そうかもしれないですね(笑)。足でネタを稼ぐので体力勝負、スピード勝負です。

――自身の得意分野はどこにあると思いますか?

「モテるためのファッション」や、「素敵な先輩に見えるためのファッション」など、おしゃれをした結果どうなるか、がタイトルに入ってくるぐらい具体的なテーマのある企画はやっていて楽しいですね。逆に、「今年はピンクが流行るから、ピンクはこう着よう」とおしゃれの理屈を読者に説明するような企画は、私にとってはすごく難しい。そこに生活や感情が見えてこない文章を書くことが苦手です。それに、「会社に行くのは憂鬱だけど、この服を着たいから行ってもいいかな」という気持ちってみんなに絶対あると思うから、おしゃれすることでちょっと幸せになれるということを伝えたいと思っていて。それができる今の仕事は、とてもやりがいがあります。

0
Spread the love