ライターになりたい! プロが教える、好きを仕事にするサバイバル術【02 〜五十嵐大〜後編】

いまや大人がなりたい職業1位となった“ライター”。とはいえ、ひと言でライターと言っても、資格はなく、名刺を持った人がその日からなれるこの職業が、どんなお仕事なのか、どうやってなるのか、生活はできるのかなど疑問に思う人も多いはず。少しでもライターという職業に興味を持った人が読み参考にするべく、ライターを生業としている人に志望動機から楽しみ方、苦悩などたっぷりインタビューしていく連載です!

今回のゲストは、ライターとしてはもちろん、エッセイストとしても活躍する五十嵐大さん。この夏には夢だった小説家デビューを目前に控えた五十嵐さんに、これまでの軌跡や、様々なジャンルで活躍する秘訣を教えてもらいました。

聞き手、文/吉田可奈

五十嵐大●文筆家。著書『しくじり家族』(CCCメディアハウス)、『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)が発売中。Twitter(@daigarashi)

吉田可奈●エンタメ系フリーライター。80年生まれ。CDショップのバイヤーを経て、出版社に入社、その後独立しフリーライターに。音楽、映画、声優、舞台、アイドル、タイドラマ、オタク事が得意。InRed、TV Bros.、NYLON、awesome、ダ・ヴィンチ、B=PASSなどで執筆中。著書『シングルマザー、家を買う』『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』が発売中。Twitter(@knysd1980)

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とにかく本を出したくて仕方がなかった

――2015年に五十嵐さんと知り合ったときに、私が一冊目の著書である『シングルマザー、家を買う』を発売したんです。そのときに、「僕も本を出したいんです!」って言っていたのを覚えています。

ずっと言っていましたね。「どうしたら出せますか?」って聞いたら、吉田さんは原稿をほとんど書いた状態で持ち込んだと聞いて驚いて。

――そうなんですよ。じつは他の出版社で企画が進んでいたんですが、3年程寝かせられてしまっていて。それで私がしびれを切らして、前の出版社から引き取って、扶桑社に持ち込んだんです。そしたら、すぐに連載が決まって、まとまる形で本になったんです。

それを聞いて、そういうやり方があるんだと思いつつ、でも僕はその時点で何かを書いているわけではなかったんです。そんな時に、僕と吉田さんの共通の知り合いである“うどんライター”として活躍していた井上こんさんが本を出して。めでたいと思いつつも、やはり悔しかった(笑)!

――あはは。ものすごく悔しがっていましたよね。でも、こんさんは自分のジャンルに特化していたから、本を出すのは時間の問題でしたよね。

そうなんですよね。でもすごく焦っていて。ただ、僕はそのときに、本を出したいとは言うものの、何を出したいかわかっていなかったんです。最終的に小説を出したいという気持ちはあるけど、自分の中で何を書いていいかわからなくて。本を出すというのは手段なのに、目的になっていたんです。吉田さんも井上さんも、“伝えたいこと”があって書いていて、それが出版に結びついた。でも、当時の僕にはそれがなかったんです。“それは上手くいくはずがないわ”って思いました(笑)。

脚本の勉強をすることで定まった自分の道

――その後、脚本の学校であるシナリオセンターにも行かれていましたよね?

脚本家になりたいという強い思いがあったというよりは、物語の作り方を学ぶことは小説を書くうえでも役立つと思ったんです。ただ、通っているうちに、ちょっと違うかもしれない…と感じるようになって。講師に言われたんですが、日本のドラマってハッピーエンドが基本らしいんです。でも僕はハッピーエンドがあまり書けないんですよ。もっと人間のグロテスクな部分に焦点を当てたバッドエンドの作品を書きたくて。

――そうそう、五十嵐さんってふんわりしていて優しいのに、作風が正反対なんですよね。

はい(笑)。僕が書きたいものはしっかりとあるので、そこはブレちゃいけないと思っていたんです。でも、講師に、ドラマは幅広い人が見るから、なるべく大勢が心地よくなるハッピーエンドにしないとねって言われて、ここじゃないなって思ったんです。

――でもそこで勉強したことは身になっていますか?

役には立っています。シナリオって、地の文で心情描写ができないんですよ。小説はできるんですけどね。

――たしかに映像で見せないといけないですからね。

はい。“悲しい”という心情を表したかったら、その主人公の動作やしぐさで表現しなくちゃいけないんです。そういった見た目の描写で心情を表す方法は、小説でも大事なことだなと思いました。さらにセリフの掛け合いのおもしろさもあります。日常会話って、必要最低限のやりとりだけじゃないですよね。いったりきたりするセリフの中に、意味が含まれている。それが分かったのはすごく良かったですね。

マイノリティとして生きる人の気持ちを、僕が伝えなくちゃいけないと思ったんです

――実際にそこで脚本家デビューしていった同期の人たちもいましたよね。

いました。いまはバリバリ脚本家として活躍している方もいるんです。でも、そのときにはちゃんと目標が定まっていたので悔しいとは思わなかったんですよ。

――その目標というのはどんなことだったのでしょうか。

ライターとして活動を始めた頃は、ジャンル関係なく、どんなことでも書いていたんです。でも、僕自身がコーダ(きこえない・きこえにくい親を持つ、きこえる子どものこと)ということもありますし、だんだんと社会的マイノリティに注目が集まるようになり、それと比例して福祉関係のライティングが増えていったんです。そのときに、これまで書いていた原稿の仕上がりとは全く違うものになったんですよね。取材中も、ものすごく心が動かされて、泣いてしまうこともあったんです。そこで、初めて“これを僕が伝えるべきだ”って思ったんです。僕が書くべきことは、マイノリティについてなんだって気づいたんです。それが書くべきことであり、目標にもなりました。

――やっと、出会えたんですね。

はい。他のジャンルを書いているときは、もっと詳しい人や、上手い人がいたんです。もちろん、福祉やマイノリティに関しても、もっと詳しい人はいますが、自分も負けてない気持ちがあるんですよね。それに、僕はマイノリティの当事者であり、体験があるからこそ、書けるものがあると思ったんです。

――俯瞰もできるし、リアルな声も届けられると。

そうですね。読んでくれた人たちの反響もすごく多かったですし、初めて“書いてくれてありがとう”って言ってもらえたんです。これまで、僕が書いた原稿に対してお礼を言われる経験がなかったので、こんなことがあるんだって感動しました。それから、徐々にシフトしていき、いろんなメディアで耳のきこえない両親のことや、難病の子供を育てているお母さんに取材をしたり、聴覚以外の障害を持っている人たちの話も聞きたいんですと売り込むようになったんです。自分が当事者だからこそ、ちゃんと書ける自信もあったんですよね。

――たしかに、当事者としてライティングしている人はあまり見ないですよね。

あまりいないですよね。それに、その頃からライターが本を出すようになっていたので、自分の事を書く仕事も増えていったんです。それまでは、自分の感覚や、主観を入れたら「お前の話は聞いていない」と言われる時代だったので…。

――わかります! 前回、この連載でもそのことが話題にあがりました(笑)。

当時は、限られた行数なら取材対象者のコメントを入れるのが当たり前だから、あくまでもライターって裏方だったんですよね。でもWEBメディアが溢れてくるようになると、ライターさんが体験エッセイなどを書いてバズることもあり、明らかに時代が変わったんだなって思ったんです。そこで、自分の親の話を書いてみようと思ったんです。それがハフポストの記事だったんですが、思いのほか、ものすごくバズって。そこで、その記事を読んだ編集者さんから「家族の話をエッセイとして書いてみないか」という話をいただいたんです。それが1冊目の『しくじり家族』でした。同じタイミングで、母の話をがっつり書くという話も、別の編集者さんからお話を頂いて、2作並行して書くことになりました。

――ついに夢が叶ったんですね。

はい。さらにエッセイを読んでくれた他の編集者さんからまた声をかけていただいて、現在、複数の単行本の話が進んでいるんです。

――すごい! 2015年の五十嵐さんに聞かせてあげたいですね。

本当に(笑)。いまは書くことが明確となり、道が開けました。この社会でいないものとされている人っていっぱいいるんですよね。そういう人のことをフィクションでも、ノンフィクションでも書いていきたい。小説でもそういうテーマを描いていますし、自分の環境も、祖父がヤクザ、祖母が宗教家、両親が聴覚障害者、そして僕がコーダという、かなりマイノリティなもので、そこを伝えたいという軸がハッキリしてから、ブレることがなくなりました。

<五十嵐さんのライターお仕事道具一式を拝見!>

 

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