いまや大人がなりたい職業1位となった“ライター”。とはいえ、ひと言でライターと言っても、資格はなく、名刺を持った人がその日からなれるこの職業が、どんなお仕事なのか、どうやってなるのか、生活はできるのかなど疑問に思う人も多いはず。少しでもライターという職業に興味を持った人が読み参考にするべく、ライターを生業としている人に志望動機から楽しみ方、苦悩などたっぷりインタビューしていく連載です!
今回のゲストは、ライターとしてはもちろん、エッセイストとしても活躍する五十嵐大さん。この夏には夢だった小説家デビューを目前に控えた五十嵐さんに、これまでの軌跡や、様々なジャンルで活躍する秘訣を教えてもらいました。
聞き手、文/吉田可奈
五十嵐大●文筆家。著書『しくじり家族』(CCCメディアハウス)、『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)が発売中。Twitter(@daigarashi)
吉田可奈●エンタメ系フリーライター。80年生まれ。CDショップのバイヤーを経て、出版社に入社、その後独立しフリーライターに。音楽、映画、声優、舞台、アイドル、タイドラマ、オタク事が得意。InRed、TV Bros.、NYLON、awesome、ダ・ヴィンチ、B=PASSなどで執筆中。著書『シングルマザー、家を買う』『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』が発売中。Twitter(@knysd1980)
連載01吉田可奈編はこちらから
――五十嵐さんのライターとしてのキャリアは、いつから始まったのでしょうか。
20代半ばの頃に、吉祥寺にある印刷会社にアルバイトで入ったのが最初です。その前はインテリアショップで販売員をしていたんですよ。
――その頃からライターになりたかったんですか?
まだその頃は明確にライターになりたいというわけではなく、いつか作家になりたいなと思うくらいの感覚でした。そんなことをふんわりと思いながらインテリアショップのアルバイトを3~4年程続けていたら、社員にならないかと誘っていただいたんですよね。でも、このままズルズルしていては作家になるという夢は叶わないと思い、思い切って文章を書く世界に飛び込んでみたんです。
――昔から文章を書くことが好きだったんですか?
いえ、国語が致命的に苦手でした(笑)。よく、この仕事をしていると、学生の頃に読書感想文で賞を獲った経験があるという話もよく聞くんですが、僕は1回も賞をもらったこともないし、履歴書の志望動機すらまともに書けないレベルだったんです。
――あはは。ギターを弾けないのにギタリストになりたいって言っているようなものですよね。
まさに(笑)。でも、漠然と、物を作ったり、何かを表現する人になりたいという気持ちだけは大きかったんです。とはいえ、お芝居もダメ、ダンスもダメ、歌もダメ。絵も描けないとなったときに、文章を書くことならできると思ったんです。……こんな経験談で大丈夫ですか(笑)?
――おもしろいので大丈夫です(笑)。そこからいま、小説家デビューを控えているんですから!
不思議ですね(笑)。当時、一度小説を書いてはみたのですが、ぜんぜんダメで。そのときにライターという職業を見つけて、これならお金をもらいながら文章の修行ができると思ったんです。もちろん、後にそんなに甘い世界ではなかったことを痛感するんですが……。ただとにかくそのときは、まずはライターになろうと決めて。でも、ライターのなり方がわからなくて、Google検索をかけたら、誰かのブログに“バイトでもいいからこの業界に潜り込みなさい”って書いてあったんですよね。そこでライター募集、編集募集などを調べていくうちに、印刷所での雑用係のバイトを見つけ、入ることになったんです。
――たしかに、バイトでもいいからこの世界に潜り込めというアドバイスはすごく説得力がありますよね。
そうなんですよね。その印刷所では、地域情報誌を作っていたんですよ。その会社は従業員が多いわけではなかったので、営業、カメラ撮影、編集ライティングなどすべてを手掛けることになったんです。しかも、出来上がった情報誌を自分達で流通させなくちゃいけないので、本屋さんにお願いして置いてもらうだけでなく、その搬入もすべてやっていました。
――小さな出版社と同じですね。
本当にその通りで、今では珍しくない、個人の出版社のようでした。さらに、お店取材をするためにアポを入れたり、広告をもらうために営業したりと、とにかく何でもしていました。
――その経験はかなりその後の仕事に役だったのではないでしょうか。
そうですね。なによりも、そこでの仕事が本当におもしろくて! でも、文章を書くことについては初心者だったので、200文字くらいの原稿を書くのに半日、いや、1日くらいかかっていたときもあったんです。当時は、200文字でどうしたらこのお店の良さが伝わるかって一生懸命考えていたんですよね。
――でもそれは、ライターとしてあるべき姿ですよね。
そう思います。そこでは編集経験のある先輩にいろいろ教えてもらいました。“これでは伝わらないのでは”と赤を入れられてヘコんだり、でも褒めてもらってはうれしくなったりして。厳しくはあったんですが、すごく楽しかったです。
――その会社をなぜ辞めることになったのでしょうか。
2011年に東日本大震災が起きて、実家がある宮城県に帰ったんです。そこで本当にいろんなことを考えて、いざ東京に戻って来たときに、大きな虚無感に襲われました。僕の両親は耳がきこえないのですが、震災で苦しんでいる姿を目の当たりにしながらも、自分だけ東京に戻ってきてしまった。“本当にこれでいいのかな”って。いま書いているお店紹介も、この地域の人たちには大事な情報だけど、一方で僕にはほかにやるべきことがあるはずだって思ったんです。
――ターニングポイントになったんですね。
はい。それから、もっといろんなことを伝える仕事がしたいと思い、幅広い情報を扱う編集プロダクションに転職をしました。そこでは前職よりもさらに厳しく仕事を叩きこまれました。単純に仕事量が多いだけでなく、グルメのほかに、地域情報やビジネス、トレンド情報なども扱っていたんですよね。風俗店で働く売れっ子風俗嬢のバッグの中身を聞くという連載や、タレントさんにアンケートを取り、オススメの本や音楽について語ってもらう連載なんかも手掛けていました。本当に幅広い仕事を経験したことで、視野が広がったように思います。
――そこでインタビューの術を学んだんですか?
はい。ほぼ初めてのインタビューの時に、風俗嬢の方がハムスターを飼っていると教えてくれたんです。でも、僕は話の広げ方を知らないから、「そうなんですね」で終わってしまって(笑)。帰り道に、先輩から、「なんでハムスターのことを掘り下げないの⁉」ってめちゃくちゃ怒られたのを覚えています。いまだったら、ハムスターだけで30分くらい掘り下げられるのに!(笑)
――最初はどうしても一問一答になってしまいがちですよね。
そうなんですよ。質問票をチェックしながら聞くから、淡々としたインタビューになっちゃうんですよね。原稿もひどくて、300文字くらいなのに、先輩から20回位戻されて、何が正解なのかわからなくなったのを覚えています(笑)。
――私も、400文字のライブレポートを書いたときに、メンバーの名前と、“ドラマティック”だけしか残らず、あとは全部赤で直されていたことがあるので、その辛さがめっちゃわかります…!
あはは! みんなそれぞれ経験がありますよね(笑)。その後、宇宙に関するムック本を作る機会があったときに、宇宙ゴミについてやわらかい文体で書いたものを絶賛してもらったんです。そこで「これはすごく読みやすい」「こういう文体が向いているんじゃない?」って言われたときに、やっと自分が得意な書き方が分かった気がして、バッと視界が開けました。逆に、ビジネスに重きを置いたカタカナの専門用語が並ぶような原稿は今でもすごく苦手で。その得意不得意を自分で理解するのはすごく大事なことだと思います。
――その編プロには長く勤めたんですか?
1年半くらいです。その当時、WEB媒体の勢いが出てきた頃で、ちゃんとWEBの特性を学びたいと思い、WEBの制作会社に転職をしたんです。そこでは、外部のライターさんに原稿を納品してもらい、アップする、出版社で言えば編集業をしていたんです。でも、やっぱり自分で書きたいって想いがどんどん強くなっていったんですよね。
――自分が書く人だと、他の人の原稿に手を入れたくなる気持ちが出てきますよね。
そうなんです。でも、ライターとしての経験上、自分の文章に大幅に手を加えられることにストレスを感じるのはわかるから、最大限にライターさんの原稿を尊重するようにしていたんです。でもそしたら今度は自分のストレスが溜まってしまって(笑)。
――すごくいい編集さんですね。
僕がそれをやられてすごくイヤだったから、同じことをしたくないって思ったんです。もちろん直さなくちゃいけないところはコメントを入れて戻して、書き直してもらうようにしていました。その頃から個人でライターの仕事を受けるようになり、フリーランスの道を模索し始めたんです。その会社が副業OKだったことが、いいきっかけとなりました。
――フリーランスになったのは何年頃ですか?
2015年です。そこで、編プロ時代の知り合いに「ライターとしてやっていきたい」と話して紹介してもらえたのが、今でも書いている『ダ・ヴィンチWeb』などの媒体だったんです。
――そのあたりで私と五十嵐さんは知り合ったんですよね。
そうそう! 同じ媒体で書いていて、その編集部の交流会で知り合ったんですよね。そこで意気投合して、いろいろ相談し合う仲になったんです。当時から吉田さんはいろんなところで書いていたので、「仕事の広げ方がわからない」と相談したら、「そんなの簡単だよ、書きたい編集部に電話したらいいんだよ」って言われて(笑)。
――あはは。そうでした、そうでした(笑)。
目から鱗でしたね。でも“確かにそうだよな”って思って、書店で雑誌を見て、発売日から校了日を逆算して、なんとなく落ち着いたときを狙って電話をしてアポをとって、営業をしにいったんです。そこから徐々に広がっていきました。
――「今すぐ電話しな!」って言ったのは覚えています(笑)。
本当にすぐ電話しました(笑)。しかも、「メールだとスルーされるから、電話でアポを取ったほうがいい」って言われてその通りだったんですよ。ライター同士って、あまり接点もないし、言ってしまえば仕事の取り合いになるケースが多いからあまり仲良くなれないのかなって思っていたんです。でも、吉田さんは音楽やアイドルに特化していたので、僕が書いているジャンルとほぼ被らなかったのもよかったんですよね。そのタイミングで、吉田さんのスケジュールが合わなかったインタビューの仕事を振ってもらって、講談社の『Hot Dog Press』のインタビュー仕事を始めたんです。
――その後、五十嵐さんはその媒体にフィットしたようで、かなり書いていましたよね。
ありがたいですね。そこで多くのタレントさん取材を経験させてもらって、インタビューに慣れたように思います。
――五十嵐さんのいいところって、”困っているんです”“これがしたいんです”ってちゃんと周りに言えるところだと思うんですよ。そうすると、じゃあ紹介するよってなるじゃないですか。でも、プライドなのか、それを言わない人って多いですよね。
だから僕、ライターの集まりってあまり得意ではないんです。経験上、弱みを見せるとマウントを取られることも多くて。こちらの話をあまり聞かずに、頭から“だからお前はダメなんだよ”とかってダメ出しされることもしょっちゅうありました。心を守るために、威圧してくるような人とは距離を置くようにしているんですけどね。
――フリーランスは自分の仕事にとって大事にするべき人と、そうではない人の見わけがすごく大事ですからね。
本当にそう思います。それに、フリーライターって年齢を重ねると仕事が少なくなるって言われていて。編集さんはどんどん若くなるけど、こちらは気づかないところでどんどん威圧的になってしまうから、若い編集さんはより発注しづらくなる。だから、無意識のうちにそういうオーラを出さないようにすごく気をつけてます。
――それは私も肝に銘じています(笑)。
先輩ライターを見て感じていたので、僕は絶対に威圧的にならないって決めたんです。今も新卒の編集さんからお仕事をもらうことも多いですし、なるべくフランクに話しかけやすいライターでいようと心掛けています。
――本当に大事ですよね。自分で気づいているだけでも、だいぶ違いますよね。
そうだといいんですけどね。そこでのコミュニケーション能力は、すごく必要だなと思っています。
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