ライターになりたい! プロが教える、好きを仕事にするサバイバル術【01 〜吉田可奈〜前編】

いまや大人がなりたい職業1位となった“ライター”。とはいえ、ひとくちにライターと言っても、資格はなく、名刺を持った人がその日からなれるこの職業が、どんな仕事なのか、どうやってなるのか、生活はできるのかなど疑問に思う人も多いはず。ライターという職業に興味を持った人に参考にしてもらえるよう、ライターを生業としている人に志望動機から、楽しみ方、苦悩などたっぷりインタビューしていく連載を始めます!

まず初回は、当連載のインタビュアー&執筆を務めるエンタメ系ライター歴20年である筆者こと・吉田可奈が、 “ライター”について思うこと、ぶっちゃけたいと思います!

文/吉田可奈  聞き手/編集部(加)

吉田さんがTV Bros.にて手がけた記事はこちら

若いライターがいないって言われがちなのはなぜ?

ーー吉田さんはなぜこの企画を始めようと思ったんですか?

私はいま、アラフォーと言われる年齢で、この仕事を始めて20年程になります。フリーランスで、この年数同じ仕事を続けていると、どんどん“できて当たり前”なことが増えますし、それを加味して仕事をいただくことも多いんです。それと同時に、褒められることも少なくなるんですよね。

――たしかに。

あるとき、中学2年生の娘に向かって「ママはもっと、仕事で褒められたい」と呟いたら、キッとした目で私を見つめながら「ママ、もうそんなことを言っている年齢じゃないでしょ。むしろ、褒める側にならなくちゃダメでしょ?」と言われたんです。その言葉があまりにも的確で、胸にグサッと刺さり、「そりゃそうだ」って思ったんです。

――まさに核心を突くセリフですね(笑)。

そうなんですよ…。でも、いざ褒める側にならなくちゃと思っても、下の世代とあまり関わりがないことに気付いたんです。私がライターを始めた最初の5〜6年は、上の世代には活躍しているライターさんがたくさんいて、紙媒体には入る隙も無ければ、WEB媒体も出来たばかりで不安定。どうしていいかわからないところがありましたが、当時ライターとしてバリバリやっている同世代と、「とにかく打破して乗り越えよう」と話していたんですよね。
そんな若い人たちに教えてくれる年上の先輩もたくさんいて。そうやって育っていったアラフォー世代のライターが、いま、たくさんの本を作ったり、様々な媒体で活躍をしているんです。でも、いざ振り返ったときに、ここ数年、私たちの後輩となる「20代、30代前半のライターさんがいない」って、言われるようになって…。

――たしかに、いろんな媒体がいつもライターさんを探しているイメージがありますよね。

それって、教える側の編集さんや、ライターさんが不在であることが大きく影響しているのかなと思っていて。この世界は上下関係がいい意味でないから、自分で這い上がっていくしかないのですが、それでも、優しく、時に厳しく教えてもらえたり、習っていくことで技術を習得していたと思うんです。でも、いまは、10年前に比べて、とにかく少ない人材で現場を回しているので、編集部は即戦力を求めることが多いので、ライターさんもある程度実力がないと仕事をもらえない。=若手が育たない。=若手がいないという状況になってしまっているのかな、と。

――いきなり大きな仕事を、お付き合いのない方や、経験がない方に任せるのは編集部にとってもリスキーですからね。

それなら、若手のライターさんが少しでも道を開いていけるような仕事の受け方や、勉強の仕方などを、インタビュー集という形で連載していけたら、良い未来に繋がるんじゃないかなって。

――SNSをされているライターさんも多いですが、実際にどんなライターさんなのかは一緒にお仕事をしてみないとわからないところがありますよね。

そうなんですよね。SNS上で若いライターさんがたくさんいるのは知っているけれど、“仕事がない”はもちろん、仕事でのネガティブなつぶやきを見ることも多い気がするんです。それが取引先相手や編集さん相手のものだったりすると、やはり仕事を頼みづらくなる傾向があると思うんですよ。もちろん何をつぶやいたって自由なんですけど、そのリスキーささえも、教えてもらえていない気がしていて…。

――そのニュアンスはとても大事なところですよね。

そう思います。あと、私は若い頃に、ある編集さんに“仕事がないと公言しているライターに仕事は振れない”と言われたことがあったんです。最初はびっくりしたんですけど、たしかに、関わりがない人から見ると“実力がないのかな”って勘違いされてしまうから、という意味でその編集さんは教えてくれたんですよね。実際“暇だと思われたら損”なことはけっこう多いんです。そういうことも、なかなか教わらないから、自分でその空気を掴まなくちゃいけないのは難しいですよね。

――いまは、顔と名前を出してキャラを確立されているライターさんも多いです。これも、ひとつの形ですよね。

もちろん、自分をキャラクターとして全面に出して、SNSでも大勢のフォロワーさんを抱えているWEBライターさんは、その道で大正解だと思うんです。それこそ、最初から顔出し、名前出しでやっていって成功していれば、その人にPRしてもらいたいという企業からのマッチングにも繋がってきますしね。でも、それは本当にタレント性があるライターさんができること。一時期そういったライターさんが本当にたくさんいたけど、いまは選ばれた人だけが残っている感覚ですよね。
あとは、WEBライターという仕事としての成功例があるのとは別に、1文字0.5円などのギャランティで書いている方も多くいます。時給に換算したら本当に少なすぎるし、才能があったとしても、そこで疲弊してしまって辞めてしまったらもったいないと思うんです。バイトや副業として空き時間にやるならまだしも、本業にしたいのなら、搾取されないで、ちゃんとお金をもらえるところで修行を積んで欲しい。だからこそ、生活できるライターになるために、いま、ライター1本で生活をしている他のライターさんが、どうやって仕事を掴んでいったのか、どうやって暮らしているのかというのを聞いてみたいですよね。

――それにしても、大人がなりたい仕事1位がライターってすごいですよね。1位がライターで、2位が公務員、3位が医師って、私自身もフリーライターとして生活していた経験があるからこそ言えますが、想像したことがない世界…!(株式会社PLAN-Bが運営する、メディア「エラベル」が全国の男⼥1231⼈を対象に「大人のなりたい職業」に関する アンケート調査より)

ライターはもちろん大変なところもあるし、向き不向きがもちろんあるけど、実際に周りでやっている人が“辞めたい”と言っていることは聞いたことがないから、この仕事の魅力を聞いてみたいです。たまに飛ぶ(※連絡が取れなくなる)ライターがいると聞くけど、よっぽどの理由がない限りは論外。尊敬できるライターさんに話を聞く連載にしたいと思っています。

――そうですね。ここでは、ライター1本で暮らしている人に聞いていきましょう。

もし需要があればですが、ライターとして働いている人からのお悩みや質問なども伺ったりして、有益な情報はお互いシェアできたらいいなって思います。

いま、大きな武器になっているのはレコードショップで身につけた“空気感”

――ライターの仕事に関して、ものすごく大事で基本的なことは、ライターとして大活躍されている佐藤友美さんの著書本『書く仕事がしたい』と、WEBライター・ヨッピーさんのnote「祝!「なりたい職業1位!」ライターの仕事について解説するよ」(https://note.com/yoppymodel/n/nd43f85701399)を読んでもらえたらよくわかると思うんです。このおふたりだけでもまったくタイプが異なりますが、ライターさんって、本当にいろんな人がいる分、いろんな特技、住み分けがあるんですよね。

なかでも吉田さんの特技はインタビューですよね。編集側として、“このジャンルを得意なライターさんが思いつかない”ってときに、吉田さんなら何とかしてくれるって思うからお願いすることがよくあるんですよ。

ありがたいです。ミーハーでよかった(笑)。

――とくに吉田さんはエンタメについての知識が豊富ですが、どこで身につけたんですか?

私の場合は、高校、短大と、かなり長い間レコードショップでアルバイトをしていました。そこでJ-POPを担当していたんですが、小さなお店だったので、洋楽、クラシック、ジャズ、映画、ドラマなどの棚も一緒に見ていて。インディーズにも強いお店だったので、当時のメロコアやレゲエ、ヒップホップなどもなんとなく網羅していたんです。そこで、レジに立っていたり、品出しをしていると、この音楽を聴く人が、次に聴くものや、なんとなくその人の空気感で趣味がわかるようになってくるんですよ。

――それは教えてもらえるもの? 自分で学んでいったんですか?

私のいたレコードショップは、月1回の会議があって、そこでアーティストの歴史を教えてくれるようなところだったんです。社長や上の人たちが完全に音楽オタク。いまは潰れてしまったんですが、みんな音楽が好きすぎて、レーベルを立ち上げたり、マネージャーになったりと、結局は音楽業界で働いているので、一緒に仕事をすることも多いんです。

――その頃はライターになりたいと思っていました?

いえ、日本一のレコード屋になりたいと思っていました。冗談抜きで(笑)。どうしたらお店が盛り上がるか、どうしたら推しのバンドが売れるかとか、毎日考えてレイアウトしたり、コメントを書いたりしていて。
当時、レコード会社が主催で、全国のCDショップ店員によるコメントコンテストなどを開いていたんですよ。そこでみんなが熱いコメントとレイアウトを提出して、優勝したお店には、テレビなどの商品展開に役立つ賞品が届くんです。私はそのコメントコンテストで、何度も優勝させていただくうちに、「あれ、私ってコメントがうまいんじゃない?」って勘違いして、「ライターになれるんじゃない?」って思ったのが始まりで(笑)。

――音楽雑誌に投稿などもしていたんですか?

していましたね。でも採用されることはなかったです(笑)。その後、憧れの音楽雑誌に、履歴書を送ったこともありましたが、まぁ、落ちますよね。そんななか、自分でフリーペーパーやHPを作ったりしていました。その後、いろんな出版社の試験を乱れ打ちしていくうちに受かったのが、いまも原稿を書かせてもらっている『B-PASS』を発行する会社、シンコーミュージックだったんです。でも、所属したのが広告部で、編集も、執筆もできない。夢だけに頭でっかちになっていた若い私には耐えられなくて、1年で辞めました(笑)。

――もったいない!

私もそう思います(笑)。

365日、出会う人全員に「ライターになりたい」と言って掴んだ縁

希望部署ではないところで働いていたその1年は、出会う人や、営業先のレコード会社の人にも「私、音楽ライターになりたいんです」って言いまくっていて(笑)。365日、ライターになりたいって言っていました。ときには、「ライターなんて一部しか成功できないし、まだ若いんだからほかのことやれば?」って、笑いながら言われたこともあって。まだ若くて血気盛んだし、青いから、当時の手帳に“人の夢を笑うな!”って泣きながら書きなぐったりしていて(笑)。

――若いっていいですよね…。

本当にそう思います…。前しか見えてなかった(笑)。でも、めげずにライターになりたいって言いまくっていたら、友達の紹介で、講談社の『TOKYO☆1週間』という情報誌に1年間限定のアルバイトとして入れてもらったんです。これも、言い続けていたからこそもらえた縁だと思います。
アルバイトって本当に雑用だから、いい意味で全部の作業工程が見られるんですよ。どうやって雑誌ができているのかが間近で見られて、すごく刺激になりましたし、作っている編集部の先輩方が本当に楽しそうに、でも、本当に大変そうに仕事をしていて、絶対にこの仕事を続けたいって思ったんです。

――そこは1年限定で終わりだったんですか?

はい。なので、1年終わるときに、編集長に呼び出されて、「編集者になりませんか?」って言ってもらえたんです。すごくいいお話だったんですが、私はやっぱり音楽ライターになりたくて、お断りしました。そしたら、『TOKYO☆1週間』の音楽ページを全部預けてくれたんです。本当にありがたかったですね。

ひとつの出版社に固執したら終わり?!

――でも現実的な話、それだけじゃ生活できないですよね。

はい。しかも、当時の副編集長が、「フリーランスになるなら、ひとつの出版社、ひとつのジャンルに固執したら絶対にダメ。つねに3本はレギュラーを持ち、10社くらいと取引しなさい」って教えてくれたんです。いま思うと、この教えは本当にありがたかったですし、なによりも的確。1つの出版社や、1つの媒体だけに集中して仕事をしていると、廃刊したらフリーランスの私も終わり。
その後、この雑誌も、定期的にお仕事をもらっていた雑誌も、一気に廃刊した時期があって。その後も2013年くらいに、私も書かせていただいていた音楽雑誌『WHAT’s IN』や『PATI-PATI』『ARENA37℃』『CDで~た』などが軒並み廃刊、休刊ラッシュとなってしまって……。あのときは「あ、私も廃業かな」って思いました(笑)。実際、音楽だけにしぼっていたライターさんがそのタイミングで廃業してしまったという話はよく聞いていました。

――どうやって乗り越えたんですか?

まず、最初の目標として、35歳になる前に、自分が書きたい、書けると思った出版社、WEB媒体には全部営業をしようと決めました。暇さえあれば、仕事内容と実績を入れたファイルを持ち歩き、ライブなどに行けば、レコード会社の人にさりげなく紹介してもらったりと、かなり積極的でしたね。
当時の種まきのおかげで、毎年取引する会社は増えて、いまはありがたいことに、年末に届く支払調書は50枚ほどになりました。さらに編集さんって、異動する方が多いんです。それに、別の出版社に移ることもザラ。でも、仕事で信頼関係を作っていると、異動先の雑誌や媒体から声をかけてもらうことも多くて、おかげで営業をしていなかった媒体からもお仕事をもらえるようになりました。

――吉田さんは、音楽という強みがあるのは大きかったですよね。

そう思います。どんな雑誌もたいてい音楽ページはあって、レビューなどもちらっと載っていますよね。ファッション誌でもアーティストインタビューのページがありますし。それに、2010年くらいから、若手俳優雑誌が驚くほど増えたんです。そのタイミングで、まだブルーオーシャンだった若手俳優雑誌というジャンルに手を付けられたのも大きかったですね。

――たしかに、ジャニーズ事務所のタレントさんが多く掲載されている雑誌は多いですが、それ以外の事務所の若手俳優を特集した雑誌はその頃から出始めましたよね。

俳優さんへのインタビューって、音楽インタビューと似ていて、その作品についての想いと、プライベートなこと、その人が何を考えているかを聞くのが中心なんです。私にはそれがフィットしたこともあって、いまは映画、ドラマ、音楽、舞台などを中心に聞くエンタメライターとなりました。

――エンタメが強いとなると、一気に幅が広がりますよね。

そうですね。基本的にミーハーなのもありますし、ハマりやすいオタク気質なので、ちょっとハマったら「いま、オーディション番組が好きで」「タイBLが熱いんですよ!」ととにかく話しまくっていると、それが仕事に繋がっていくんです。歩く企画書みたいな感覚でとらえてくれる編集さんも多くて、「最近なににハマってるの?」と聞かれることも増えました(笑)。

――「このテーマで書ける?」と聞いたときに、すぐに「できる!」と言ってくれるのも心強いです。

あはは。実はそこまで詳しくないジャンルだったとしても、言われた瞬間から死ぬほど調べます。2.5次元の舞台が流行り始めたときも、お仕事をいただいた瞬間からすごい調べて、舞台を観たらガッツリハマってしまって。そのあとK-POPが流行り始めたらそれも聴くようになって基礎知識が増えていって、すべてが次の仕事に繋がるんです。

――吉田さんはだいたい全部本当に好きになってますよね。

そう(笑)。基本的に全肯定オタクなんですよ。私のようなエンタメに特化した商業ライターって、どうしてもプロモーション的な側面が強いから、求められることが評論や批評ではないんです。ネガティブな面を見つけて批判するのも大事だけど、私たち商業ライターは、良いところをみつけて、観てもらう、聴いてもらうのが一番。
作り手が”良い”と思っているものが作品・商品になっているんだから、その”良い”を見つけるのが私の仕事だと思っているんです。なので、向き不向きはあるかもしれないですね。

――全部好きになれるのは才能だと思いますよ!

嬉しいなぁ。

ライター1本に絞ったおかげで子育ての両立も確立

――吉田さんは、キャリアのスタートからライター1本ですよね。編集とライターを兼業する人も多いですが、なぜライター1本に絞ったのでしょうか。

最初にお世話になった出版社の編集長が、「あなたはライターを極めたいなら、編集には手を付けない方がいい」と言ってくれたんです。実際に、私はすごくせっかちな性格的なので、待つことが苦手なんです。そうなると、いろんなスタッフさんをまとめたり、スケジュールを切ったりする編集の仕事は向いていなかったんですよね。企画を立てることは好きですが、「こういうことをしたい」と話した企画を編集さんがまとめてくださり、私は現場で取材して話を聞いて原稿にする、という仕事が本当に向いていたんです。手離れもいいですし、自分のタイミングでお仕事ができるので、シングルマザーの私でもすごく効率よく仕事ができています。

 

吉田可奈●エンタメ系フリーライター。80年生まれ。CDショップのバイヤーを経て、出版社に入社、その後独立しフリーライターに。音楽、映画、声優、舞台、アイドル、タイドラマ、オタク事が得意。InRed、TV Bros.、NYLON、awesome、ダ・ヴィンチ、B=PASSなどで執筆中。著書『シングルマザー、家を買う』『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』が発売中。Twitter(@knysd1980

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