ライターになりたい! プロが教える、好きを仕事にするサバイバル術【03 〜吉川愛歩〜前編】

いまや大人がなりたい職業1位となった“ライター。とはいえ、ひと言でライターと言っても、資格はなく、名刺を持った人がその日からなれるこの職業が、どんなお仕事なのか、どうやってなるのか、生活はできるのかなど疑問に思う人も多いはず。少しでもライターという職業に興味を持った人が読み参考にするべく、ライターを生業としている人に志望動機から楽しみ方、苦悩などたっぷりインタビューしていく連載です!

今回は、食を中心に、レシピ考案やフードコーディネーターとしても活躍する”食”ライターの吉川愛歩(よしかわ・あゆみ)さん。ライターの中でも、専門ジャンルといえる”食”の世界に、30代後半になって飛び込んだ異色の経歴の持ち主である吉川さんに、あれこれお伺いしました。

聞き手、文/吉田可奈

吉川愛歩●1979年東京都出身。出版社勤務を経て、2003年にフリーライターとして独立。結婚、出産を経験しながら暮らしや育児の記事を執筆し、その後料理家・フードコーディネーターとしての仕事にも携わるようになる。現在は、食の分野に特化した執筆と、レシピ開発や料理撮影のコーディネートなどを手がけている。また、趣味が高じてアウトドア料理のフードコーディネートも行っている。著書に『こねこのコットン チアーカフェストーリー』(学研プラス)。『メスティン自動BOOK』(山と溪谷社)や『キャンプでしたいの100こと』(西東社)のレシピ監修も行っている。

吉田可奈●エンタメ系フリーライター。80年生まれ。CDショップのバイヤーを経て、出版社に入社、その後独立しフリーライターに。音楽、映画、声優、舞台、アイドル、タイドラマ、オタク事が得意。InRed、TV Bros.、NYLON、awesome、ダ・ヴィンチ、B=PASSなどで執筆中。著書『シングルマザー、家を買う』『うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる』が発売中。Twitter(@knysd1980)

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自分に何ができるのかを考えたときにたどり着いたのが“料理家兼ライター”だった

――吉川さんは、料理のことを主軸に執筆されていますが、ジャンルで言うと、どういった肩書きのライターになるのでしょうか。

“食”全般のことを執筆しています。食べ歩いてレポートするグルメライターとは違って、調理器具メーカーのwebサイトのコピーや、料理家さんや生産者さんへの取材などをしています。また、自分も料理家としてのお仕事をいただいています。わたしキャンプが好きなんですけど、最近はキャンプが流行っていることもあって、キャンプ料理のレシピを考案することが多くなりました。“料理家兼ライター”と名乗ることが多いですね。

――レシピ考案もされているんですね。その立ち位置はとても珍しいと思うのですが、どんな経緯でライターになったのでしょうか。学生の頃からライター志望だったのですか?

いえ、もとは役者志望だったんです。7歳から劇団に所属していて、21歳まで役者をやっていました。でも、高校を卒業したあたりから、 “本当にこれがやりたかったのかな?”と考えるようになったんです。とはいえ、これしかしてこなかったし勉強も全然で……。悩みつつ役者を続けながら、写真集などを出版している会社の電話番のアルバイトをはじめたんです。

――いまも売り出し中のアイドルや役者さんが勉強のために出版社で働いていることってありますよね。

そうなんですね! そのルートは王道だったんですかね(笑)。ただ、最初はそんなアルバイトをしていたんですが、あるときから、別部署で大学生の就職支援の仕事を手伝うようになったんです。そこで書籍やワークブックを作る仕事をさせてもらい、編集の仕方や構成など、本作りにまつわるすべてのことを学びました。でも、その会社が倒産してしまい、デザイン事務所に転職し、そこで初めてライターのお仕事をしたんです。

台本のあるインタビューはおもしろいと思えなかった

――ということはライター業を本格スタートさせたのは23歳くらいですか?

そうですね。当時は、その会社で作っていたWEBの中で必要な記事のインタビューなどを担当していました。ただ、そこでの社長や起業家インタビューは、もともと構成ありきで、その通りになるように話を聞くような形式っていうのかな……。ありがたいお話だったのですが、あらかじめこちらの意図に沿って話していただくインタビューには、あまり興味を惹かれなくて。

――分かります。予想できるものは、楽しさに繋がらないですよね。

そうなんです。とはいえ、コンテンツを作らせてもらう中で、私は“文章を書く”ということが、一番上手にできたので、そこでライターという仕事をどんどん意識するようになりました。でもその後ちょっと体調を崩したこともあり、結婚し、会社を辞めて、フリーランスとして働き始めました。

――そもそも、文章を書くことは好きだったんですか?

好きでした。小学校高学年の頃から、詩や小説を書いていましたね。でもそれは誰かに見せるものではなく、自分の中に溜めておくという、ただの行為だったんです。自分が書いたものが世に出るなんて想像もしていませんでした。

突然舞い込んできた小説家デビュー

――フリーランスとして働き始めた当初は、どんなお仕事をしていたんですか?

辞めた会社から仕事を引き受けたり、ケータイのポータルサイトにある配信コンテンツの原稿を書いたりしていました。その頃もまだ、趣味でずっと小説は書いていたんです。それを友人に話しているうちに、友人を介して編集者から、「小説を書いてみない?」って声をかけてもらって。

――シンデレラストーリーじゃないですか!

驚きました(笑)。ちょうど、出版経験のない女性小説家を探していたようだったんです。そこで、書き溜めていた小説を何本かお渡ししたら、そのひとつを気に入ってくださり、リライトして講談社から一冊、『こおりの瞼』という小説を出版させていただきました。それが2006年で、その翌年に長女を出産しました。

――その流れで、小説家としてやっていこうと思わなかったんですか?

編集者の方にもすごく良くしていただいたんですが、出産したら、なんかまったく書けなくなってしまったんです。テーマが思いつかなくなっちゃったんですよね。この『こおりの瞼』は、性愛について描いているんですが、これを子供に見せたいかと言われたら、見せられないなって思いましたし。そこで、子どもに見せられないものを書くってどうなんだろうって考えるようになってしまったんです。じゃあ子どもに読ませたいものって何かなって考えたとき、自分が見てきたものの中で伝えたいことが思いついて、犬の殺処分をテーマにした絵本を書くことにしました。出版社なんか全然決まっていなかったんですが、絵描きさんを見つけて絵を描いてもらい、編集者をあちこち頼って持ち込みをして形になりました。

――なるほど。私も子どもがいるので、その気持ちはすごくよくわかります。

しばらく短編小説を雑誌に載せていただいたり、ラジオドラマを書いたりはしていたんですが、いわゆる“ワンオペ”育児だったので、働き方にもずっと悩んでいたんです。夫は仕事が忙しくて子育てを代われる感じではなかったし、積極的に営業もしづらかったんですよね。

“どうしても書きたい”と思わせてくれた『Neem』との出会い

――やっぱり、書くというお仕事はしたかったんですね。

そうですね、どんな表現手段かはわからなかったけど、書くことからは離れたくなかったです。そんななか、SNSで徳間書店から『Neem』という親子雑誌が立ち上がることを知ったんです。いまは休刊してしまったんですが、親子のファッションだけでなく、社会問題などもちゃんと取り上げる雑誌にしたいと聞いたので、どうしても書きたいと思い、“創刊のお手伝いをさせてもらえませんか?”と売り込みに行ったんです。

――雑誌の編集は、ワンオペで子育てをしながらやるのは、ものすごく難しいですよね?

かなり大変でした。撮影や校了のときだけ、夫にお願いしてやらせてもらっていました。でも、休刊してしまって…。その後、同系統の雑誌に売り込みに行こうか迷ったんですが、あまりにも大変だったので、この働き方を続けることはできないと思ったんです。ちょうどその頃に、離婚を決めて、子どもふたりは私が育てると決めました。

――勇気ある決断でしたね。

そうですね。

私がずっと続けてきたものは“料理だ”と思った

――たまたま私も同じ境遇なのですが、フリーで、しかもシングルで2人の子供を育てるのは大きな覚悟がいりますよね。

ですよね(笑)。それで、私がずっとやってきたものは何だろうって思ったときに、“料理だ”って思ったんです。もともと父子家庭で育ったこともあり、ずっと身近に料理が在りました。しかも、離婚しようと決めたそのタイミングで、『Neem』の編集長だった方から、“新たなお仕事をしているから、そこにレシピを書かない?”って声をかけてもらったんです。

――吉川さんが料理が得意なことは伝わっていたんですね。

毎年クリスマスに、友人にはシュトレンを焼いて販売していたんです。それを覚えていてくれて、「本当に美味しかったから、きっとできると思う」と言ってくれたんです。これは本当にうれしかったですね。いつも連絡を取っていたわけじゃないし、離婚を決めたことも誰にも言っていなかったのですが、本当にすごいタイミングでした。

営業先は自分ができることと相手が求めていることが合致する会社を選んだ

――少し現実的なことを聞かせてください。私もお金がない状態でシングルマザーになったのでわかるのですが、離婚時はしっかり貯金などをしてから離婚されたんですか?

えーっと、ゼロでした(笑)。

――私と一緒だ~(笑)!

あはは。

――となると、母子手当と、養育費、そしてライターとしてのお金での生活になりますよね。

そうですね。ただ、料理の仕事をはじめたことを周りに言ったら、いろんな友だちがいろんな人を紹介してくれて。そうやって実績を積んで、その後は営業に行ったりもしました。

――私も、めちゃくちゃ営業をしました!

生活がかかっていますもんね。それに、やっぱりフリーランスであるメリットって、好きな人と好きな仕事ができるってことだと思うんです。闇雲に手当たり次第ではなく、ここで仕事がしてみたい、と思った会社にピンポイントで伺いました。

――それが、広告系の制作会社だったんですね。出版社や雑誌の編集プロダクションは選ばなかったんですか?

雑誌も考えたんですが、毎月あの過酷な仕事を子育てと両立できるかと考えたら、難しいなと思ったんですよね。それなら、企業からひとつひとつ案件をもらって、その都度スケジュールと照らし合わせて考える方が私の働き方に向いているのではと思ったんです。

――さらに、営業は自分が今持っているものを一番高く買ってくれそうなところに行くのが大事ですよね。

子供を抱えていましたし、営業へ行くことは全然恐れてはいなかったんです。それに自分が役者として売り込みをしていたときよりは、はるかに楽だったので(笑)。だって、そこでダメでも、私自身が否定されたわけじゃないから。

――たしかに、役者となると自分への全否定だと捉えてしまいそう…。

そうでしたね。年間300本くらいオーディションを受けて、通るのって10本とか、そんなものだった気がします。そういう生活が7歳からずっとだったので。それに比べたら、ライターとしての営業は全然苦しい経験ではなかったですね。

現場で修行が足りないことに気付き、勉強し始めた日本料理

――他にはどんなお仕事をしていたのでしょうか。

たとえば、新発売される調理器具を使って、レシピの提案を含めた文章を書くというお仕事がありました。たくさんの調理器具を家に届けていただいて、それを使ってみて、ひとつひとつどんな料理が合うか考えてレシピ化し、調理したものを撮影していただいて、写真をセレクトして文章を書いて納品……という仕事です。

――過酷…!

でも、プロのカメラマンに撮影してもらえるだけでなく、フードコーディネーターとしてのあらゆることを学ばせていただきました。この説明が合っているか、私にもはっきりわからないんですけど、料理家とフードコーディネーターは料理の作り方が違うんです。レシピ通りに作って、ある程度そのままの状態で撮影するのが料理家だとしたら、フードコーディネーターは、料理がきれいに写るように手を加えたり、作り方の工程を少し変えたりします。そういう知識もはじめは全然なかったので、現場でカメラマンの方に“こうした方が良いですか”“これはどうしたらいいですか?”など、とにかく聞きまくりました(笑)。

――現場が一番実績を積めますからね。

そうなんですよね。でも、そこで料理の修行が足りないことにも気が付いたんです。いまの自分のままではもう料理の仕事は受け続けられないなと思い、日本料理と茶道の勉強をし始めました。

――知識量=仕事量に繋がっていきますからね。

本当にそう思います。ただ、正直なところ、子どもを育てるだけでいっぱいいっぱいなのに、自分の習い事のためにお金を払うことや、そのために仕事を入れず時間を空けなきゃならないことは、本当にすごく大変です。でも、やりたいことをしないまま50になるのは嫌で(笑)。きちんと自己投資もすると決めました。

由緒正しい日本料理のエッセンスを家庭に下ろしていきたい

――そこでの経験は、他のお仕事にも繋がってきそうですね。

まさにそうですね。その教室で知ったことは本当にいまのわたしを支えてくれています。生産者の方ともつながることができ、快く取材を受け入れてくださったり、そこからまたいろんな出会いをいただいています。

――日本料理について書く媒体もたくさんありそうですし、ますます幅が広がりそうです。

媒体はあるんですが、私の知識と経験ではまだまだかなり難しいと思っていて。本当に知識も教養もないと難しい世界だと思うんですよね。憧れはありますが、お茶や着物などの作法も歴史もしっかり学んでいないと書けない世界なので、勉強をし続け、いつか機会が訪れたら嬉しいです。

――たしかに。歴史のある雑誌は、しっかりとした編集体制が組まれていて、ライターも固定の方が書いているイメージがあります。

そうかもしれないですね。そこを目指すというよりは、私はそのエッセンスを、家庭に下ろしていくような原稿を書いていきたいと思っているんです。だからこそ、作るレシピには、普通の料理の中にお魚を入れたり、昔ながらの郷土料理のエッセンスが入っていたりと、そういったことを意識していきたいなと思っています。

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TV Bros.編集部
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