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 友達と待ち合わせて新宿シネマカリテへ向かった。彼女は映画監督だけれど、映画館で映画を見るのは久しぶりらしい。見に行くことができないタイミングはわたしにもあって、今回も、あまりに映画館へ入るまでに挫折してしまうことが多く、「誰かと約束すればなんとか時間を守れるだろう」という利己的な理由で友達と行くことにした。
 いつなんの作品を見るかまでスケジュールに入れていても、チケットをすでに予約してお金を支払っていてもなお、上映開始時間までに映画館へたどり着けない、ということはざらにあって、予定よりも2、3本後の電車にもたれながら、上映開始時間を告げる時計を絶望顔で見るのなんて日常茶飯事だ。

 この日に見たのは『コンパートメントNo.6』。フィンランドの監督が撮ったロードムービーらしい。上映直前まで友達は、携帯の画面をちらちらと気にしている。「ほんとにぎりぎりまで、気になっちゃうんです。なにか急な連絡が来ていないかと思って」。自分以外に、映画館の暗闇と遮断を怖がっている人を見ると、安心するのでありがたい。ほんとにぎりぎりまで見ていていいし、もしもほんとうに気になって仕方がなかったら途中でこっそり出てもいいからね。と告げて、予告編を見る。
 映画館という暗闇の箱で、二時間以上などまとまった時間、耳と視界と思考を、スクリーンに映される(未だ知らない)映画に捧げることになる。逃げ場がほとんどなく、感覚が過敏な人にとってはかなり慎重にならざるを得ない環境だ。

 実際にわたしは、戸田真琴としてデビューして何年もの間、映画館で映画をいざ見始めようという時に、「この二時間くらいの間にSNSで私のひどいウワサや悪口などが囁かれて、次にインターネットに接続する頃には私のキャリアが終わっているのではないか」などというような強迫観念に取り憑かれ、見るのを断念してしまったことも何度かあった。多動症のため落ち着きがなく、姿勢を何度か変えないと画面に集中していられないため、周りに人の少なそうな席を選んだりもするし、常備薬の飲み忘れ防止のためにセットしてあるアラームを消し忘れたまま、スマートフォンの電源も落としきらずただの機内モードにしていた結果、エンドロールの最中にアラームが鳴り出しどっと冷や汗をかいたこともある(あまりにさりげなかったため、自分のスマホではなくただの映画内の演出としてのアラーム音だと思い、数十秒の間気が付かなかった)。それこそ映画のファーストカットに間に合わず罪悪感でいっぱいになりながら鑑賞する日もあるし、手持ちの映像が続くと酔ってしまって吐き気を催しながら耐えることもある。
 映画鑑賞にはマナーが大事だけれど、気持ちと裏腹にマナーからはみ出しそうになってしまうこともある。それほどまでに、映画館での映画鑑賞というのは、身体的負荷のあるものなのだ。スクリーンに、映画鑑賞マナーの映像がカラフルに流れる最中、私は深呼吸をしながらスマートフォンの電源を落とそうとする。今この瞬間に、なにか決定的に最悪なニュースが流れ込んできていたらどうしよう、とやっぱり少し緊張しながら、それでもいい、どうにでもなれ、ええい、と半ば無理矢理に電源を切って、カバンの奥に仕舞う。画面が真っ暗になる前に身体を何度か捩って、座り心地のいい姿勢を探す。非常口の位置をそれとなく確認する。そうしているうちに、制作配給会社のロゴが出てきて、映画が、始まる。真っ黒い海に小さな船を出すような、心細い気持ちでわたしは漕ぎ出す。

「すっごい画面に酔っちゃって、具合悪くなりそうだったんですけど、でも映画良かったですね。しんどいけど、映画館で見るのってやっぱりいいな」
 シネマカリテを出て喫茶店を探す途中、友達は言った。『コンパートメントNo.6』は、狭い寝台特急の車内を手持ちのカメラで、結果としてかなり人物に接写になるかたちで撮影されているため、画面のゆれがずっと続く作りになっていた。しかしその近さ、列車内の圧迫感が物語の登場人物たちの精神状態とリンクし、煤けた窓からにわかに差す陽の光がさり気なく正しく、平熱に近い温度のまま心を揺さぶるとても美しい作品だった。ロシア最北端の街を目指す特急列車は、どんどん雪深く吹き荒ぶ中を走っていく。時折途中下車をして散歩するシーンでは、一面の雪の中視界がひらけ、その雪の粒の細かさや寒さまで吸い込めそうだった。夜の新宿はまだ寒く、薄着していた私は「寒いね」といったけれど、友達は「でもさっきの映画よりはぜんぜん寒くないって思いますね!」と笑って、それを聞いて私は、いい映画だったな、と思った。

 それぞれ別の友達に付き添ってもらい、今月はたくさん映画を見ている。
『別れる決心』はユニークで意識の行き届いた画作りと主演2人の配役とのマッチングが説得力を生み出す不倫劇で、きりきりと張り詰めた空気が二時間以上保たれながらも決して刺激物に終わらないさり気なさがあってとても良かった。行為として「不倫」と言い切れるような行動を一切していないにもかかわらず、途切れることのないエロティックさが常に物語の空気を支配していたのも、よく考えたらすごく高度なことをしているのかもしれない。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はネタバレを恐れて初日の朝の回にて。

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