「何度も、死ぬほど幸福だと思えた」監督・戸田真琴が映画製作で見た景色【映画『永遠が通り過ぎていく』インタビュー】

本誌連載『肯定のフィロソフィー』でおなじみのAV女優、文筆家の戸田真琴による初監督作品『永遠が通り過ぎていく』。1年間の自主配給が話題を呼び、4月1日より東京・アップリンク吉祥寺にて上映される。喪失と祈りを描くような詩的で、私的な短編集で初めて監督に挑んだ彼女に、改めて映画との出会い、そして映画製作においてどのような景色を見つめたのか、じっくりと話を聞いた。

※インタビューの最後に、今回のために飯田エリカ氏が撮り下ろしたスペシャルフォトギャラリーがあります

 

撮影/飯田エリカ 取材&文/羽佐田瑶子

https://tvbros.jp/serial/todamakoto/2022/03/17/35249/

みんなが夢中になっている友情も恋愛もしっくりこない中で出会った、ジム・ジャームッシュ。

 

──テレビブロスの連載『肯定のフィロソフィー』は、誌面も含めると4年以上が経ちました。

 

そんなに経ちましたか。思い返せば、いろんなことがありました。高校の国語の先生がたまたま連載を愛読してくれていて、執筆者を調べたら私だと知って驚いたと、連絡をくれたことも。私の職業を全く知らない人が「私自身」を面白がってくれる、そういう出逢いの場を作ってくれました。

 

──戸田さんと映画の出逢いについて伺いたいのですが、映画に魅せられた原体験は?

 

育った環境は、全く文化的ではありませんでした。家にあるのは漫画くらいで、小説や映画、美術に触れる機会はほとんどなくて。でも、中学生になってからは、パソコンで夜中にこっそり、YouTubeで音楽を聴き漁っていました。私がカルチャーに対して心奪われた初めての経験っていうのは、音楽なんです。TSUTAYAに毎週行って、CD5枚1000円でお小遣いの限り借りていました。

 

中学生の後半くらいですかね。だんだんと、自分が周りと違う、というか、みんなが夢中になっている友情も恋愛も、それに対して正しい正しくないも、全部しっくりこなくなってきたんです。それで、図書室や美術室に逃げて、画集をめくるようになって。なので、親が連れて行ってくれる大衆的な、シネコンでポップコーンを食べながら見ることが前提の映画には全然惹かれませんでした。多動なので、2時間座っているのも苦痛だろうし。だけどある時、人から「ジム・ジャームッシュ好きそうだよ」って言われたんです。ほんとに偶然。それで、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観たら衝撃を受けてしまって。

 

──ジム・ジャームッシュ監督の35ミリ長編第一作ですね。物語の展開は静かだけれど、監督の奇妙さやおかしさといった独特の雰囲気が醸し出されている作品です。

 

びっくりしました。自分が思っていた“映画”とは全然違っていて、何も起こらないのに、ずっと見惚れてしまったんですよね。授業もまともに聞けないくらい座っていることが苦痛な私が、一瞬もそう思わなかった。すべてのバランスが完璧で大好きで、今でも一番好きな映画監督です。それから、TSUTAYAで映画を借りるようになりました。親は知らないけれど、自分にとって「いい」と思える作品がこの世の中にはもっとあるんじゃないかと思って。

 

──戸田さんは言葉の人、という印象が強いのですが、ジャームッシュ作品はどういう部分に見惚れたのですか?

 

とにかく、画が好きです。私自身、映画というのはほとんど「画」で観ているんです。その中でもスケールが凄いとか、表情をよく捉えているとか、いろんなタイプのいい映像があると思うんですけど、私は「画の調和が取れていること」に圧倒的な美しさを感じます。

 

ジム・ジャームッシュは小津安二郎監督の影響を受けていて、物の配置や配色まで考え抜いた、完璧な画を撮る人なんですよね。もちろん、表現するための“核”みたいなものがないと形だけ真似した、薄っぺらいものになると思うんですけど、彼は精神性も研ぎ澄まされた上で、画に対するこだわりも素晴らしい。

 

思い返せば、それまで自分にとって「完璧だな」と思うものって映画に限らず、この世の中にあんまりなかったんです。何も完璧じゃないから、あんなにムカついていたんだなって。でも、ジャームッシュの作品は完璧だったんですよね。なんというか、完璧じゃないとこも完璧というか。芸術と人間の愛おしさを深く吸い込むような映画だなと。「こうやって歴史を遡れば、世の中には完璧なものがあったんだ、たまに」って思ったし、私は映像に心惹かれる人なんだと気づくことができました。

 

たとえ孤独でも、彼女の見てきた景色の美しさを証明したい。

 

──ジャームッシュから、どのように映画の世界が広がっていきましたか?

 

とにかく、いろんな作品を観ました。好きだったのはジャン=リュック・ゴダールをはじめヌーヴェル・ヴァーグにつくられた映画、あとはエドワード・ヤン監督。彼も完璧な画を撮る人ですよね。

 

──戸田さんが思う「完璧」について、もう少しだけ詳しく伺ってもいいですか?

 

なんでしょう……ストーリーが伝わるとか、台詞の意味がわかりやすいとか、キャラクターに感情移入できるとかも大事だけれど、そういうドラマ性とは別で、撮ろうとしている景色や空間そのものの、色や匂いや湿度が最大出力されているものに完璧を感じるのかもしれないです。映画は、そこまでいけるものなんですよね。言葉にすると曖昧ですけど。

 

──『永遠が通り過ぎていく』を観た後に、生活の中にこの映画が溶け込んでくる感覚を味わいました。たびたび思い出しては、その時間に浸るような。それはきっと、戸田さんが思う「完璧」を求めて温度感のある映画作りをされたから、この映画と一緒に生きていく感覚になれたのだと思いました。

 

嬉しいです。それは、私が本当にやりたいことで、映像も文章もあらゆる表現で一緒に生きていく感覚を持ってもらえるようにしたいんです。コラムやレビュー、人に伝えるための文章とは全然違って、生活に「この感覚がある」ことを証明したい。共感より、もっと深いものですかね。そういうものに出会うと、現実世界で同じ感覚を通過することがあるじゃないですか。『永遠〜』のパンフレットに収録するための座談会で、キャストのイトウハルヒさんが「映画の場面を日常生活の中で思い出す」と仰ってくれました。生活と芸術が繋がることは喜びだし、私自身もそうした経験に救われてきたし、そうしたものをもっと作りたいです。

 

──映画を構成する『アリアとマリア』『Blue Through』『M』は自伝的な3本の短編と伺っていますが、物語の起源を教えてください。

 

ひとつのきっかけは、大森靖子さんの『M』という楽曲を、私の解釈で表現し直したいと思ったことです。なんだろう……言葉にするのは難しいんですけど、歌詞の主観としての女の子があまりにもひどい目にあって、苦しんでいるように感じて。だけど、そういう人が見ている世界は何よりも美しいのではないか、と思うんです。

 

──悲しいだけじゃない、ということでしょうか。

 

そうですね。人より優しかったり多くが見えすぎてしまったりすると、すごく苦しい思いをする世の中じゃないですか。魂が美しい人用には、作られていない。だけど、人よりも生きづらくて可哀想、という視点で片付けてしまうのは違うと思っています。どれだけの地獄を知っていても、同じ深さだけの美しさを知っている。私が同じ女の子を主人公にして表現するなら、「彼女の見てきた景色はこのように美しい」と証明したくて、視覚で足すことを決意したんです。

 

2019年の春に企画がスタートして、うまくいかないことも多くて中々難しかったんですけど、「実験映画集」という体裁で3つの短編をつくる形にたどり着きました。もともとは『M』の物語として書いたものを、3つに分けたんです。そうすると、自分の伝えたかったことが立体的に浮かび上がる気がして。

 

──『アリアとマリア』は詩的で、『Blue Through』は青春群像劇のようで、個性の違う3本ですが緩やかに重なり、立体的になる感じがありました。

 

もっと曖昧で、本質的なものにしたかった。一つの短編ではわからなかったことも、最後に何か感じてもらえたら嬉しいです。

 

──文章と映像表現というのは、どんな違いを感じましたか?

 

文章を書くのが得意なんですけど、映像が一番、自分の「本当の感覚」を話すことができる気がします。昔からとても悲しい時に、目に映る世界が美しくて携帯の動画で撮る、みたいなことはよくやっていて。

 

言葉というのは、すごく無力だと思うんです。なまじ多くの人が使えるからこそ、尽くしても伝わらないという経験があまりにもありました。それが芸術の域に達していたらもっと先までいけるんですけど、現実社会でそうはいかない。趣味で短いムービーを作って編集したり、8mmフィルムを撮っていたり、映像表現に心惹かれたのは、私がこの世界をどう見ているのか、自分の感覚を話せると思ったからです。他の人にとっては、音楽や詩や絵だったかもしれないけれど、私にとっては映像表現が正解でした。

 

社会的な戸田真琴と、私的な戸田真琴が分裂した。

 

──映画を撮りたい気持ちも、昔からあったのですか?

 

貯金をしてAV女優を辞めたら、山奥に籠もって名前も変えて、死ぬまでに映画を撮ろう、くらいの気持ちです。それは肩書きに憧れているわけじゃなく、私の見ている世界の眩しさや苦しさを表現したいと思ったから。だけど、AV女優としての自分と映画を撮る自分が精神的にあまりに遠いので、両立は難しいと思っていました。

 

AV女優としてデビューした時は、周りの人が「私が一番売れる方法」を考えて、キャラクターを付けてくれたんです。本当の自分を見せる必要がない職業だと思うし、私も自分の感覚やモノに対する価値判断ができなくなっていたから、「需要」が一番大事で、それに合わせて演じたい気持ちが強くありました。だけど、あまりに業界の流れが激しい上に綺麗な人がどんどんデビューする、一瞬でも気を抜いたら今にも仕事がなくなる危うい状態で。そこから「覚えてもらわなければ」という気持ちが湧いてきました。

 

──そうすると、本当の自分を少しでも見せることになりそうですね。

 

そうなんです。でも、自撮りなんて載せても反応はないし、私にあるものは文章くらいしかなくて。それで、ブログを書き始めたんです。そこから思いもよらぬ遠くまで話が広がって、映画関連の仕事が増えて、「私」に期待いただけたことは嬉しかったです。

 

──AV女優を始められた頃は“社会的な”戸田真琴だったと思います。自分よりも周りを大事にして臨機応変に適応する。しかし、今回の映画は真逆の“私的な”戸田真琴を出していて、それは物凄く不安ではなかったですか?ご自身はどんな状態で作っていたんでしょうか。

 

あの……自分自身が分裂しました(笑)。社会的な、AV女優の戸田真琴はすべて相手の感情ベース。喜んでほしいし、優しい気持ちになってほしいので、目の前の人の喜びと需要を基準に選択してきました。他人を気にして空気を読みすぎてしまうせいもあるんですけど、「こうしたい」と意見することもない。だけど本当は意見があるし、物凄く孤独だし、私的な戸田真琴はずっと隠していたんです。

 

だけど同時に、その隠している部分こそ自分の一番美味しいところだっていうのもわかっているんです。自分が分裂しながら、思いも寄らないタイミングで映画や自分と向き合うことになりましたけど、映画を作って観てもらって、何度も「死ぬほど幸福だな」と感じました。

──少女写真家・飯田エリカさんが撮られた本作のドキュメンタリー映像では、「(映像を)続けていきたい」とはっきり仰っていましたね。

 

生まれた時から映画を撮りたかったから、「いつか」なんて言っていたと思うんですよ。何をすべきなのか、自分の胸に聞いてみたらみんな知っていると思う。気づかない方が楽だから、聞かないだけですよね。

 

実際撮ってみて……言葉にすると簡単になってむかつくんですけど、自分は自分の見ている世界の感覚が異常に冴え渡っていて、物凄く美しくて。だけど、どんなにとんでもないものを見ていても、誰にも伝えられない。芸術というのは、その不可能をあり得ることにする唯一の手段だと思っています。

 

きっと私は、この美しい景色を人に見せてあげられないことが悲しかったんです。この光を見せたくて、たまらなかった。『M』の撮影で、自分の見ている「こうあるべきだ」という美しい景色と同じくらい綺麗なシーンが撮れた時は信じられなくて……私の想像と同じなんてあり得ない話なんですよ、だって私の頭の中が一番美しいから。だけど、撮れてしまったんですよね。

 

──それで、戸田さんが涙を流されていたんですね。

 

100回やって1回できる奇跡かもしれないけれど、可能性がゼロじゃないなら私は映像をやるべきだと感じました。監督としてはまだまだ未熟で、スタッフさんや演者さんに充分な環境を提供できなかった苦しさはありますし、思い描いた全てのシーンを撮ることが予算上厳しくて、2020年辺りは映画に向き合うことが苦しかったです。だけど今は、作っていこうと思えています。

本当の意味で傷ついたことのある、すべての人へ。

 

──パンフレットを一緒に作らせていただく中で、戸田さんと景色の話をたくさんしました。寄稿者の方々にも「美しかったと記憶する景色」についてコラムを書いてもらいましたが、映画製作の中で思い出す美しかった景色を教えてもらえますか。

 

そうですね……『M』は3本の中で最も内にこもった映画で、車を走らせるシーンは私が夢で見た景色なんです。自分の気持ちを整理しようとしていたのか、気持ちが沈んでいた時に運転免許合宿に行って。そこで見た夢が、すごく悲しかったけれど美しかった。映画でも、孤独な女の子が見ている世界は、このように美しいということを示すシーンにできたと思います。他人同士のようだけど、自分が自分を助ける意味も込めて。

 

映画は人に観られて、いろんな解釈が生まれて、バラバラになってやっと報われる感じがあります。今は監督として言葉を尽くす時期ですが、いつかAV女優の、戸田真琴の、という冠がとれて、ただの映画として必要な人に届いてくれたら、それこそ幸福だと思います。

 

──最後に、どんな人に届いてほしいですか?ぜひ、一緒にプロデュースされた飯田さんにもコメントをいただけましたら。

 

飯田:先行上映で観てくださった方が、映画と似たような苦しみを感じたことがあるけれど、描かれていた世界が美しかったから救われました、という感想をいただきました。苦しい時に、傷ついた側が黙っていなければならない場面がたくさんありますけど、そうじゃないと思うし、戸田さんは彼女たちを肯定するために戦ってくれて。いろんな人の救いになると思うので、必要な人に届いてほしいです。

 

戸田:世界中の誰とも話せない人。本当の意味で傷ついたことがある人。それが傷だと気づいていない人にも届けたいです。私のことを知らなくたっていいので、少しでも引っ掛かりを感じてくれたら、できれば観に来てほしい。映画は相性もあるので時間を無駄にするかもしれないけれど、そうじゃない可能性もあるから、出会ってほしいです。すべての傷のための映画なので。


映画『永遠が通り過ぎていく』
4月1日(金)よりアップリンク吉祥寺 ほか全国ロードショー

出演:中尾有伽、竹内ももこ、西野凪沙、白戸達也、國武綾、五味未知子、イトウハルヒ
監督・脚本・編集:戸田真琴
劇中歌:大森靖子
音楽:AMIKO/GOMESS
配給:para
2022年/日本/カラー/60分
(C)Toda Makoto

https://www.eien-movie.com/

 

<飯田エリカ撮り下ろし・戸田真琴ギャラリー>

 

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