令和の時代にUFO(世界格闘技連盟)の話題を取り上げるのは「真日」だけ!【連載『神田伯山の“真”日本プロレス』延長戦!2022年6月号】

新日本プロレスが生んだ天才、武藤敬司が来年春までに引退することを発表した。講談師・神田伯山&実況アナウンサー・清野茂樹がプロレスを語りつくすCSテレ朝チャンネル2『神田伯山の“真”日本プロレス シーズン2』第3回の歴史コーナーで取り上げたのは、偶然にもアントニオ猪木引退を含む1998年~2000年の新日本マット。“延長戦”でも、猪木の引退試合だけでなく、引退後に起きたさまざまな出来事について、ふたりにたっぷりと語ってもらいました。「かつて、プロレスとはゴールのないマラソンと言った自分ですが、ゴールすることに決めました」と語った武藤だが、プロレスラーにとって引退とは本当にゴールなのだろうか? 猪木という存在があまりにも特殊でまったく参考にはならないが、このインタビューでプロレスラーの引退について改めて考え、武藤引退のさびしさを少しでも紛らわして頂ければ幸いです。
取材・文/K.Shimbo(1998年~2000年前後の印象的な出来事は、ジャイアント馬場さん逝去。その存在はあまりにも大きかった)
撮影/ツダヒロキ(同じく、1999年4月の、バトラーツに対する藤田和之の無慈悲なスープレックス)

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<プロフィール>
神田伯山(かんだ・はくざん)●1983年東京都生まれ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門し、「松之丞」に。2012年、二ツ目昇進。2020年、真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談師としてもさることながら、講談の魅力を多方に伝えるべく、SNSでの発信やメディア出演など様々な活動を行っている。現在は『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)などに出演している。
清野茂樹(きよの・しげき)●1973年兵庫県生まれ。広島エフエム放送(現・HFM)でアナウンサーとして活躍。『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)で数々の名実況・名言を生み出した古舘伊知郎アナウンサー(当時)に憧れ、宿願だったプロレス実況の夢を実現すべく、2006年フリーに。2015年には新日本プロレス、WWE、UFCの実況を行い、前人未到のプロレス格闘技世界3大メジャー団体を実況した唯一のアナウンサーになる。『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本)のパーソナリティーとしても活躍。

『神田伯山の“真”日本プロレス』
CSテレ朝チャンネル2 毎月第3土曜午後10・00~(7月回は7/16土曜午後10・00~)
出演 神田伯山 清野茂樹(実況アナウンサー)
●“最もチケットの取れない講談師”の神田伯山と、プロレスに魅せられた実況アナウンサーの清野茂樹が、テレビ朝日に残された貴重な映像を観ながら、プロレスの歴史をマニアックに語り尽くす。そのほか、当事者を招いて真相を探る「真のプロレス人に訊け!」や、現役プロレスラーの魅力を深掘りする「最“真”日本プロレス」といったコーナーも。
番組HP:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/recommend/hakuzan/

テレ朝チャンネル至極のプロレスラインアップ
番組HP:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/wrestling/

 

「負けたら即引退スペシャル」の結果に驚く感じはしなかった(伯山)

――歴史的事件が盛りだくさんの時期ですが、まずは猪木さんの引退試合(注1)から振り返っていきたいと思います。清野さんはこの時、広島FMにお勤めでしたよね。

清野 そうですね。試合が土曜日だったので、仕事を休んで観戦しました。東京で一泊したら自宅の部屋の鍵を無くして、鍵屋さんを呼んだ記憶があります(笑)。

――試合を観る前はどういう心境でしたか?

清野 正直、半信半疑でした。猪木さんは引退するって言うけど、また戻ってくるだろうと。高(たか)をくくっていたところもあったんですよ。なので、最後じゃないかもなと思いながら、東京ドームに向かいました。

――会場内での思い出を教えてください。

清野 一番後ろの席だったので、リングがとにかく遠くて。古舘伊知郎(注2)さんが「闘魂は連鎖する」と言った最後のナレーションに聞き入って、やっぱり古舘さんだよなぁと思ったのはよく覚えています。古館さんと山本小鉄さんのコンビがあの日、再結成したのも熱かったですよね。

――伯山さんはちょうどプロレスを観始めた頃だったんでしょうか?

伯山 猪木さんの引退の1、2年前くらいからテレビ朝日の中継を観るようになって。引退試合はビデオに録画して、「道」(注3)の部分を何度も再生しました。何でしょうね、中学生にも刺さったんですよ。歴史的瞬間に立ち会えているなという感覚もあって。年を取って30歳、40歳になってくると、著名人の死とか引退を理解できるけど、小さい頃ってピンとこないですよね。その人の全盛期を知らないから、有名な方が亡くなったニュースを見てもよく分からない。だから、猪木さんのファン歴も浅い、中学生だった僕の心に刺さるものがあったというのは、とても不思議な感覚でしたね。テレビでは観られたけど、猪木さんの試合を生観戦できなかったというショック、喪失感もありました。

――対戦相手がドン・フライという意外性も、猪木さんらしさかなと思いました。

清野 みんな、小川直也さんだと思っていましたよね。違うんだっていう拍子抜け感もありつつ。後々、あれで良かったんだと思えるようになって。

伯山 最後の相手がドン・フライかよと思ったけど、延髄斬りがきれいに決まっていたし、猪木さんの仕上がった体が美しくて、猪木さんの美学がつまっていた試合だと思いました。――猪木さんの引退後には、UFO(注4)旗揚げという、もはや誰も振り返らない、忘れられつつある出来事があります。

清野 今ね、UFOの話題を取り上げるメディアは、この番組だけですよ(笑)。UFOが話題にあがることって、もうほとんどないですから。

伯山 山籠もりとかして、変なワクワクがありましたよね。

――小川さんを火のついたヤリで突く練習とかありましたね(笑)。

清野 ありましたね! 昭和の幻想というか、それを東京スポーツの写真で見て、想像するという。当時はまだ映像もそこまでありませんでしたから。そして、あの顔ぶれですよね。猪木さん、小川さんに佐山聡さんという。何かあるんじゃないかって思わせる幻想がありましたね。佐山さんがいきなり丸坊主になったり。断食とかいって、ファスティングダイエットをしたり。試合以外にも話題がいっぱいでしたね(笑)。

伯山 バラエティー番組のダイエット企画みたいですね(笑)。

――そのUFOと新日本の対抗戦、小川直也vs橋本真也(注5)で大事件が勃発します。

清野 広島にいたのでテレビで観ました。衝撃でしたね。橋本さんが大の字になってしまうというのは。強いって言われていましたからね、橋本さんは。ところが、一方的にやられてしまうという。プロレスファンの間でも、結構論争になりましたよ。なんでやり返さないんだって。

伯山 僕もテレビで観て、普通じゃないということは分かりました。小川さんのセコンドの村上一成さんがボコボコにやられて本当に大変な事態になったとか、ジェラルド・ゴルドーに誰も行かないとか、そういうのも全部含めて面白かった。“撮れ高いっぱいファイト”って感じ(笑)。その後の橋本さんの試合は結構、会場に観に行っているんです。そしたら、橋本さんを応援しているサラリーマンが泣いているんですよ。橋本さんに完全に同化して、“橋本、頑張れ!”“小川をやっつけろ!”みたいな人が僕の席の近くには多かった。プロレスというのはこんなにも感情移入させてしまうのかと。ちょっと僕とは温度差があったんですが、それはサラリーマンの人たちが仕事でいろんな苦汁をなめてきたり、人生経験があるからこその感情移入だったんだと、今になると思います。橋本さんはそこまで感情移入させることができる稀有なレスラーだったんですね。

――橋本さんの「負けたら即引退スペシャル」(注6)も観戦したんですか?

伯山 観ましたね。そうくるかという結果でしたけど、でもね、僕は驚く感じはしなかった。橋本さん、負けるかなと思っていたんです。猪木さんが裏で関わっているのかなって子供心に感じていたので、予想を裏切ってくるのではないかと。我々の世代はどっぷりなんですが、当時、ダウンタウンの松本人志さんの漫才とかコントの“裏切り”が大好きだったんです。裏切っていく、逆を行く笑い。あの試合は、その裏切りの笑いと近い。どう考えたって橋本さんが勝つだろうと見せておいて、ふりがあって、その逆を行く。松本さんがやりそうな感じがしたんです。僕は松本さんと猪木さんがかぶって見える時があるんですよ。やっぱり革命児というのは、裏切っていくところがあるのかなと思うんです。

注1・猪木さんの引退試合 1998年4月4日、東京ドーム。対戦相手はトーナメントで決められ、愛弟子の小川直也を倒した元UFC王者のドン・フライとなった。結果は4分9秒、コブラツイストからのグランドコブラで猪木が勝利。小川戦が実現しなかったことに会場には失意もあふれたが、現在ではフライ戦を評価する声が多い。ちなみに筆者は、猪木引退試合を現地観戦した翌日、猪木のモノマネ芸人の春一番のライブも観に行った。
注2・古舘伊知郎 元テレビ朝日アナウンサーで、猪木全盛期の新日本プロレス中継で多くの名実況を残した。退社してフリーとなっていたが、猪木引退試合では実況を担当。解説者の山本小鉄さんとのタッグ復活でファンを喜ばせた。引退セレモニーでは「我々は今日をもって猪木から自立しなければならない。闘魂のかけらを携えて、今度は我々が旅に出る番だ。闘魂は連鎖する」という古舘ならではの名ナレーションを披露した。
注3・「道」 試合後のリングで猪木が朗読した詩。「この道をゆけばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足(ひとあし)が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」。猪木本人は一休禅師の詩だと語っているが、実際には宗教家・哲学者の清沢哲夫氏の詩をアレンジしたもので、猪木の誤解だと思われる。
注4・UFO 世界格闘技連盟。1997年にプロレスデビューしたバルセロナ五輪柔道銀メダリストの小川を擁し、佐山がコーチとして参加した。猪木引退後の10月に旗揚げ戦を開催。小川のK-1参戦、新日本との対抗戦、アメリカNWAとの提携など、さまざまな活動を行った。当時、猪木、小川、佐山の動向は東京スポーツで頻繁に報じられ、「闘魂ダチョウ俱楽部」と称されていたと筆者は記憶しているが、現在ネットで調べても何も出てこない。
注5・小川直也vs橋本真也 1999年1月4日、東京ドーム。新日本とUFOの対抗戦として行われた小川vs橋本戦で、小川が暴走ファイトを展開。一方的に橋本を打ちのめし、無効試合となった。試合後には長州力が佐山に詰め寄ったり、新日本の選手たちがUFOの村上を病院送りにしたりと、リング上は大混乱。「1・4事変」ともいわれるこの試合の真相は、ファンの間で今も議論されている。筆者としては、小川のセコンドのジェラルド・ゴルドーが醸し出す緊迫感にしびれた。
注6・「負けたら即引退スペシャル」 2000年4月7日、東京ドーム。「橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退!スペシャル」というタイトルでゴールデンタイムに生中継された。前年に小川に完敗した橋本にとっては引退を賭けた再々戦だったが、橋本はまたしても敗れてしまう。本当に引退を表明した橋本はその後、復帰するが、結局、同年11月に新日本を退団した。

大仁田さんの思うつぼなのに…(清野)

――次に大仁田厚さんの新日本参戦ですが、テレビ朝日の真鍋由アナウンサー(注7)とのやり取りを、清野さんは同じアナウンサーとして、どう思っていたんでしょうか?

清野 自分は絶対に嫌だなという感じですかね。大仁田さんのペースで進んでいくのに軽くアレルギーはありましたね。全部、大仁田さんのペースだったじゃないですか。僕はどちらかというと、猪木さんの意見に賛同していたので、なんで新日本が大仁田さんに合わせているんだろうと。真鍋さんとの因縁も、視聴率がいいからやるんでしょうけど、そこが大仁田さんの思うつぼなのに…っていう観方をしていました。

伯山 アナウンサーとして、真鍋さんみたいな感じでやられるのって、どうなんですか?

清野 自分は遠慮したいですよね。

伯山 そこは乗りたくない。

清野 でも、真鍋さんはよく付き合ったと思いますよ、最後まで。大仁田さんが長州力さんと電流爆破で試合して、負けて担架で運ばれる時も真鍋さんが追いかけていくんですよね。最後まで見届けていた。

伯山 なんか、タッグマッチみたいでしたよね。

清野 そうですね、確かに。大仁田、真鍋タッグですね。最後の方になると、真鍋さんもちょっと笑っていたりするんですけど(笑)。それも含めて、プロレスですよね。

――最後に、全日本プロレスとの歴史的な対抗戦が始まるきっかけとなった渕正信さん(注8)のG1クライマックス来場について。伯山さんは渕さんを絶賛していましたね。

伯山 カッコよかったですよね。スーツを着て、一挙手一投足が決して派手ではない。我々の芸の世界もそうなんですけど、最小限の動きで最大の効果を見せるのがカッコいいので、そういう意味で言うと、渕さんの名人芸みたいな。蝶野正洋さんとリング上で対峙して、闘うのか!? という展開になった時に、蝶野さんはシャツを脱ぐんだけど、渕さんはネクタイをゆるめる仕草だけでそれを表現した。脱がなくてもいい、ゆるめるだけでいいんだという。それがカッコいい。マイクもめちゃくちゃうまかった。新日本ファンへの「お騒がせしました」というセリフのカッコよさ。ジェントルマンだし、渕さんの一人勝ちだったんじゃないですか。

清野 その通りですね。渕さんは、全日本プロレスではラッシャー木村さんにマイクパフォーマンスで独身ネタをいじられる側だったじゃないですか。それをいつも苦笑いしてやり過ごす、言い返さないという役だったのが、え! こんなにしゃべれるの、こんなことできるんだっていう。何年爪を隠していたんだって、ビックリしました。

――そして、次回からはいよいよ21世紀に入っていきますが、プロレス界にPRIDE、K-1などの格闘技の影響が濃くなっていきますよね。

清野 正直言うと、プロレスは格闘技にかなり押されていました。当時、僕のまわりでプロレスを観ている人はいなかったです。職場でPRIDEを観ている人がいて、「清野さん、すごい試合だったね」とか言われましたけど、「この間のIWGPのタイトルマッチが…」なんて話題にはなりませんでしたからね。

――そういう時期に新日本で何が起きたのか…。猪木さんをはじめ、新日本のレスラーたちはどうしたのか…。来月の放送を楽しみにしています!

注7・真鍋由アナウンサー 元FMWの“邪道”大仁田厚が新日本参戦を熱望し、1999年1月4日に佐々木健介戦が実現。そして、2000年7月30日には引退していた長州を引っ張り出し、ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを行う。この間、新日本プロレス中継では、テレビ朝日の真鍋由アナウンサーを相手にした「大仁田劇場」が繰り広げられた。ちなみに、猪木は大仁田参戦に否定的だったという。

注8・渕正信 2000年8月11日、両国国技館。G1クライマックスの休憩時間に全日本プロレスの渕が新日本のリングにひとりで登場。長州と握手したが、蝶野とは一触即発の状態となった。三沢光晴らが離脱し、窮地に追い込まれた老舗を背負った渕の男気あふれる行動で、新日本と全日本の歴史的対抗戦の幕が上がった。

<次回予告>

次回は2001年以降に突入! K-1やPRIDEといった格闘技の台頭で新日本プロレスにさらなる逆風が吹き荒れる! そのとき、清野は? そして伯山は!? ということで、次回までごきげんよう、さようなら!

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