つやちゃん×藤谷千明 今夜はGAL’S TALK 〜003ギャルと病み(闇)〜

気鋭の書き手・つやちゃんと、TV Bros.連載「推し問答!」でもおなじみの藤谷千明による、ギャル対談。
ふたりが交互に「ギャルと○○」なテーマを持ち寄り、交代でテキストを執筆。
前回は「ギャルと歌姫」、今回のテーマは……?

 

今回の書き手/藤谷千明

 

「病んだっていいじゃん」これは、『小悪魔ageha』2008年6月号の表紙キャッチコピーです。
「病んでいる」ということをこんなに堂々と言っていいんだと、当時衝撃を受けました。90年代のギャルといえば、自由で奔放なイメージがあり、性的にも自由だということで、大人たちの間では「(少女には)内面があるのか」という論争まで起きていたそうです。そして00年代に入ると浜崎あゆみだったりケータイ小説だったり「病んだ」世界観がギャルの支持を獲得していきます。誰もがケータイで情報発信するようになり、ギャル自身も自意識をWEBに吐露するようになりました。現代のトー横カルチャーから地雷系、天使界隈に至るまで、ギャルや若者文化はやたらと「病み(闇)」と紐付けられて語られがち。社会の闇から少女の病みを語っていますが、病んでいるのは社会の方かも知れません。大のオトナがギャルについて語る本連載もそうでは? と言われたら、それはそうなんですけどね。

 

つやちゃん×藤谷千明 今夜はGAL’S TALK 〜001拡散するギャル〜

つやちゃん×藤谷千明 今夜はGAL’S TALK 〜002ギャルと歌姫〜

 

「天使界隈」とギャルは『LARME』的なものを間に置くと繋がっている感

 

藤谷千明 つやちゃんは「ギャルと病み(闇)」といえば、何を連想します?

 

つやちゃん ギャルには元々病み要素はずっとあったと思うんです。前回も言及しましたが、ブログだったりケータイ小説だったり。「死にたい」という気分はずっとあった。ただ、SNSが浸透したことでその見え方は変わってきていると思います。最近は「天使界隈」と呼ばれるトライブもありますよね。

藤谷 「天使界隈」! 私はその言葉を先月知ったんですけど、「ああ〜、あのInstagramにいるゲーマーのコンカフェ嬢(※あのちゃんファン)みたいなスタイル、そう呼ばれてるんだ〜」と納得しました。あのちゃんのような、あるいは魔法少女のような出で立ちを「天使界隈」と呼ぶセンスに痺れました。

 

つやちゃん 「天使」や「死」という概念を、怖いものやタブーであるとせず、メルヘンチック、ロマンチックなものとして捉えているように思えて、それはもしかしたら過去のギャルにはなかったのかもしれない。

 

藤谷 厳密に「ギャル」と呼ばれるものではないかもしれませんが、「天使界隈」とギャルは『LARME』的なものを間に置くと繋がっている感はありますよね。

 

編集部(K) 『LARME』はよく、「メランコリック」をキーワードにしていました。

 

藤谷 「メランコリック」を日本語にすると「ぴえん」になるのかもしれません……。

 

つやちゃん しかし、今の時代はもう「メランコリック」みたいなことを言ってる余裕がないような気もします。「ぴえん」の方が逃げ場がなく、追い詰められた末の反射的な反応に感じますよね。

 

藤谷 ぴえん。

 

つやちゃん 今回のために『LARME』創刊号から読み返していたのですが、2号の時点ですでに 「エンジェルヘア」という髪型が載っていて。「人間よりも天使に似合うゆるふわヘアの作り方」っていうコピーが踊ってたんです。

 

藤谷 『小悪魔ageha』では人気モデルのりんさんがお人形のように美しかったことから、「人形になりたい」という特集が組まれていました。それが「LARMEでは」「人間よりも天使」まで来てしまった。それこそ、「人形」や「天使」、あるいは「病み」って、かつては原宿系というが、ゴシックロリータファッションやヴィジュアル系のお家芸だったはずで、インターネットミームとしては「中二病」や「邪気眼」という概念もありました。このあたりが「ギャル」まで含めて混ざってカオスになっているのが現状というか。そうそう、つやちゃんは先日、戦慄かなのさんのライブに行ったときに「天使界隈も地雷系も〈全部〉があった」とツイートされていましたよね。

 

つやちゃん あわあわピンクにロリータ、ドール、ゴス、水色系に天使界隈、地雷系も「全部」がありました。ひとつひとつの装いは「果たしてギャルなのか?」って感じなんだけど、全部集めたら「今のギャル」なんだなっていう、不思議な現場でしたね。

 

藤谷 散らばったギャルのかけらたちが…「全部」。

 

つやちゃん ただ、難しいのが……。

 

藤谷 ?

 

つやちゃん 『LARME』や「地雷系」をギャルとしてとらえるならば、系譜が途切れているように感じませんか? 『egg』『Popteen』的なものと、どう接続するのか。

 

ブログやSNSが主流になった2000年代以降「病み」が表に出てきた

 

藤谷 さらに遡って、「ヤンキー」の「病み(闇)」について話してもいいですか。7月に『特攻服少女と1825日』、『「いつ死んでもいい」本気で思ってた・・・』、と「ティーンズロード」を追ったノンフィクションが2冊刊行されたのですが、どちらも根底にあるのは不良少女の切実な情念なんですね。そして、90年代前半の「Popteen」はヤンキー雑誌と呼べる内容でした。それが徐々にギャル方面に舵を切っていく。「ギャル」は新しいもので「ヤンキー」は古いものとしたい。だからこそギャルを「自由で無意識な存在」と描いていたのではないでしょうか。実際『特攻服少女と1825日』でも、当時のヤンキーとギャルに共通点を見出していましたし。本人たち「見方」が違ったというか。

つやちゃん ヤンキーからギャルへ、という変化は非常に重要だと思います。これは、ヒップホップをはじめとするストリートカルチャーが常にヤンキー性とギャル性を持ち合わせてきたことともつながる話かもしれません。両者は重なっている部分が多いですよね。私の仮説ではそこで重なっていない部分こそが「可愛い」に対する趣味嗜好だと思うのですが、それはちょっと本筋からズレるのでまたどこかで。

藤谷 なるほど。だから、最初につやちゃんがおっしゃっていたように「10代の少女の自意識のありよう」みたいなものの根底はそこまで変わってないように思うんです。だからこそ、ブログやSNSが主流になった2000年代以降「病み」が表に出てきた。それを速水健朗さんは『ケータイ小説的。』で「再ヤンキー化」と呼んだのかもしれません。

 

つやちゃん 病みを吐露できる環境になったということですよね。かつ、それによって共通のコードで同族であることを認識し合ったり、連帯し合ったりできるようになった。でも、その後『小悪魔ageha』から2010年代のインフルエンサー系ネオギャルに至るまで、段々とギャルの起業家精神みたいなものへの注目が高まっていくじゃないですか。キャバ嬢から始まって、自分のブランドを持ったり起業したりというギャルが増えていく。ギャルとしての見せ方/見え方と生身の人間がどんどん密接につながっていきました。age嬢にはJESUS DIAMANTEが人気でしたが、あれって通常のギャル服よりもだいぶ高価ですよね。そこには水商売ならではの稼いでる自慢みたいなニュアンスもあるのかもしれないけれど、稼げる自分やその努力と「かわいい」がどんどん繋がっていった気がします。その構造は、病んじゃうよねと思う。

 

藤谷 お姫様だけど自分で稼いでいる的な。

 

つやちゃん  そう、自分で稼ぐお姫様と化していった。ある意味、現実的。お姫様という偶像は『LARME』にも繋がるんだけど、「ゆめかわいい」という言葉が生まれた通り、『LARME』以降ってもっと現実逃避へと向かいますよね。夢と現実が地続きになった。それはもはや現実が直視できないくらい醜悪なため、夢へと逃避しているとも言える。ファッションブランドの縷縷夢兎は、「感情を綺麗に吐露し生まれるクリエイト、嘔吐クチュール」というコンセプトを掲げていますが、「夢」と「現実の毒々しさ」の表現がすごく繊細ですよね。『LARME』とリンクするものがあると思う。かつては「現実」の対として「夢」があったけど、それが今は「天使界隈」や「Y3K」といった形で手の届くリアリティとして描かれる。そのあたりの境目がなくなってきたことで、当然ながら表象される「病み」の景色も変わってきている。何にせよ、ギャルの中でのヤンキー性は表向きはどんどん姿を消して、夢と空想にどうやって耽るとかという気分が強まっていったのは確かだと思います。

 

藤谷 夢と現実の境界線。それで思い出したのが『LARME』が休刊を経て2020年に復刊しますよね。復活後に地雷系ファッションと歌舞伎町を取り上げるじゃないですか。『小悪魔ageha』的な「夜の街」の感性がここで戻ってくる。あれが従来の読者からの反発を招いていましたけど、それは仕方ない。非現実の花園、女子校だと思っていたら、急に歌舞伎町のトー横とかシネシティ広場にドンと移動させられたようなものですよ。『漂流教室』ですよ。ただ、マインドは脈々と続いていた。それこそ新宿TOHOビル周辺に集まる若者たちの「トー横界隈」が勃興したとされるのも2020年前後だったはず。

 

2020年前後はギャルカルチャーのひとつの節目

 

つやちゃん この2020年というのは一つの節目として捉えられるかもしれません。ちょっと潮目が変わりはじめるんですよね。いわゆる“治安の悪いギャル”が復権しはじめた。コロナ禍における不況の煽りもあるのでしょうけど、特殊詐欺をはじめとして物騒な事件も増えました。ヒップホップの界隈においても、ヤンキー性を持ったラッパーが改めて台頭してきます。と同時に、一般層においてはギャルの精神性、エンパワーな側面が再評価されはじめましたね。valknee、田島ハルコ、なみちえ、ASOBOiSM、Marukido、あっこゴリラによるZoomgals発足のきっかけになった『Zoom』も2020年です。

藤谷 この連載でつやちゃんがよくお話されている、エンパワメントとしてのギャル。そのルーツには藤井みほな『GALS!』(集英社)があると思うのですが、その続編『GALS!!』の連載開始は2019年です。『現代思想2020年3月臨時増刊号 総特集=フェミニズムの現在のフェミニズム特集』でも、「「ギャル(文化)」と「正義」と「エンパワメント」――『GALS!』に憧れたすべてのギャルへ」という関根麻里恵さんの論考が掲載されていますし。

 

編集部(K) 2020年前後に、「ギャル」の分岐点が生まれていたのかも知れないですね。

 

藤谷 その一方で「テレビタレント」としてのギャルはずっと「元気で、常識はないかもしれないけど、大人に物怖じせずに、鋭いことをいう」みたいなイメージがありません? 「ギャルを会議に」みたいなビジネスもそうですけど、あえて「ギャル」のコスプレをしているというか。ギャルオリエンタリズムというか。私の中では、「ギャル」は、「記号としてのギャル」と「社会の周縁にいるギャル」の間にいると思っていて。

例えば、ゆきぽよは『バチェラージャパン』出演で注目された「ギャル」ですが、セレブな恋愛リアリティーショーの中では「ギャル」の記号をまとっていたと思うんです。それが、ゆきぽよの自宅で薬物で逮捕された人物がいるという報道が出たときに「先輩だから断れなかった」とコメントしていたことが記憶に残っていて。それってどんなに軽やかで奔放なキャラでも、日本的というか、ヤンキー的な縦社会からは逃れられないってことじゃないですか。そこでなんか「これが現実だ……」と思ってしまったというか。まあ、ゆきぽよは先日放送された『ダウンタウンDX』のギャル特集では「(eggモデルの)先輩に脚立で殴られた」というエピソードをお出ししてくるなど、今でもどこか「暴力」の気配をさせているお方ですが……。

 

つやちゃん だから、表に出ていなかっただけで、夢に逃避していた時代もいつだってギャルにはいわばヤンキー性みたいなものが息づいてきたのかもしれませんね。病みもヤンキーもずっと昔からあるものとして……。

 

藤谷 やはり世間は私含めて「ギャル」に託しすぎなんですよ。「ギャルの病み(闇)」じゃないですよ。

 

編集部(K) 今回のテーマは藤谷さん発案ですよ!

 

藤谷 (無視)。ギャルの問題は社会に紐づけられやすいというか。「女子高生が下着を売っている! テレクラを使っている!」「若い女性がキャバクラ嬢になりたいと言っている!」みたいな、社会の「病み(闇)」として語られがちというか……。
だから「社会」というか、外側から語られる「病み(闇)」なんですよね。だからね、世間や社会のほうが病んでいるんですよ(?)。
だって個別のギャル、少女が何を考えているのかわからないでしょう。90年代に援助交際している女性も、20年代にトー横にいる女性も、内面はわからないじゃないですか。

なのに過去には学者や評論家が「ギャルに内面はあるのか?」みたいな論争してたんでしょ? それを知って「どっちが正しいか正しくないかはともかく、なんで登場人物、全員おっさんやねん」って思いましたけど。託すな託すな!

 

疲れた現代人が「ギャル」にすべてを託そうとしている説、あると思います

 

編集部(K) そういう男性たちは、もしかしてギャルになりたいんじゃないですか?

 

藤谷 なりたいのかなあ。少なくとも、ギャルを語るのはたしかに楽しい。だから我々もこの連載をしております。ああ、あの人たちは「楽しかった」んですね。神妙な顔してたけど、ぜって〜楽しかったんですよ。めっちゃ脳から汁が出てたに違いない。

ちなみにつやちゃんはギャルになりたいと思ったことはありますか?

 

つやちゃん う〜ん、難しい質問ですね。無責任に「なりたい」とはなかなか言いづらいところもありますけど。

そもそもギャル云々以前に「男性を楽しむ」という概念が世の中にはないじゃないですか。「女性であることを楽しもう」「ギャルを楽しもう」みたいな発想は成立したとしても、これまでの社会におけるマジョリティ-マイノリティの前提を考えると「男性を楽しもう」というのは成立しない。

 

藤谷 うるせえ〜! 女性も別に楽しくなんかない(笑)。いや、楽しいときもあるが楽しくないときもある。にんげんだもの!
そういえば、「女だったら絶対キャバクラとか風俗で働いてるな〜人生ちょろいな〜」とかいう男性もいるじゃないですか、稀に。「なんでお前は売れっ子設定なんだよ」ってなるじゃないですか。じゃあ、今すぐ働け、この世にはホストも女性用風俗もある。がんばれ!

 

編集部(K) 藤谷さん、落ち着いてください!

 

藤谷 『小悪魔ageha』の「病み」や「闇」って、夜の街で生きていくことや、恋愛やDVに苦しんでいるという切実さが根底にあった。それこそある種のシスターフッドですよね。『小悪魔ageha』の記事でびっくりしたのが、「彼氏から殴られたときは、オーバーに後ろに下がるとダメージが軽減される」みたいなTIPSがあったんです。そんな「暮らしの知恵」、そもそも存在してはならないんですが、それを共有することで生まれる絆もあったんですよね。

 

つやちゃん あと、「女の子はみんな幸せになるために生まれてくるんだよ」みたいなテーゼって『LARME』を読んでいると頻繁に出てきますよね。

 

藤谷 『egg』も「ウチら最高! ギャル楽しい!」みたいな世界観ですよね。

 

つやちゃん 女の子であることを楽しんでいるというか。その裏返しである「男の子であることを楽しもう」なんていう発想、男性ファッション誌からは出てこない。あっても、きっと別の意味になってしまうと思う。

 

藤谷 ただ、「少年の心をいつまでも持ってます」的なものはずっとありますよね。成人した女性が「少女的なもの」を愛でるのがアリとされるようになったのは、本当に最近だと思います。それこそ、90年代のコギャルがキティちゃんを持っているだけで「子供じゃないのにキャラものなんて」と言われていた時代もあったはず。

 

つやちゃん そうですね。そういえば、「天使界隈」ではポチャッコやシナモロールが人気ですし、サンリオキャラの話もしたかったんですけど。

 

藤谷 それも、おいおいやりましょう。たしかに「男の子って楽しい! CAN MAKE TOKYO!」はないんですよね。そこには「男性」の問題が潜んでいるのかも知れないですね。「どっちもつらいよ」と言いたいわけでもなく。

 

つやちゃん 病みも闇も皆ありますからね。そもそも「ギャルと病み(闇)」というテーマが傲慢ということですよ! なぜギャルだけそんなに病みや闇についてあれこれ言われなきゃいけなのか?……今回の議論が全て無に帰すようなことを言ってしまいました。

 

藤谷 属性からは自由になれないわけですから。だからこそ、皆ギャルの「キャラ」に救いを求めてしまう。でもギャルだって人間だし、それぞれの病み(闇)はありますからね。そうだ、……思いつきました。みんなギャルのキャラをまとって、VTuberになればいいんですよ! 評論家や学者さんたちも、今ならギャルになれますよ! やったね! 革命じゃん!

 

つやちゃん ……オチを投げてませんか?

 

 

つやちゃん●文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿。著書に、女性ラッパーの功績に光をあてた書籍『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)等。2022年~オルタナティブな美の在り方を考える活動『コスメは語りはじめた』を共同で発起。

 

藤谷千明(ふじたに・ちあき)●1981年、山口県生まれ。フリーランスのライター。高校を卒業後、自衛隊に入隊。その後多くの職を転々とし、フリーランスのライターに。ヴィジュアル系バンドを始めとした、国内のポップ・カルチャーに造詣が深い。さまざまなサイトやメディアで、数多くの記事を執筆している。近年はYoutubeやTV番組出演など、活動は多岐にわたる。著書に 『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』(幻冬舎)。共著に 『アーバンギャルド・クロニクル「水玉自伝」』(ロフトブックス)、 『すべての道はV系へ通ず。』(シンコーミュージック)などがある。 Twitter→@fjtn_c
「推し問答!〜あなたにとって推し活ってなんですか〜」連載中!

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