吉祥寺 明け方のサンロードと七井橋の真ん中で響く歌 表現者の街【2022年3月 世田谷ピンポンズ連載「感傷は僕の背骨」】

文/世田谷ピンポンズ 題字イラスト/オカヤイヅミ 挿絵/waca

 

「表現者が、多すぎる!」

小さなライブハウスのどんづまりのステージで、初老のミュージシャンが叫んでいる。すさまじいまでの轟音と土砂降りを思わせるノイズ、彼が繰る見たこともない機材から放たれた音が場を支配している。なぜか機材の横にそっと置かれた薄汚れたピカチュウの人形の目はランプになっているのか、轟音に合わせて赤く明滅を繰り返している。怖い、というより、むしろ訳が分からない。リハの時はあんなに物腰が柔らかそうだったのに。吉祥寺のとある雑居ビルの四階、そのライブハウスは、むしろ来るものを拒んでさえいるようだった。

 

 

僕にとって吉祥寺は表現者の街だ。高田渡や斉藤哲夫、武蔵野タンポポ団というフォークのイメージに加え、映画『ライブテープ』ではシンガーソングライターの前野健太さんが街を歌い歩いた。僕はときどき「いせや」の煙を浴び、井の頭公園のベンチに腰掛けるためだけに吉祥寺へ行ったりした。井の頭公園に沿って建つマンションのどこかに漫画家の大島弓子がいる。そんな空想を広げながら、ずっとひとりでベンチに座っていた。音楽を始めた当初、意を決して路上ライブをやろうと、花見シーズンの井の頭公園を友達とギターを持って何周もうろうろした挙句、いせやで飲んでそのまま帰ったこともあった。

その頃、この街で数人の路上ミュージシャンと出会った。

彼らは主に夜のサンロード、紳士服屋のシャッター前に陣取って歌っていた。路上ライブというものは、初めの一曲を歌い出すまでが特に緊張するものだ。通り過ぎていく不特定多数に向けて歌うということは、ツイッターみたいに呟いた瞬間、吐き出した言葉が「つぶやき」という名のもとに軽くなって、すぐに虚空に消えていくような気楽さを伴う反面、その行為が他人の反応やそれを期待する自分の意識からは決して逃れられないのと同じように、完全に人の目を無視することはできない。気にしていないという体を取りながら、結局、凄まじく人の目を気にしながら歌うことになる。そして大抵の場合、その歌声は誰の耳にも届かず、街のBGMにさえならずに、文字通り虚空に消えていく。路上で歌うたびに何度も心が折れそうになった。友達やお酒の勢いを借りたときだけ、そんな煩悶から逃れられたけれど、良いことなのかは分からなかった。ひとりで路上に立つなんて、想像するだけで怖気立った。その点、彼らは堂々とシャッター前を自分たちのステージにしていた。彼らはただ路上で歌うだけではなく、企画を催したり、工夫を凝らして、路上から音楽の世界に立ち向かっていこうとしていた。たまたま通りかかった音楽界のお偉方が声をかけてくれる、みたいな夢想に身を任せることもなく、なんとかここから広い世界へ出ていくのだという意志が彼らにはあったように思える。大学を卒業してから、なんとなく流れで音楽をすることになった僕にとって、そんな彼らの存在は刺激的だった。僕はその頃まだ二十代半ばだったけれど、中には三十代半ばくらいの先輩もいた。彼らはいつも堂々としていて、年の離れた僕をリードし、色々な街の路上に連れ出してくれた。

 

明け方のサンロードで先輩が歌っている。足を上げたり、飛び跳ねたり、動きを駆使して歌うのが彼のスタイルだった。観客どころか通行人すらいないアーケードをところ狭しと動き回っている。

「ブーブー。ブーッ。ブッブーッ。ブーッ。ブーッ」

先輩の背中にトラックのクラクションが何度も鳴り響く。派手な動きが明らかにトラックの邪魔になっている。通行人のない早朝だからこそアーケードを通ることができるのに、そこにちゃかちゃか動き回る人がいたら危ないし、何より腹が立つだろう。運転手はいかにも気が立っていそうで怖かった。ちょっと横によけて先に通してしまえばいいのに、そう思った。しかし先輩は言い放つ。

「この歌、歌い終わるまで待ってよ!」

そして、おもむろにまたギターを弾き始めると、クラクションによって中断された歌を最後まで歌いきり、トラックに道を譲った。

 

 

別の日、先輩と僕にもう一人を加えた三人で路上ライブをすることになった。もう一人はレコードみたいな名前のロックバンドのボーカルで、当時もう四十歳近い方だった。その彼が中心となって何度も打ち合わせをし、三人の自己紹介が書かれたチラシを作ったり、いつもは生音でやるところ、マイクや小さなアンプまで用意したりと、少し手の込んだ路上ライブが企画された。彼は路上をライブハウスにし、通行人に自分たちの音楽を知らしめる、そんな意気込みを持っていたようだった。

サンロードの入口近く、靴屋のシャッター前に陣取り、一人ずつ歌っていく。その間、他の二人はチラシを通行人にせっせと配る。誰も立ち止まらないが、チラシを撒く手は止まらない。アーケードの人通りが多いことは好都合なのだろうが、無駄に緊張する。僕は大人二人の手前、日和っているわけにもいかず、慣れないチラシ配りに精を出し、自分の番には頑張って声を張り上げて歌ったところ、素行の悪そうな青年たちに「長渕、歌ってよお」と絡まれたりした。

僕が絡まれている最中にコンビニだか、トイレ休憩だか、もしくはその両方に行っていたロックバンドのボーカルが血相を変えて帰ってきた。

「こんなにビリビリにされて道に捨てられていたんだよ。信じらんねえよな?」

彼の手の平の上には件の自己紹介チラシの破片がたんまりのっていた。路上からメジャーへ。きっと誰かが見つけてくれる。そう信じて彼が力を込めて作ったチラシだ。そんな大切なチラシが破られて無残に捨てられていた。彼の鼻息は荒かった。

しかし僕は、チラシを破って捨てた人間よりも、わざわざチラシの破片を拾って持ち帰り、報告してくる彼に猛烈に腹が立った。自分の歌には力を込めるくせに、他人の出番には無頓着だというそのことにも、もちろんひっかかっていたし、何より「俺はこんなに傷ついた。お前らも当然傷つくよな? 俺たち全員が踏みにじられたんだぜ」みたいな甘ったれた感覚の共有とぬるまったい連帯感の強制にひどく白けたのだった。

 

 

あの頃、井の頭公園の夜はいつもたいてい静かだった。僕たちは動物園のシャッター前に集まってよく歌った。少し興が乗ってくると七井橋の真ん中に行った。月に照らされた水面がスポットライトになり、スワンボートは歌に寄り添うように揺蕩っていた。池の中心に陣取って歌うのは気持ちが良かった。そこは僕たちだけのステージだった。

友達との別れの夜があった。今日だけはこの歌声がいくら虚空に消えようと構わない。この夜は僕たちだけのもの。別れが僕たちを大胆にし、感傷が僕たちを鈍感にした。何にも煩わされることなく、何も気にすることなく歌えた唯一の夜かもしれなかった。タガが外れ、感覚が弛緩していた。深夜に警察官に注意されるまで、僕たちは歌い続けた。

 

 

狭い通路の奥にあるエレベーターに乗り、雑居ビルの四階まで登る。何の色気もない黒いドアを開けると、そこにかつて小さなライブハウスがあった。まず目に入ってくるのはバーカウンター、その横にはフロアが広がっていて、店全体はどぎついくらいのオレンジ色をしていた。

初老のミュージシャンの轟音とノイズの雨が止んで、次のミュージシャンがステージに向かった。彼はマイクの前に立つと開口一番言い放った。

「表現者が多すぎるって? 俺はそうは思わねえなあ!」

彼はギターを振りかぶらんばかりに掻き鳴らすと、大きな声で歌い始めた。

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TV Bros.編集部
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