永井"ホトケ"隆 PART2 「過酷な毎日のなかでも、心の内にある衝動を吐き出すことで癒される。そんな力がブルーズにはある」【不定期連載「旅と酒とブルーズと」】

70年代半ばに京都から巻き起こったブルーズ・ブームの中心的存在として注目されたウエスト・ロード・ブルース・バンド。そのヴォーカリストとして輝きを放った永井”ホトケ”隆のインタビューPart2! 約50年にわたってブルーズを歌い続け、様々な経験を重ねてきた人だけが語れる、興味深い話が聞けるはず。あぁ、ブルーズの沼にずぶずぶハマってしまいそう(?)。 

取材・文/染野芳輝

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自分が納得できる形ならポップでもなんでもやりますよっていう気持ちも持ってましたよ

ーーさっき、ビーイングから出した2枚のソロ・アルバムはブルーズではなくポップだとおっしゃってました。僕は、ブルーズに根ざした活動を続けてきたホトケさんが自分の枠を広げようとする、いい試みだったと思うし、けっこう好きなんですよね。

あぁ、嬉しいですね。とくに2枚目の『Fool’s Paradise』は日暮(泰文)さんとかブルーズ系の評論家の方からもいい評価をいただけたんです。ところが、96年といったらタイアップの時代ですよ。ビーイングはそれで急成長したレコード会社だったし。ドラマやアニメ、CMのタイアップがあれば売れる。逆に言えば、タイアップがなければ売れない時代。ビーイングのスタッフも奔走してくれたみたいだけど、結局タイアップはつかず、売れなかった。落胆しましたね、あの時は。

ーーご自分としても仕上がりには手応えがあったんですね。

ありました、ありました。『Fool’s Paradise』は、プロでュース/アレンジをしてくれた中村キタロー君(現・きたろー)の家で長い時間かけてプリプロをやって制作したんだけど、中にラップをやってる曲があるでしょ? あれは彼のアイディア。「ホトケさん、ラップやりませんか?」って。

ーーエレクトロ・ファンク調のサウンドにラップを乗せた「Love Yourself」ですね。

ブルーズやソウルのアイディアは僕から出し、キタロー君はいろんな人とコラボレートしてきた経験からくる豊富なアイディア、俺には思いつかない新しい要素も提案してくる。そうやってお互いにアイディアを出し合って新しいサウンドを作ることができた。とても濃密で生産的なレコーディングだったな。それだけに、もうちょっとなんとかならなかったか、残念で仕方ないんですよ。

ーー本当に。シングル、アルバム共にミリオンセラーが毎月何枚も出て、音楽シーンが活気づいていたのに、いい音楽が見過ごされがちだった。まさにタイアップの功罪ですよね。でも、タイアップをフル活用して成功したビーイングが、同時に近藤房之助さんやホトケさん、クンチョーさんのアルバムも出してたというのは、ちょっといい話だな、と。

まぁ、そうですね。長戸大幸さんにはいろいろ助けてもらいましたからね。昔、京都にいた頃からウエスト・ロードのことを応援してくれて、90年代にはソロやさっき話したニューヨークのライヴ・アルバムも出してもらった。きっと、あんなに大きな成功を手にしても、心のどこかにブルーズへの思いが残ってるんでしょうね。感謝してますよ。ただ、アーティスト契約する話はお断りしたんです。アーティスト契約すれば毎月給料が出るし、それがかなりの高額。ちょうど子供が生まれたばかりの時だったから、もうグラグラしましたねぇ(笑)。でも、聞いてみたんですよ。もし「ポンポコリン」みたいな曲を提案されたら、やらなあかんの?って。当然、「そうやね。CMもテレビも、機会があればやってもらう」と。なので「1週間考えさせてください」って1週間、考えに考えましたけど、やっぱり俺には無理! そう思ってお断りしました。俺には提供された曲を歌う器用さもないし、音楽的な興味もない。それをやれたとしても苦しいだけだと思うんで、「やっぱりお断りします」って言ったら、「わかった。じゃあワンショット(1作品ごとの契約)でやろう」って、あっさり。当然、断ってくるだろうって分かってたんでしょうね。

ーーホトケさんってブルーズ一筋で、ポップであることや売れることには見向きもしない人って思ってるファンもいるかもしれないけど、決してそういうわけじゃないんですね。

さっきも言ったように、あと何年できるかわからない歳になってきたから、もう自分がやりたいことだけをやろうと思ってますけど、今までは自分が納得できる形ならポップでもなんでもやりますよっていう気持ちも持ってましたよ。あのね、クンチョーさんがビーイングと契約してた頃、ビールのCMをやったんだけど、それがいい曲だったんですよ。でも、クンチョーさんはライヴでその曲をやらない。なんで?って聞いたら、「あれは言われてやった曲やから」って。たとえそうでも、いい曲なんだからやればいいのにね。あの曲目当てでライヴに来た客が、クンチョーさんオハコの「ラヴ・ミー・テンダー」を聴けば、もっとクンチョーさんを好きになリますよ。だから、もったいないなぁって思うね。キー坊(上田正樹)の「悲しい色やね」がヒットした時も、悪く言う人がいたんです。なんで?って思うよね。この前、松山で同じコンサートに出た時、キー坊が「悲しい色やね」を歌うのを聴いたけど、やっぱり上田正樹なんですよ。いい曲だと思う。他の人が書いた曲だからとか、売れたからとか、どうでもいい。そもそも、売れたからダメってどういうことやねんって感じですよ。それまでずっと貧乏してやってきたんだから、一度ぐらいヒットしたってバチは当たらんやろ(笑)。そう思わん?

ーー異議なしっ! それにしても、ホトケさんとほぼ同時期からやり始めて、紆余曲折がありながら、メジャーを離れた現在も全国をツアーして回ってるミュージシャンたちが健在だというのは嬉しいことです。ホトケさん、房之助さん、上田さん、木村さん、有山さん……。

みんな自分のペースでね。それは嬉しいことなんだけど、なんだか特殊な感情があるんですよね。いかにも仲間って感じのベタベタした関係じゃないし、だけど互いのライヴに呼び合ったり、いろんなコンサートで一緒になったりして……。

ーーでも、どこかで同志みたいな感覚もあるんじゃないですか?

そうだね。とくに房之助はずっとブルーズをやってきた盟友っていう感覚はありますけど、東京のティン・パン・アレイ周辺のミュージシャンみたいな密な感じではないんですよね。

ーー同じバンドでやってきたわけじゃなく、ずっと並行して活動してきたからですかね。俺は俺、だけどアイツのことはいつも気にしてる、みたいな。

あぁ、そうかもしれんね。

ーーそんな人たちの音楽がたまらなく好きで、この「旅と酒とブルーズと」という連載を始めたんですけど、ツアー中心の日常についてどんな思いを持ってらっしゃいますか?

日本ではヒット曲があってテレビに出ないと続けられない状況というのがありますけど、テレビに出ないわブルーズ歌ってヒット曲なんてないわとなったら、手っ取り早く日銭を稼ぐにはライヴですよ。だから、音楽なんて言ってるけど、日雇い労働者です(笑)。でも、アメリカのブルーズマンはみんなそうですからね。弾き語りの時代から、ギター1本持って旅に出てライヴをやって、ギャラをもらってまた次の街へ行く。そういう音楽ですからね、もともとが。

ーー若い頃はそういう在り方に憧れたりも?

憧れはちょっとあったけど、実際にやってみたらしんどさの方が全然多かった(笑)。ましてやバンドでやってると、メンバーそれぞれにいろんな事情が出てくるんですよ。子供が生まれた、親が死んだ、家業を継がなきゃならない、などなど。吾妻がブルーヘヴンを辞めた時もそうですよ。親父さんが亡くなってたんで、大学を出たらお母さんの面倒を見なきゃならない。なのでテレビ局に就職する、と。バンドとしては吾妻を失うのは本当に痛かったけど、それは仕方ないですよね。俺が吾妻と同じ立場だったら、同じ選択をしたと思うしね。で、吾妻に言ったんですよ。仕事してても音楽はできるぞ、と。アメリカでは自動車の修理工しながらとか、セールスマンやタクシーの運ちゃんしながらやってるブルーズマンはいっぱいいますからね。で、吾妻は見事にやりきったじゃないですか。立派ですよね。そして、ちゃんと勤め上げて、こっちに戻ってきた。頭が下がりますね。

ーー定年退職してプロ入り。

前からプロでしたけどね。彼がやってきたのは間違いなくプロですから。前に森園(ギタリストの森園勝敏)と話したんですよ。プロってなんやろうな、って。俺たちはプロ、か? 技術的なことを言うのか、それで収入を得ていることを言うのか。両方の意味でもプロと言えるのか。そうしたら森園が「セミプロぐらいかねぇ」なんて言うてましたけど(笑)。

ーーワハハ。面白い。ある意味、達観してるというか。

でもまぁ、これで食べてるんだからプロなんでしょう。で、さっきのツアー暮らしへの憧れという話なんだけど、憧れ以前に、そうしなければ生活していけないっていうのが先なんです。ましてCDが売れない時代ですから、ツアーに行かないとアルバムを買ってもらえない。手売り、ですね。言ってくれればメンバーのサインをしますしね。

次はマディ・ウォーターズのカヴァーをやろうと思ってる。

ーーでも、ホトケさんはblues.the-butcher-590213でコンスタントにアルバムをリリースしてますよね。

あ、今度、弾き語りのレコードを出すんですよ。

ーーえっ? 弾き語りってことはソロですね。

そう。もう録音も終わって、8月17日に発売されます。10インチのアナログEPなんで、今、外国にプレスを頼んでいて。

ーー10インチですか! シブいですねぇ。LP以前のアルバムみたいな感じですね。なぜその形にしたんですか?

去年、マディ・ウォーターズの未発表作品が10インチのアナログで出て、それが良かったんですよ。それに刺激されて、この形に。俺の場合、片面に4曲ずつ入れたんですけど、10インチがちょうどいいサイズなのね。で、アナログ・プレイヤーを持ってない人のために、ダウンロード・カードを付けます。ダウンロードしてCDに焼くなりなんなり、好きにして、と。これは、僕がやってるラジオ番組が今年で10周年を迎えるのと、そのスポンサーである青南商事が設立50周年を迎えるんで、その記念に何かやろうか、と。で、その社長が「ホトケさん、今までやったことのないことをやりませんか?」って言うんです。やったことのないこと? 弾き語りぐらいかな。でもそれは無理だろう、なんてぶつぶつ言ってたら「それ、やりましょう!」って、あっという間に決まってしまった(笑)。それで、1月にレコーディングしたんですけど、やってみたら俺が家で練習してるみたいなもんなんですよ(笑)。こんなんでいいのかな?って訊いたら、みんないいって言うし、「こんなホトケさんを聴きたいっていう人、多いんちゃいますか」って言うから、だったらいいか、と。で、弾き語りのツアーもやります。もう歳も歳やから、弾き語りのアルバムを出して、もっと何か新しいこと、弾き語りのツアーにトライするっていう命題を自分に課すのもいいかもしれないでしょ?

ーーへえ、チャレンジングですね。楽しみです。一人でツアーするのは初めてなんですか?

二人はあるけど、完全に一人っていうのは初めて。戦前のブルーズマンのように、ギター1本持ってツアーする、初めての試みですね。

ーー弾き語りのアルバムと一人だけのツアー。シブいけど攻めてるなぁって感じます。

どうなるか、自分でも楽しみですよ。今まで俺をサポートしてくれてきた全国の店やお客さんの所に、初めて一人で行くわけですからね。

ーーやっぱり打ち上げを楽しんでしまうタイプですか?

ずっとそうだったんだけど、最近は飲めなくなってしまって。歳のせいだね。それが残念。でも、酒の席にいるのは好きですよ。ああでもない、こうでもないって楽しく、でもけっこう真剣に話せるじゃないですか。音楽の話も遠慮なくできる。楽しいですよ。

ーーそうかぁ、あまり飲めなくなってるんですか。

そう。歳をとったってことですよ。自分が老化してるのは気づいてるし、周りの友達がだんだん亡くなっていくのを見ると、自分も死ぬっていうことを意識せざるを得ないんですよ。昨日、有山がね、「俺が死んだ時のために暗証番号を教えといてくれって嫁さんに言われたわ」って話してて笑ったんだけど、確実にその日は近づいてるわけですよ。だから、あとは何をやって、どういうふうに生きていくかを考えますよね。今はまだライヴ10連チャンとかやれてるけど、次第に1週間になり3日になり、いずれツアーができなくなる日が来るわけです。その前に、やれることはやっておかなきゃね。でもね、つい先日、小坂忠さんが亡くなりましたよね。あんなに一生懸命に闘病されていて、それでも素晴らしい歌を歌い続けて……。でもアカンかったかって、残念な気持ちでいっぱいですよ。

ーー本当に残念ですよね。だからこそホトケさんは、やれることは全部やる、と。弾き語りの10インチEP『Kick Off The Blues』とソロ・ツアーの後、見えていることはあるんですか?

今やってるblues.the-butcher-590213はできる限り続けていきます。もうアルバムのアイディアもあって、次はマディ・ウォーターズのカヴァーをやろうと思ってる。自分が一番最初に好きになったブルーズマンですからね、全曲マディの曲でアルバムを作ります。そのためにマディ・ウォーターズのスライド・ギターを「どうやって弾いてるんか、わからんわぁ!」なんて言いながら練習してる俺が、なんだか中学生みたいで笑っちゃうんですけどね(笑)。おぼつかないし、ほんの微々たる進歩だけど、それでも進歩してるって思えるのはいいことなんじゃないかな。

ーー歳だ歳だって言いながら、めちゃくちゃやる気じゃないですか!

いやいや、大したことないですよ。大きな望みなんてないしね。武道館でライヴやるとか考えたこともないし、天下取りたいなんて一度も思ったことないからね。ただ好きな音楽を気ままにやってきて、ご飯も食べられたし、子供も大きくなったし、これでいいかなって思うんですよ。それでも時々、「そうだ、弾き語りのアルバム作ろう」とか「マディのカヴァー・アルバムはやっておかなきゃな」とか、次々とアイディアが出てきて尽きないんだけど。

Photo by 菅原一剛

B.B.から「Keep On! Keep On Singing The Blues!」って言われて、その言葉に励まされて今日までブルーズを歌い続けてこられた。

ーーう~ん、素晴らしい。ホトケさんは音楽活動に付随してラジオのDJをずっとやったり、雑誌の連載を続けたり、ブルーズにまつわる漫画の監修をしたり、すごく多彩な活動をされてますよね。

結局、いくつになっても“知りたい”っていう気持ちが衰えないんですよね。知ったら、それを誰かに伝えたい、共有したい。雑誌に書くのは、そういうことなんでしょうね。最近もエスター・フィリップスとアレサ・フランクリンの関係について書かれたライナーノーツを読んで、これほんとかな?と思うことがあって、もう調べずにはいられなくなってしまって。今はネットでいくらでも調べられるじゃない? 知らなかったことが次から次へと出てくるんですよ。それが楽しくて仕方がない。で、エスターとアレサのことは「BLUES & SOUL records」の連載に書いたんで、興味がある方は読んでほしいですね。

ーー読みました。面白かった。あの連載のタイトルが「Fool’s Paradise」で、さっき話に出た2枚目のソロ・アルバムのタイトルも『Fool’s Paradise』。何か思い入れのある言葉なんだと思いますが。

あれはサム・クックの曲のタイトルからきてるんですよ。いつも同じ過ちを繰り返してる馬鹿者たちのパラダイス。たとえば、毎晩酒を飲んで金使ってを馬鹿みたいに繰り返してる。そんな自分に向けてお母さんか誰かが「あんたはフールズ・パラダイスにいつもいて、そこから出ないのね」って嘆く歌。それを聴いてて、まさに俺や房之助のことやなと思ってね(笑)。金もないのに毎晩のように飲んでましたからね、俺たち。でも、ブルーズっていう音楽にもそういうところがあって、やってることは大して変わらないのにアルバムが出るたびに買ってしまう。まさにフールズ・パラダイスやないですか。

ーー今でもそこにいるっていう意味も込めてるんですね。もうひとつお聞きしたいんです。ウエスト・ロード・ブルース・バンドの1stアルバムが『BLUES POWER』で、沼澤さん、浅野祥之と組んだバンドもTHE BLUES POWERでしたよね。

今やってるラジオ番組のタイトルも「BLUES POWER」。

ーーあ、そうでした。それだけBLUES POWERという言葉に込める思いが大きいんだと思いますが。

そうですね、やっぱり。単純に言えば“ブルーズの力”ってことなんだけどね。ブルーズっていう音楽がどうやって生まれたか、今となっては本当のところは分からないんですけど、確かなのは黒人たちが奴隷制から解放された後に生まれた音楽だってことなんです。奴隷時代は歌うことすら許されなかった。で、今日から自由ですよ、どこに行ってもいいですよと言われたけど、土地があるわけでもないから結局、小作人になって厳しい労働に耐えるしかない。でも、初めて歌うことで自分たちの表現を手にすることができた。仕事を終えて、住んでる小屋の軒先で「今日もキツかった」とか「金がないから女房は出ていっちまった」とか歌うわけ。それは誰に向けて歌ってるかといったら、自分に向けてなんですよね。自分を慰めるために心の内にあるものを吐き出す。それをある人は“ブルーズ衝動”と表現したんだけど、そういう衝動がなければ成り立たない音楽なんですね、ブルーズは。過酷な毎日のなかでも、心の内にある衝動を吐き出すことで癒される。そんな力がブルーズにはあるということです。また吾妻の話になっちゃうけど、彼は仕事を終えて疲れてるのに、寝る前の時間を惜しむように曲を作ってたんでしょう、たぶん。「俺の家は会社」なんて曲もあったしね(笑)。アイツは心の内に抱えたものを、彼らしく軽やかに、ちょっとコミカルに表現した。それは素晴らしいんだけど、怒鳴るように表現してもいいし、すすり泣くように表現したっていい。そこにブルーズ衝動があれば聴く人の心に届き、明日を生きる力になるわけです。

ーーそんなブルーズの力を信じてるってことですね。

前にロサンゼルスでB.B.キングのライヴを観た時の話なんだけど、B.B.があるフレーズを歌うと客席のおばちゃんが「そうなのよ!」って声を上げて「ウチの亭主は全然お金を持ってこないのよ!」なんて大声でしゃべってる。するとB.B.がバンドの音を下げさせて、「それは困るな。でも、金だけがすべてじゃないだろう?」って語りかけると、男の客たちが「そうだ、そうだ」なんて騒ぎ出す。それに対しておばちゃんたちが「あんたたち、それでいいと思ってんの!?」ってやり返す。そんなふうに客席が盛り上がったところでB.B.がぎゅい~んってギターを弾くわけ。もうやんやの大歓声でね、感動しましたねぇ。ああ、これがブルーズ・パワーなんだって。

ーーいやぁ、そういうライヴの場にいられるのって本当に幸せな経験ですよね。

そうですね。僕はB.B.キングからいろんなものをもらってます。そもそも、B.B.から「Keep On! Keep On Singing The Blues!」って言われて、その言葉に励まされて今日までブルーズを歌い続けてこられたと思ってるしね。

ーー1972年の来日公演で前座を務めたんですもんね。その話ももっとお聞きしたいんですけど、だいぶ時間も経ってしまいました。最後にTOKYO BLUES CARNIVAL 2022について。ブルース・ザ・ブッチャーのゲストに山岸さんがニューオーリンズから駆けつける。

外タレ仕様でね(笑)。同郷やし、ウエスト・ロードでいいことも悪いことも経験した仲間でもあるからね、また一緒に、しかも日比谷の野音でできるなんて楽しみでしょうがないですよ。ぜひ観てほしいですね。

ーー山岸さんは毎年のように来日してたけど、コロナで去年は来られなかったから、余計に楽しみです。

ほんとにね。俺はアイツのことをボロクソに言ったりするけど、凄い人なんですよ。俺たちの世代はみんなアメリカで勝負したいって思ったはずだけど、実際に向こうでやり続けてるのは山岸だけですからね。野音の後、何ヶ所かツアーするらしいんで、機会があれば観てやってください(笑)。

ーーもちろん、blues.the-butcher-590213もよろしく、ということで。長い時間、ありがとうございました。

 

「もう歳も歳だし」とぼやきながらも新しい試みにチャレンジしたり、変わらぬ知識欲、表現への強い思いを持ち続けていたり、なんともかっこいい71歳だと思わざるを得ないホトケさん。約3時間のインタビュー、本当にありがとうございました。これからも追いかけ続けます。これを読んでくださったみなさんも同じ、でしょ? Hey  Hey , Blues Is Allright なのだ!

<Profile>
永井“ホトケ”隆(ながい・ほとけ・たかし)●1950年10月24日生まれ。三重県出身。中学生の時に出会ったビートルズで音楽に目覚め、ローリング・ストーンズをはじめとするロックを聴くようになる。同志社大学入学後、軽音楽サークルで出会った小堀正とバンドを結成。その後、同じサークルの塩次伸二とブルーズ・ロックのバンドを結成するが、サークルの古い体質に嫌気がさし脱退。ディスコで演奏するようになる。この時期にNHKで放映された「黒人の魂 – ブルース」と言う番組に衝撃を受け、黒人ブルーズを聴き始める。1972年、永井“ホトケ”隆(vo)、塩次伸二(g)、山岸潤史(g)、小堀正(b)、松本照夫(ds)のラインナップでウエスト・ロード・ブルース・バンド結成。同年9月に行なわれたB.B.キング来日公演の前座を務め、B.B.の要望によりアンコールで共演を果たす。この頃から東京でライヴウィやる機会も増え、次第に人気を拡大していく。そして75年4月1日、デビュー・アルバム『BLUES POWER』をリリース。関西ブルーズ・ムーヴメントの中心的存在として活躍。その後、メンバー・チェンジを重ね、計2枚のアルバムを発表するが、77年に解散。単身渡米を経て、吾妻光良(g)、チャールズ清水(kb)、小堀正(b)らとブルーヘヴンを結成。80年には近藤房之助のブレイクダウンとのカップリングによる2枚組ライヴ・アルバムを発表。吾妻光良&The Swinging Boppersの1stアルバムなどをプロデュース、ウエスト・ロードブルース・バンド再結成などを経て、95年に初のソロ・アルバム『Night People』をリリース。ウエスト・ロードとしてニューヨークの名門ライヴ・ハウス「トランプス」でライヴを敢行。その模様は『ウエスト・ロード・ライヴ・イン・ニューヨーク』として発表された。76年には2ndソロ・アルバム『Fool’s Pradise』リリース。その後、久々にバンド、tRICK bAGとしてのアルバム発表などを経て、06年に浅野祥之(g)、沼澤尚(ds)とBLUES POWERを結成。07年4月20日に1stアルバム『This Is The Blues Power』をリリースするが同日、浅野祥之が急逝。彼のブルーズへの意志を継ぐべく永井、沼澤、中條卓(b)、KOTEZ(ブルーズハープ)の4人でblues.the-butcher-590213を結成。ブッチャーは浅野祥之のニックネーム、590213は彼の誕生日に由来している。同バンドで現在までに8枚のアルバムを発表。積極的にライヴ活動を展開している。

<CD>

永井“ホトケ”隆
Kick Off The Blues

P-VINE
8月17日発売
10インチ・アナログ・レコード
¥3,300(税込)
完全限定生産
ダウンロード・カード付

収録曲
<Side One>
1.You Shook Me
2.You Gotta Move
3.Shake Your Hips
4.Ain’t Nobody’s Business If I Do

<Side Two>
1.Nothing Takes The Place Of You
2.Take A Little Walk With Me
3.Lost And Lookin’
4.Goodnight , Irene

<LIVE>

TOKYO BLUES CARNIVAL 2022

公演日時:5月29日(日) 15:00開場/16:00開演
開場:東京・日比谷野外大音楽堂
出演:blues.the-butcher-50213(ゲスト:山岸潤史)
   吾妻光良&The Swinging Boppers(ゲスト:伊東妙子<T字路s>)
   三宅伸治&The Red Rocks(ゲスト:鮎川誠)
   コージー大内
司会進行:ゴトウゆうぞう&カメリヤマキ

料金:前売り¥7,000/当日¥7,500(全席指定・税込)
主催:M&Iカンパニー
お問い合わせ:M&Iカンパニー 03-6276-1144(月・水・金 10:00~15:00)

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