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 背番号7番の男性をセンターに、1人ずつがたいのいい男性が増えていく。ベース、ドラム、ギター、と一つずつ重なった音の上にチバユウスケの声が乗り、5人の選手がこちらに向かって歩いてくる。あれ、バスケって1チーム5人なんだ。意外と少ないな。と思った。そういうレベルで知識が無いまま、タイトルが出て、試合が始まった。
 10年来の親友が、鍵アカのツイッターで桜木花道と連呼していた。先日撮影で入った映画館では、スタッフさんが「もう来月はスラムダンク一色で。すごいことになりますよ」と、困ったように笑っていた。原作を読んだこともなければ、ポスターに描かれている男性のうち桜木花道が誰を指すのかもわからない。けれど、なんとなくチケットをとってみた。でかいポップコーンを買って椅子に座る。アニメ映画の予告がたくさん流れる。ふだんから、あまりアニメを見ない。自分の中に流れる時間感覚とそぐわない事が多く、集中力がきれてしまうのだ。まあ、自分には向かなかったとしても、何がどのように馴染めなかったのかを知ることも財産の一つなので、勉強のつもりで席に座っている。きっと私はルールも原作も知らないからみんなほどは楽しめないだろうけれど、それでもまあ、それはそれでいいのだ。
 そんな軽い気持ちで見に来たつもりだった。
 
 人生で得られる驚きのうち、希少価値と快楽指数が共にことごとく高いのが、「予想をいい意味で裏切られる瞬間」だと思う。どうせ誰にもわかるわけないよ。というひねくれた構えをすり抜けて本心を見抜かれたときとか、そういう、ガクッと力が抜けるような歓び。少しだけ敗北に近い。自分の視野の狭さと愚かさを知ることは、プライドさえなければ気持ちがいいことだ。自分に見えている範囲だけが世界だったのに、その先にさらに世界が広がっていることを知ることだから。アドベンチャーマップの更新。ステータス最大値の更新。自分なんて全然愚かじゃん! と笑うときの、畏怖をも含んだ希望。
 私はこれまで、スポーツの観戦を楽しいと思えたことがなかった。元も子もないことを敢えて言うけれど、そもそもなぜ勝ち負けを競うのか、そこからすでにわからない。本来人の在り方には勝ちも負けもなく、すべてのものがただそこにあるだけだ。あらゆるものに固有の、比較しようのない良さがあり、それは勝ちや負けという言葉でくくれるものではない。勝敗を付与するためには、まずルールという箱庭をつくりその中に自ら入らないといけない。なぜ、本来は皆自由であるはずなのに、わざわざ勝敗などという苦しみの約束された箱庭へ自ら足を踏み入れるのだろう。コートの白く引かれた境界線を見るたび、そこに入らなければ負けて苦しむこともないのに。と考えてしまう。サッカーワールドカップで日本チームが必死で戦っているときも、私は試合が行われているかどうかも知らずにいつもどおりの日常を過ごしていた。翌日の周りの会話で、みんなが昨夜ボールの行方を見守っていたことを知った。すでに各選手に思い入れがある人の場合は熱狂する気持ちも理解できるが、ふだんからサッカーを追っているわけではない人達までもが、日本チームが勝つと自分が勝ったような感じで喜んでいるのはなぜなのか、私にはよくわからない。日本人だから日本チームを応援する、という単純な図式には、自分で選んだ根拠が存在しない。THE YELLOW MONKEYの『JAM』の歌詞さながら、海外で起きた事故のニュース速報で「乗客に日本人はいませんでした」と言われるたび「日本人じゃなければ事故があってもいいってこと?」とひねくれた捉え方をする私の中には、自分以外のすべての他者のうち、日本人のほうが日本人以外よりも自分と近い、という感覚も特になく、同じ国の出身だからといって理由なく応援するというシンプルな回路は存在しない。そこに疑問を持たずに熱狂できることはある種の才能だし、人としての良さの一種でもあると思うのだけれど、少なくとも私はいつも、スポーツ観戦の機会になると、誰の味方をしていいのかわからないのだ。盤上で励んでいる人たちは、私にとって皆等しく他人だ。日本チームもクロアチアチームもドイツチームも皆等しくよく知らない他人なのだ。誰が勝ってもすごいなあ、と思うし、だからといって負けたことが悪いことだとも思わない。とにかく、このいちいち突っかかってしまう性格自体がスポーツ観戦にことごとく向いていない。
 そしてもうひとつ小さいけれど、“動体視力が悪い”というのも私がスポーツ観戦を楽しめない理由だった。昔から素早く動くものを捉えることがとても苦手で、真剣に見ていてもそもそも今何が起こっているのかが追えないのだった。そういう、自分の基礎能力値の低さを突きつけられるようなところもちょっと苦手だ。

 そんな私だったから、『THE FIRST SLAM DUNK』で味わった感覚があまりに珍しく、貴重で、そして心底気持ちがよかったということにとても驚いた。

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