「好きなキャラクターだいたい不人気問題」【戸田真琴 2021年1月号連載】『肯定のフィロソフィー』

 友達から借りた「NANA」を一気読みしている途中、自分も随分大人になったことに気づいた。私は本当に視野の狭い人間なので、自分が共感できる立場の登場人物が1人もいない物語はすぐに読むのをやめてしまうのが常だったのだ。だから未だに、家族を大事にしている人が中心の物語や、意思が薄弱だったり貞操観念が緩い人々が中心になった物語などはしっかりと最後まで味わい尽くせた覚えがあまりない。どこにも自分の写鏡がいない物語は、どこから見て楽しんでいいのか、ずっとわからなかったのだ。
 しかし、「NANA」を読み進めていても、自然とそういった疎外感を感じなかった。端的に言えばセックス・ドラッグ・ロックンロールな世界観だし、二十歳になるまでお酒の一滴も飲んだこともなく門限も7時だった私からしたらあまりに遠い世界の青春劇だけれど、そこには自分のような人間の気持ちもほんの少しずつばら撒かれているような気がした。
 皆、どこにも行き場がなく、どうすれば自分は満たされるのかと彷徨い歩いている。男女間の感情にも同性間の感情にも様々な色があって、そのどれもが種類を割り切れるものではなく絶妙に異なる色で描かれている。恥ずかしながら矢沢あい作品に初めてしっかりと触れたのだけれど、人物間の感情の複雑さをこうもカテゴライズしきることなく曖昧なまま描けるものかと、ちょっと真面目に感動してしまった。……とそんな今更なレビューは置いておいて、私は「NANA」だとノブが好きである。ノブと恋仲になるAV女優の百合ちゃんも言っていたが、なんというか、集団の中で最も普通っぽくて、報われなさそうな人が好きなのだ。それはいつでも結構そうで、最も目立つ役柄や個性的すぎる役柄の人の良さはきっと誰かが見つけてくれるけれど、物事を大枠で見るタイプの人が見逃してしまうような良さを、私が見つけなければと思っている。「溺れるナイフ」だと大友くんが好きだし、「ハイキュー!!」だと山口忠くんが好きだし、「となりの怪物くん」だとヤマケンが好き(と言ってもこの場合はメインヒーロー役のハルが個性的すぎただけで、ヤマケンも十分魅力溢れる存在なのだけど……)。そんな私なので、だいたいいつも、恋愛ものの物語では応援している方の登場人物が最後にはふられてしまうのだった。これは男女を入れ替えても同じで、いわゆるハーレムものの物語でも一番かわいいと思っていた女の子はフラれ役、いわゆる「負けヒロイン」だし、恋愛が絡まない物語だってとにかく好きな子ほど人気投票順位が微妙である。こちらとしては、この子しか勝たん精神でシンプルにいいと感じる登場人物を選んで応援しているのにも関わらず、大抵が不人気、そして言っちゃなんだけど自分が最も琴線に触れないと感じているキャラクターがだいたい人気投票で一位をとっているのだった。この確率って言ったら本当にすごいもので、具体的な作品名を出すとキャラクターの個人アンチになってしまうので口が裂けても言えないが、ほぼ全ての作品においてこの結果を叩き出してきている。人気投票結果なんか見なければいいものを、毎度見ては世間との感覚の相違に苦しんでいる。こんな世界で私が気持ちよく生きていけるはずがないんだ……と落ち込み、ファンが少ないならその分私が何十人分も応援してやる! とすぐ逆ギレする。つくづく、握手会やチェキ会があるタイプのアイドルのオタクにならずにここまできて正解だったと思う。もしはまっていたら、きっと私の推しは選抜漏れしているし、その分何百枚もCDを買って推しを押し上げようとし、CDを配る友達もいないから家にどんどんCDが溜まり、お金もなくなり悲惨な状態になっていたと思う。
 
 と、そんな感じでなんとも少しメインストリームとはずれたセンスをしているせいか、自分が好きになった作品について他人と語らう機会が不足している。本当に好きな作品のことほど誰にも話したくない。映画とかはもちろん物語やその演出方法などを楽しんで見ているからそのことについていくらでも人と話せるけれど、ついキャラクターの印象が強い漫画やアニメなどのエンタメになると、すぐに同担拒否みたいな感情が生まれてしまう。私はそう、まるで心が広いかのように人に思われたいがあまり、あまり表にこういう感情は出さないようにしているが、かなり、“同担拒否”のけがある生き物である。なんというか、最悪な言い方をすると、「この人のことをわかってあげられるのは私だけ…!」という心理状況に自分を追い込むのがとんでもなく好きなのだ。最悪のことを言っちゃってるけど、残念がる暇もないほど心の底からそういう生き物なのだった。なので私は自分がいいと思っている登場人物のことを好きじゃない人には「なんで!?」という激しい感情でいっぱいになってあまり話を聞けなくなってしまうし、逆に同じキャラクターを好きだと言っていたとしても「本当にこのキャラのことわかってる? 私の方がわかってるんじゃないの?」とへんに疑ってかかってしまい全然素直に話を聞けない。とにかく愛が重い。実際にできるかできないかとかは関係なく、◯◯のためなら死ねる、とか平気で言ってしまう。あれはもうアドレナリンがドバドバ出ている時特有の言葉のあやというもので、実際にできるかどうかとかは関係ないところがまた難しい。感情を燃やすベクトルが大いにねじ曲がった大人になってしまったのだった。
 しかし先日、飯田エリカさんと一緒にやっているPodcast「戸田真琴と飯田エリカの保健室」にこんなお便りが寄せられた。

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