ワレワレのモロモロ外伝 岩井秀人

阿修羅のごとく暗闇ボクシング【岩井秀人 連載 8月号】

いわい・ひでと●小泉今日子×小林聡美×安藤玉恵×夏帆、そして岩井秀人による「阿修羅のごとく」チケットはソールドアウトですが、9月14日午後6時より、WOWOWオンデマンドにてライブ配信が決定しました(9月18日までアーカイブ視聴可)。

ワレワレのモロモロ2022」東京公演の映像がVimeoで配信中。特典映像として、3週間にわたる上田での滞在制作期間の舞台裏ドキュメンタリーも配信。販売期間は8月28日(日)23:59まで(購入後30日間視聴可能)。詳しくはこちら

阿修羅のごとく」の稽古が始まっている。

元々は引きこもり時代、「俳優になる or DIE!」の志で外に出てきた男岩井だったはずなのに、あれから20年(!)ほど経ち、気がつけばここ2~3年は俳優の仕事をしてない気がしていたところに、こんなありがたきお仕事なのである。

気持ちもびっくりだが、体もびっくりなのである。

だってそりゃ演劇もちょこちょことコンスタントにやってはいたものの、最近のわたくしのSNSを見て貰えば分かる通り、演劇人なら稽古場での俳優との楽しげな風景や、かわいい小道具だったり、作品の情報をアップして然るべきなのだけど、実際の岩井のアカウントには、やれ自転車を買った、やれ自転車を直した、冬はスキーで森の中に入った、やれ自転車を直して誰かにあげた、夏は座間見で海に潜った、その座間見に自転車持っていった、そこからまた東京に帰ってどこどこまで自転車で走った、といった、気がつけば自転車と海と雪山の写真しかないような、およそ演劇人とは思えない活動を続けている最中に、急に今回のような稽古に入ったわけだ。好きなだけ遊んで、好きなだけ寝ていたところに、稽古開始時間が午前11時だというのにも、全身でびっくりしている。

そしてこの「阿修羅のごとく」はご存じ、向田邦子原作のもので、もはやあれから10年以上経ってしまい、果たして現実のことだったのかも定かではないほどの大昔に、男岩井はテレビの脚本にて、その向田邦子さんの名前のつく賞をいただいている。あのころ、「向田邦子」の名前も知らず、「せっかく受賞したのだから一応目を通しておかなければ」と、焦って書店で購入したのが他ならぬ「阿修羅のごとく」だったことは、鮮明に覚えている。

4~5ページほど読んだところで、青くなった。そこにはシンプルな電話のシーンしか書かれていなかったはずなのに、交わされる極めて短いセリフのやりとりの向こう側に登場人物達一人一人の息遣いや生活が果てしなく広がっていた。一見何も起きていないような日常の風景と、その中で人の心が渦巻き入り乱れる様子の描写力、その精度と力強さに、「こんなのちゃんと読んじゃったら、もう自信なくして二度と書けなくなる」と、すぐにページを閉じたことも、よく覚えている。恐ろしい経験であった。

あれから10年ほど経ち、もはや岩井が「作家」と自称できなくなった頃に、この仕事が来たというのも、なんとも因果な気がしている。本当にありがたい。

そして共演者の方々。小泉今日子さん、小林聡美さん、安藤玉恵さん、夏帆さん、山崎一さん。えぐいほどに無駄のない、うわついた感じの全くない実力主義なキャスティングの中に「岩井秀人」の文字が入っている。稽古が2週間ほど進んだが、いまだ違和感が拭えない。プロデューサーの長坂さんに「なぜこの中に岩井を入れたのだ」と問い詰めたいが、怖くてそれもできない。「あ、やっぱおかしかった? やめとこうか?」って言われるのが怖い。違和感に気づかれないうちに終わらせようと、息を潜めている。

そして演出が木野花さん。今回、僕は初めて木野さんに演出をつけていただいているのだが、この木野さんがめちゃくちゃ面白い。一見、少し生真面目すぎる小学生女子がそのまま大きくなったような、凄まじき理路整然っぷりと、熱が入った時の声帯の広がり方などが垣間見えるのだが、とにかく俳優を縛らず、かといって迷子にもさせず、常に自由な愛の上で、俳優に研鑽を求めながらもゴリゴリと進行していく。

そういった演出の合間の瞬間瞬間で、とびっきりに雑なところも、見ものなのである。装置の椅子の位置を変えてみようということになり、出演者の1人が試しとばかりにザッとその椅子を滑らせて移動した時、木野さんは一瞬あっけに取られたのち、「なんであんたはそんなに適当なのよ!」と、音だけ聞くと叫びにも近いボリューム感で言い放つ。

文字だけで見ると伝わりにくいのかもしれないが、その率直すぎる率直さがあまりにも率直で、稽古場に笑いが起きる。あれほどまでの幼児性を持ちながら、前述した論理性、全ての役人物のセリフの裏に俳優以上に大量の可能性を探し続ける感覚も持っているというバランスで、その両輪から常に火を噴きながら稽古場を推し進めていく。だから稽古場が面白くて仕方がない。

男岩井の、終わったと思っていた俳優人生に、まだこんな幸福が待っていたとは。生きているものである。

さて、男岩井はこんな感じで稽古場を俯瞰しているようなことを書いているのだが、一杯一杯である。まず諸事情あり、かなり痩せなければいけない。痩せた上に、筋肉をつけなければいけない。

ということで、マブダチである写真家、平岩亨さんが通っている「b-Monster(ビーモンスター)」という、一時話題になった「暗闇ボクシング」に通うことになった。平岩さんはほぼ毎日ここに通い、1セット45分のエクササイズを、多いときは1日に3セット受けたりしている、ということは知っていた。とはいえ、平岩さんは写真家である。男岩井は、去年から自転車に乗り続け、スキーをし、素潜りをするほどのフィジカリストな男なのである。「なんぼのもんじゃい」と、一度体験がてら行ってみたが、考えられないほどのキツさであった。

ほとんど何も見えないほどの暗闇の中、インストラクターの日本語が全て英語に聞こえるリズミカルな指示のもと、サンドバッグを殴りつづける。それだけならまだしも、サンドバッグを殴り続けている合間に「バーピージャンプ」という、有酸素運動の王様といっても過言ではない、「疲れた時に一番やりくない動き世界一」な運動が挟まれる。最初の何回かは「もー!」と叫んでいたが、やがてその「もー!」さえも出なくなった。

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