【2020年5月号 大森靖子 連載】『大森靖子の超一方的完全勝利』

赤いストローを刺した時、ハッピーセットの幸福の何割がこの貫通の瞬間なのだろうかと思った。あっけないものに傾倒させすぎた熱量が産んだ幻は、ホルモンの分泌のシステムが大人になって変わってしまうとなくなってしまうものだとしたら、恋くらいに人生を捧げられるほどバカでいられるのは、人生が恋でなかった場合のみに限る。ちょうど自粛期間に入った頃、マクドナルドのハッピーセットは、サンリオキャラクターの総選挙のタイミングにあわせて、マイメロとキキララがコラボグッズだった。よく自分の親が「いいわねえママの子供の頃はこんなにドレスの種類なかったわよ」なんて言いながらいろんなお洋服を着させてくれたが、確かに私が子供の頃はここまでおもちゃのクオリティも高くなかった気がしてくる。

解像度の低すぎるインターネット上における粗探しフェミニズムや”消費”という言葉でざっくりとまだ生まれてもいないもしくは生まれてしまったが自分で向き合って良い暮らしにしようとしているレベルの感情を暴力と見做し、欲望という側面を持った人間を仮に加害者として、無自覚にも加害している人ならばいくらでも言葉で攻撃して構わないとする遣り口について、100カラット譲って、では欲を持ってしまった時点でYES加害者でしょう。人は生きている時点で必ず誰かの加害者であること、自分もそうであるという恐怖をきちんと弁えていないこと、罪悪感を持って生きろとは言わないが、史実としてそうである、どちらかといえばとか、現に今はたくさんのとか、そういう論調こそ、ひとが一人一人生きている魂という大前提を無視しているのではないか。常にてめえしかないのでは。

全ての人に同等の権利があるべきであるというのはそうに決まってる。その上で今の目標の定め方ではこれからの時代、何も間に合いませんよね。誰かを守るフリしてみんな結局自分を守りたいだけなのが、素直にそう言えよと思って多少はイラッとしますよそれは多少はね。全ての嫌悪は単純に向き合うべき気持ち悪さ、そこにしか自分の美しさの根源もないので見続けますけど。とにかく健康的で健全でいかに排他、排欲してゆくか、それが理想郷であるような実現方法がとてつもなく苦手。私は私のやり方で表現して、世の中のバランスをとりたいけどそれも厳しいね。人間は欲があって汚らわしい発想があり、だから他の誰かもそのようなものを抱え、その分かり合えなさ、孤独、それを尊重しあって、そこを抱きしめあってこその愛、絶対に誰にもわからない感情や孤独を大切に守り続けられる人こそ、それはすごーく雑な言葉で「コンプレックスを武器に」と言われているがその言い方も語弊があるしうぜえ! そんな簡単な話ではない、それにおける”コンプレックス”とは一般社会における使いづらさや美醜程度のものである、そんなものは個人的にはなから問題にはしていないのだ、まだその次元の話してるの? とがっかりする、この世に生きてきたことを”ごめんなさい”と思う、もっと根底にあるわかりあえなさである。それを捨てたくないのだ。何者にも納得されてたまるかという意地汚さこそが、自分で自分を愛するべき所以であって、愛する人だろうが誰だろうがそこだけは邪魔しにかかるだろう、でも自分だけは愛するの、だって自分だもの。それをコントロールするために神経回路がぐるぐると駆け巡るうちに余計な情報でいい具合に濃縮還元してくれるさ、な。

テキトーで何もしなくてサボってよくてうまれただけで誰でも等しくかわいいよー、なんて私は一言も言ってはいない。自己肯定前提論がそのような拡がり方をしてしまったため、一度毎朝全てのテンションの人に通ずるおはようを私だけは発していようという魂の肯定にかかる作業をとりやめた。

コンプレックスや全肯定、そのへんの話をすごく雑にしたものしかキャッチーとして受け入れられないことが不服である。すぐ小数点以下を繰り上げたがるその感じに疲れてしまったよね。思考の奥の奥をまさぐりあいたいので、浅いところで「肯定されてましたーうらぎられましたー」というのさばりを永遠と繰り返していたって、ペンギンくらいしかそんなことは許してくれないし、逆に人間でなければその根底を肯定し合う、尊重し合う、反発してでも認めて愛する、など様々な温度で向き合うことはできないでしょうね。

だって私たちはそれぞれこんなにも馬鹿みたいに違う、一等煌めく美しい生き物です。もしかしたら人間でなくてもそうだと思っている。

私の処女性。私の超越。私のまだ触れたことのない場所を体内に持つことはそれはもちろん神聖なことであるし、処女が神聖視されることにも納得である。が、人はどれだけ成長しても全ての真理にこちら側が触れたことがないので、誰しもが神聖なのであるからして、私は処女膜再生ステッキなるものを販売していたことがあるし、いつも一緒にいるクマのナナちゃんの魔法は再生魔法である。わかりやすく形として再生するのだ(それも虚像。形は全てがイメージであるし、イメージはすべて真実である)。

そしてまだ触れたことがないものに対しての未知の想像力がつくるものは幻である。童貞は幻の女を愛し、処女は幻の恋に恋をする。どちらもぶっちゃけくだらねえ。だって実際に生きている私たちはこんなにも魅力的で、こんなにたくさんの武器を持っていて、気持ち悪くて、最高なのだから。そんなものも愛せないのなら夢など見る価値なし。童貞の夢もお伽話や少女漫画の恋も、バッキバキに実像のわたしで立って踏み潰して越えてみせようと立っている。いつからか女の子が自ら「消費される」という言葉をガンガン使うようになった。事実、無意識に消費されている、けど、消費されているベースでそれを避けるためなんかに生きたくないよう。痴漢されたくねえからスカートはかないってそりゃねえよだもん。ねえ人間なのぉ、お人形さんではないんだよ。その次元で生きる人をもう相手にしたくはないですよね。いつまでも表層の話でグルグルグルグルしていて何かが解決するとは思えないんですよ。我々全員地球にとってはまだ童貞です。誰も生まれたことへの芯食った(A.)を出せていないじゃないですか。俺たちはみんな童貞なんだ。勝手に誰かを見て空想し、その人ではないその人を愛し、その人が自分の想定にないことをすると「裏切られた」と発言する。「信じる」なんていう言葉が生まれた時点で、多用している時点で、全員童貞なんだよ。それをまず認めろ。そしてその童貞心がどれだけの人を傷つけるかを自覚しろ。誰かに裏切られるのは自分が童貞だからなんだよ。ところで何にこんなにキレてんの? いいえ私は正常です。

おおもり・せいこ●’87年生まれ、愛媛県出身。超歌手。新少女世代語彙力担当。美大在学中に音楽活動を開始し、弾き語りライブが口コミで話題となる。’14年、エイベックスよりメジャー・デビュー。’15年10月に出産を経て、同年末より活動再開(その間も本連載の休載はナシ)。アイドルを中心に様々な楽曲提供をするほか、“共犯者”としてアイドルグループ「ZOC」に関わる。大森靖子公式サイト(https://oomoriseiko.info/

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