近藤房之助 PART1 「小さい箱(会場)で毎日のようにライヴをやっていたい。旅芸人なんですよね、僕は」【不定期連載「旅と酒とブルーズと」】

昨年11月に始まった不定期連載「旅と酒とブルーズと」。メジャーとは一線を画し、草の根のネットワークを頼りに全国のライヴハウスや飲み屋、カフェなど小規模な会場を歌って回るツアー・ミュージシャンたち。そこには旅と酒とブルーズが付き物だ。笑いと涙、熱気と汗、そして音楽を通じて演者と観客がかわす魂の交歓……。それをダイレクトに感じることができる彼らのライヴは、スタジアムやアリーナでは味わえない、あったかくて切ない、人間臭さにあふれている。第1回のリクオ&有山じゅんじ、第2回の木村充揮に続く第3回は、彼らの盟友である本格派ブルーズマン、近藤房之助だ。70年代半ばから80年代半ばにかけてはBREAK DOWN のフロントマンとしてタフでパワフルな歌とギターを聴かせ、バンド解散後はブルーズだけにとどまらない多彩な活動を展開。海外での活動歴もあれば、B.B.クイーンズのメンバーとして「おどるポンポコリン」を大ヒットさせるトリッキーな話題もあった。そんな房之助さんのキャリアをたどり、近藤房之助の魅力、そして彼にとってのブルーズを紐解ければと思う。気骨と男の色気あふれる、イカすブルーズマンは、「何でも聞いてください。何でも答えます」と言って話し始めた。
(大阪・なんば「JOYFUL NOISE」事務所にて)

取材・文/染野芳輝

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中3の時にビッグ・ビル・ブルーンジーのLPでブルーズに出会ったんです。

ーー房之助さんの出身は愛知県ですよね。

そう。生まれたのは名古屋で、すぐに刈谷市に移って。で、高校は名古屋。美術科だったんで、卒業後は着物のテキスタイル・デザインを1年半ぐらい。住み込みで働いたんですよ。

ーーそれはまた意外な。デザイナーを目指していたんですか?

憧れがあったんだろうね。着物のデザインみたいなことに。で、その頃に山岸(潤史)に出会ったんだ。山岸とは高校のバンド合戦みたいなので会ってはいたんだけど、その後あいつはウエストロード・ブルース・バンドに入ったでしょ? で、確か同志社でやったライヴを見てね、テキスタイル・デザインをやめたんですよ。オレもバンドやろう。そう思ったわけ。だから、あの時、山岸に会ってなければバンドなんかやってないですよ。

ーー房之助さんがバンドマンになるきっかけは山岸さんだったとは!

そうそう。で、デザインの仕事をやめて、ぶらぶらしてても仕方ないんで、とりあえずオレは大学に入ってバンドを始めるわけだけど、何しろ学生運動まっ盛りの頃だからね、すぐに除籍になっちゃった(笑)。

ーー血気盛んだった時代の話ですね。

そうだね。へへへ。

ーー音楽の話をしましょう。もともと音楽は好きだったんですよね?

そう。ビートルズに始まって、中3の時にビッグ・ビル・ブルーンジー(戦前・戦後に活躍したブルーズマン。1958年没)のLPでブルーズに出会ったんです。ディスク・マニアだったのよ。コレクター。わりと英語が得意だったので、世界中のコレクターやレコード屋とコンタクトをとってレコードを仕入れてました。

ーーネットがある現在なら簡単にそういうこともできますけど、60年代ですから手紙のやり取りぐらいしか方法がありませんよね? めちゃ手間がかかる。それほど好きだったんですね。

うん。好きなことだからね、楽しんでやってましたよ。それに、ブルーズのレコードなんてなかなか手に入らなかったもん、当時の日本では。大阪ではサカネ楽器、東京では新宿のオザワ・レコードぐらいしか扱ってなくて、しかも必ずしも欲しいものが手に入るわけじゃない。だったら、自分でなんとかするしかないよね。それで、たとえばルイジアナの廃盤専門店から同じレコードを5枚仕入れるの。で、1枚は自分用、後の4枚は色つけて売って、それで暮らしてた(笑)。

ーーやりますねぇ。ビッグ・ビル・ブルーンジーのLPを買って、すぐにブルーズにのめり込んでいったんですか?

最初は全然いいと思わなかった。でも、何か引っかかるものがあって聴いてるうちにじわじわとハマっていって。で、そのあと「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」)がブルーズ特集をやったのを読んだりして、それからはブルーズにどっぷり。大学に入る頃にはブルーズ一辺倒になってたね。
<注:1969年4月創刊の「ニューミュージック・マガジン」は同年6月号で早くもブルーズ特集を組んでいた>

ーーレコードからだけではなく、雑誌からも知識を得ていった。

もともとコレクターだから調べるのは好きなんだね。いろいろ勉強しましたよ。「BLUES RECORDS」なんていう分厚い辞典みたいな洋書があって、1万2000円ぐらいすんの。それを買って、夢中になって読んだ。このアルバムのオリジナル盤のレーベルはKingだけど、リイシュー盤はKentだ、とかね。

武道館を目指したことなんて一度もないし、そもそも武道館でやることがステイタスだなんてこれっぽっちも思わないからね。

ーー房之助さんってエモーショナルな感覚派だと思うんですけど、学究肌でもあるわけだ。そうやってブルーズにのめり込み、山岸さんから刺激を受けて房之助さんもバンドを始めたわけですよね?

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