8月10日、2年ぶりとなる夏の全国高校野球選手権が始まった。甲子園と言えば、今や高校野球と肩を並べるくらいに夏の風物詩となっているのが、各校ブラスバンド部による応援だ。昨年の夏はコロナ禍のため大会そのものが中止となり、今年の春はブラスバンドの演奏が禁じられたが、今回は感染予防のための制限がありながらも演奏が可能となり、球音と共に、久々に華やかなブラスバンドの響きが戻ってきた。そこで今回、小中学時代は野球に打ち込み、高校時代は吹奏楽に没頭していた筆者の独断と偏見で、ブラスバンドの甲子園定番曲の中から3曲をピックアップ。敢えてそれらの“オリジナル”、つまり原曲について紹介してみよう。
文/布施雄一郎
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大野雄二「ルパン三世のテーマ」
原作漫画「ルパン三世」は1967年に『漫画アクション』で連載がスタートし、1971年にTVアニメ化された。その6年後、1977年に始まったTV版第二シリーズで、ジャズピアニスト/作編曲家の大野雄二氏が音楽を担当したことで、あのブラス・セクションが大フィーチャーされた、カッコいいメイン・テーマが生み出された。
当時のTVアニメと言えば、スポ根ものや戦隊ヒーローもの、あるいは少女マンガを原作としたものがほとんどであり、アニメソングもまた、勇ましい音楽や可愛らしい曲ばかりであった。そこには、「アニメ=子供が見るもの」という大前提があり、子供が分かりやすく、歌いやすいメロディが求められていたためだ。
そんな時代に大野氏が作曲した「ルパン三世のテーマ」は、ジャズやフュージョン、ソウル・ミュージックのテイストが散りばめられた“大人の音楽”。しかも、アニメソングであるにも関わらず、歌のないインストゥルメンタル曲という点も、当時としては画期的。
世界を股にかけるというストーリー自体がそれまでのアニメにはなかったものであり、さらにルパンが乗る車は、ミニ・クーパーやフィアット、アルファロメオといった欧州車であったりと、とにかく細部に至るまでセンスの高さが光るアニメであった。
そんなTVアニメのオープニングに、スリリングかつスタイリッシュなテーマ曲が流れるのだから、当時小学校低学年で、音楽にほとんど興味がなかった筆者も、理屈抜きに「カッコいい!」と感じたものだった。分かりやすく歌いやすい等身大の曲とは違って、ちょっと背伸びをして大人の世界を垣間みるかのような、そんなワクワク感がたまらなかったのだ。
そのうえで、子供にもすぐに口ずさめるメロディと曲構成が秀逸。イントロ後にブラス・セクションが奏でるフレーズAと、それを2回繰り返した後にストリングスが演奏するフレーズBがあり、そして、いわゆるサビ的なセクションで再びフレーズAのバリエーションが登場するという二部形式。シンプルながらも強烈なAとBの2フレーズが繰り返されることで、子供にも覚えやすく、大人にもカッコいいと言わしめる曲になっていた。
しかもブラス・セクションが活躍するのだから、まさに吹奏楽にもピッタリ。事実、筆者が小学4年生か5年生の時、4つ上の姉が、中学校吹奏楽部の演奏会でこの曲のサックス・ソロを吹いていた記憶がある。計算してみると、1977年か78年の出来事。つまり、曲が作られすぐに、「ルパン三世のテーマ」は全国の吹奏楽部で取り上げられていたようだ。
なお、「ルパン三世のテーマ」は、新シリーズや新作映画が製作される度に大野氏により新たなアレンジが加えられるため、膨大が数のバージョンが存在する。ここでは、同曲誕生25周年の際にリメイクされた「ルパン三世のテーマ’78(2002 Version)」を紹介しよう。
なお、ヴィブラフォンがフィーチャーされ、ジャズテイストがより色濃くなったビッグバンド編成による「ルパン三世’80(劇場映画『ルパン三世 カリオストロの城』の劇中にも使用されている)」や、東京スカパラダイスオーケストラによるカバー・バージョンもカッコいいので、これらも是非ともチェックしてみて欲しい。
・ルパン三世のテーマ’78(2002 Version)
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喜納昌吉&チャンプルーズ「ハイサイおじさん」
「甲子園の定番」というよりは、「沖縄県代表応援の定番」と言った方が、より正確かもしれない。それが「ハイサイおじさん」だ。
アルプススタンドに陣取る応援団だけでなく、テレビやラジオで観戦している人たちまで巻き込んで一体感を生み出す、明るく、賑やかで、陽気な沖縄民謡の独特な音階とハネるリズム。この曲は、沖縄のミュージシャン喜納昌吉氏が1977年にリリースしたアルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』の1曲目に収録されている作品だ。
喜納氏は、琉球民謡の第一人者、喜納昌永氏を父に持ち、幼少期から沖縄民謡に親しんでした。そんな彼が、戦後沖縄がまだアメリカの占領下にあった13歳の時に初めて作った曲が、この「ハイサイおじさん」だったという。
「ハイサイ」とは、琉球語で「こんにちは」の意味。つまり「こんにちは、おじさん」というタイトルだが、これは13歳の喜納少年と、近所に住んでいたという酒飲みのおじさんとのやり取りをユーモラスに歌にしたものだそうだ。この曲を作った後、喜納氏は沖縄の大学に入学すると、エレキやドラムを加えたバンド「チャンプルーズ」を結成する。時代は、沖縄から毎日アメリカ軍の爆撃機がベトナムへと飛び立っていた頃だ。
そしてこの曲が地元のレコード会社からシングル・リリースされると、沖縄だけで30万枚のヒットを記録。そのメロディは、やがて関西、そして関東へと伝わり、1977年11月、プロデューサーに、はっぴいえんどや高田渡、はちみつぱい(ムーンライダースの前身)などを手がけていた三浦光紀氏、そしてアレンジャーには、南沙織や吉田美奈子、石川セリ、井上陽水らの編曲を行っていた矢野誠氏を迎え、歴史的デビューアルバム『喜納昌吉&チャンプルーズ』が発売される。その唯一無二のサウンドとリズムは、ミュージシャン/プロデューサーの久保田麻琴氏や細野晴臣氏らに多大な影響を与えた。
今回紹介するデビューアルバムでの同曲は、沖縄でライブ形式により録音されたものだが(そのため曲の最後に拍手が入っている)、実はその演奏をそのままリリースしたのではない。沖縄でのライブ演奏に、デビューしたての矢野顕子氏(ピアノ)とティン・パン・アレーで活躍していた林立夫氏(ドラム)という、東京のミュージシャンの演奏をオーバーダビングで重ねて完成させているのだ。こうすることで、単なる「沖縄音楽の紹介」ではなく、“ニューミュージック”というシーンが生まれつつあった東京、あるいは世界の音楽シーンにも通用するポピュラリティを生み出すことに挑戦していたのだ。
その結果、全国的なヒット曲となり、当然ながら小学生時代の筆者も、琉球語の歌詞の意味もまったく分からぬまま、それまで聴いたことのなかった沖縄音階とノリのいいリズムの虜となった。しかも、レコードを買って繰り返し聴かずとも、テレビで数度見聴きしただけで、完全にこの曲と「ハイサイおじさん」というフレーズを覚えてしまったのだ。それほどまでに、沖縄のエネルギーが宿った1曲だと言えよう。
ところが。こうした陽気な楽曲の側面からは想像できない沖縄の悲しみもまた、この曲には秘められている。喜納少年が歌にした愉快な「おじさん」とは、沖縄戦の傷が残る中で精神を病んだ妻が自身の子供を殺めるという凄惨な事件を起こし、その結果、アルコール中毒となってしまった、実在する男性なのだ。つまりこの曲は、当時の戦後の沖縄を覆っていた混乱や貧困、絶望という日常の中から生まれた歌でもあるのだ。
なお、「ハイサイおじさん」に関しては、デビュー盤の音源だけでなく、近年のライブの様子も見て欲しい。よりエネルギッシュな歌と演奏に、思わず身体が動くことだろう。
・喜納昌吉&チャンプルーズ「ハイサイおじさん」
・公式YouTube動画
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ピンク・レディー「サウスポー」
1976年8月にシングル「ペッパー警部」でセンセーショナルにデビューした2人組アイドル、ピンク・レディー。そんな彼女たちが、1978年3月に発売した7枚目のシングル曲が「サウスポー」だ。
ここでお気づきだろうか。約2カ月に1曲ペースで新曲を出し、そのすべてを大ヒットさせていたというスーパー・アイドル、それがピンク・レディーだったのだ。しかも「サウスポー」は、彼女たちが初めての“オリコン初登場1位”を獲得した曲。昭和世代で知らない者はいないと断言しても過言ではないほど、国民的な大ヒットを記録した一曲だ。
「サウスポー」とは、野球において左投げのピッチャーのことを表す言葉。かつてアメリカの野球場は、センターが東北東の方角になるように造ることで、午後になっても打者が太陽を眩しく感じないように設計されていたようだ。この場合、左投げピッチャーの左腕が南側から出てくることから、「south(南)」+「paw(腕)」=「サウスポー」となった……というのが通説である。語源には諸説あるようだが、少なくとも、ピンク・レディーがこの曲をリリースした当時、テレビ番組では、このように紹介されていた。すなわち「サウスポー」は、野球の歌ということだ。
ここで若い世代の方は、「超人気アイドルが、なぜ野球の歌?」と思うかもしれないが、リリースされた1978年前後は、日本中が野球に沸いた時代なのだ。1977年には、現役時代の王貞治選手が756号というホームラン世界記録を打ち立て、翌78年には通算800号という前人未踏の記録を打ち立てたのだ。
そのため、この曲の歌詞には、《背番号1⇒王選手の現役時代の背番号》《フラミンゴ⇒王選手の独特の一本足打法は、海外では“フラミンゴ打法”と呼ばれていた》と、歌詞の中でもその王選手を表す言葉が数多く登場する。しかしこの曲が、王選手の功績を賛美する歌なのかというと、そうではない。逆に、そのスーパースター王選手を打ち取ろうとする、左投げの女性ピッチャーの歌なのだ。
当時の筆者は、かなりマニアックな野球少年であり(毎日、王選手のホームラン記録をノートに付けていた・笑)、このあたりの話を続けると長くなるので割愛するが、こうした元ネタが野球のアイドル・ソングであるからして、甲子園の応援で使われるようになったのも自然な流れと言えよう。ただ、そういったストーリー性だけではなく、音楽的にもこの曲は、聴き手のテンションを上げていくような緻密な作りが取り入れられている。
曲の冒頭から、音階が下降していくシロフォン(木琴)の8分音符が畳みかけるように鳴らされ、それと入れ子状態で、シンコペーションでアクセントが付けたドラムのリズムが組み合わされ、歌い出しに向かってどんどん勢いを加速させていく。
そして、歌が入る直前には、当時としてはまだまだ珍しかったシンセ・ドラムのフィルインが入ってくる。今聴くと、それがテクノポップ感を作り出しているようにも感じるが、シンセサイザーを多用したテクノポップが実際に一世を風靡するのは翌1979~80年のことであり、この時代にシンセ・ドラムを使ったサウンドは、非常に斬新だったはず。歌謡曲でシンセが目立つ形で使われた最初期の楽曲と言ってもよいだろう(なお、同曲のサビでもシンセサウンドを聴くことができる)。
こうしたサウンドを生み出したのが、作曲家・都倉俊一氏であり、先に触れた歌詞を書いたのは、作詞家・阿久悠氏。昭和を代表する数々の名曲を生み出したこのコンビは、デビュー時からピンク・レディーの大半の曲を制作しており、「サウスポー」は、まさしく都倉俊一&阿久悠コンビの絶頂期と言える作品のひとつだと言えるだろう。
ちなみに、同じく甲子園の定番応援曲である山本リンダ「狙いうち(1973年)」も、実はこのコンビによる作品。70年代当時の歌謡曲は、まだまだゆったりメロディの良さを聴かせる曲調が主流であったが、そんな時代に都倉氏と阿久氏の2人は、リズムを強調した勢いのある楽曲を次々と生み出し続けていったのだ。この「サウスポー」と「狙い撃ち」の2曲が甲子園の定番曲となっているのも、単なる偶然ではないだろう。
この曲がきっと奏でられるであろう今年の甲子園アルプススタンドは、例年の光景とはまだまだ程遠い状況ではある。しかし来年こそは、満員の球場で、各応援団の声援とブラスバンドの演奏が鳴り響く中で、高校球児たちに熱い試合を繰り広げてもらい、そして吹奏楽部員たちにも、かけがえのない青春の大切な1ページを刻んでもらいたいと切に願う。
・ピンク・レディー「サウスポー」
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