ブロス恒例! ネタバレ御免!! “10年ぶりだね” 押井守が斬る 宮﨑駿監督最新作『君たちはどう生きるか』

『風立ちぬ』から10年。待望の宮﨑駿アニメが帰って来た! ブロス恒例企画も帰って来た!! というわけで「意味がわかんない」という人が続出の最新作『君たちはどう生きるか』。
かつて宮﨑監督が感銘を受けたと言われている本のタイトルを冠しているとはいえ、ワンカットその本が出てくるだけで内容は無関係。簡単に言ってしまえば、実母を亡くした少年があの世を彷徨うファンタジーになっている。それにしても宮﨑さん、何でこんな作品を作ったの? どういう心境だったの?
そんな疑問に応えるべく、小社刊『誰も語らなかったジブリを語ろう』でも知られる押井守監督に、ジブリ作品を語り尽くす恒例企画として、本作を論じてもらうことにしました!

本インタビューには『君たちはどう生きるか』のネタバレに触れる箇所があります。“ネタバレは勘弁!”という方はここで読むのを一旦ストップして、映画鑑賞後にお楽しみください。

※本インタビューは8月上旬に行われました。
※この記事は現在発売中の『TV Bros.』本誌10月号でも読むことができます。

取材・文/渡辺麻紀

 

押井守(おしい・まもる)●1951年東京都生まれ。映画監督。おもな監督作品に『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)、『イノセンス』(2004年)、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(2008年)など。近著に『押井守のサブぃカルチャー70年』『押井守の人生のツボ 2.0』(すべて小社刊)など。構成/脚本を務めたアニメ『火狩りの王』(WOWOW)の第2シーズンの制作が決定。

「宮さんは終生、母性なるものを求め続けている」

――今日は押井さんに早朝の回の『君たちはどう生きるか』を観て頂きました。

「まあ、じいさんの妄想映画になるだろうと容易に想像がついていたから驚きは少なかったとはいえ、その妄想を10年もため込んでいたという感じだった

――想像がついていたって、すでに観た人の意見を聞いて?

いや、『風立ちぬ』を観たときから。この人には、もうこれしかないだろうと思っていた」

――妄想しかないってことですか?

「というか、誰かのために物語を作る意欲を完全に失っているということ。観客のことも、孫のことも、何も考えてない。自分しか目に入ってない」

――そもそも、自伝色が強く、主人公の眞人は宮﨑さんで、親族も自分の肉親を反映しているのかなあと思いましたけどね。お父さんが俗物でびっくりでした。宮﨑さんのお父さんもあんな感じだったってことですよね?

「間違いなく、あれは宮さんのお父さん。実際、軍需工場の経営者で、確かゼロ戦のパーツを作っていたんじゃないかな。屋敷に持ち込まれる風防は明らかにゼロ戦のだよ。だから、始まって10分くらいで、またこれかと思っちゃった。つまり『風立ちぬ』の続編みたいなもの。宮さんの戦中や戦後の映画はすべて妄想だと私は思っているから。戦争が終わったときは4歳くらいなので、あんなにいろいろ憶えているはずがない。おそらく、疎開経験もないんじゃないの?」

――いや、押井さん、wikiで調べたら「太平洋戦争が始まり、宇都宮に疎開し、小学3年生まで暮らしていた」とありますよ。この経験をもとにしているのでは?

「へー、そうなんだ。母親が結核で入院していたのは聞いたことがあるけど、死因が結核だったかは知らない。本作では母親が入院していた東京の病院が空襲に遭って亡くなったことになっているけど、火事で死んだんじゃないと思うよ。

そういう話をしていたとき、母親が亡くなったときに初めてその体に触ったと言っていたんだよね。私もそうだったから、よく憶えている。時代性もあって、当時の息子は母親に触るなんて経験、あまりないんですよ。スキンシップをしない時代じゃない? 私はおやじが亡くなって深夜に駆け付けたら、おふくろに抱きつかれてびっくりした。どうすりゃいいんだって感じでさ。映画だと抱きしめて背中をさすったりしているけど、そんなことも出来なくて、文字通りお手上げ状態だった。

“触った”という経験なら、おふくろが亡くなるちょっとまえ、脚が浮腫んでいるからさすってあげてと看護師に言われて朝までそうしていた。自分の母親の肉体を初めて感じたのは、おそらくそのときだよね。それまでの母親は観念にすぎなくて、『お前の母親だ』と言っているおばさんでしかなかった。母親と暮らした時間なんて高校生までの18年間。人生の長さに比べれば短いにもかかわらず、多くの人はなぜかそれに縛られている」

――押井さんと同じような母親体験をしたと想像できる宮﨑さんですが、この映画を観る限り、82歳になった今も母親に呪縛されている感じです。

「だから、何があったんだろうって? 多分、宮さんは眞人のようなイヤなガキだったんだよ。彼は宮﨑作品には珍しい小ずるいキャラクターじゃないの。自分で頭に石をぶつけたりして、あれだったら田舎の子にいじめられるのも当然」

――私はお父さんの俗物っぷりのほうがイヤでした。こういうお父さんだったから母親のほうがよかったのかなって。

「確かに俗物だけど息子への愛情も家族愛もあるんじゃないの? 最後は日本刀をぶち込んで息子と後妻の夏子を救出に向かうんだから愛情はホンモノなんだろう……もちろん、そうあって欲しいという願望もあるかもしれないけどさ。

でも、この映画で父親はどうでもいいんんだよ。向こうの世界で会うヒミさんですよ。彼女が眞人の母親であることは、登場した瞬間に判る。守護者だから。確かに近親相関の匂いがするよね」

――ですよね。だから私は押井さんの『御先祖様万々歳!』(89~90)をつい思い出しちゃったんですよ。鳥も出てくるし。

「ああ、そういう共通点はあるけど、まるで違う作品だよ」

――そうですかー。でも、宮﨑さんはそういう不謹慎系を嫌う人だったのに、どうしちゃったんだろうって。年を取って自分を隠さなくなっただけなのかなとも思いましたが。

「少年少女が冒険を繰り広げて最後に抱き合うその内実は、息子と母親だったという強烈な妄想だよね」

――父親の後妻の夏子さんはどうなんです? 私は眞人と初めて会ったときに、膨らんだお腹を触らせるのが無神経な人だなあと思ったんですが。私が眞人ならヤだなって。どういう存在なんですか? 一応、眞人が彼女を探しに行くという設定になっていますが。

「夏子さんを探しに冥界に行って一応、連れて帰る。若い頃の母親を助け、自分を生んでもらうために現実に帰すというオチはついてはいる。でもさ、私に言わせれば臨月の夏子さんは帰ってきてないわけですよ」

――えっ? 確か手をつないで一緒に帰っていませんでしたか?

「形としては一緒に帰ってきているけど、最後は抱き合ってないでしょ? 若いときの母親であるヒミを抱きしめただけで、夏子は回収して帰るだけ」

――いや、押井さん、「夏子お母さん」とも呼んでいましたよ。それまで一度も彼女に対して「お母さん」という言葉は使ってないのに。

「夏子に初めて会ったとき、『お母さんにそっくりだった』と言っていたじゃない。そこでもうネタバレしているの。どういう意味かというと、夏子さんを見てないということなんだよ。眞人のなかには夏子さんの人格はどこにも存在していない。最後まで存在してない。だからドラマにもなってない」

――ということは、若き日の母親に抱きしめられたことで眞人はOKで、夏子はどうでもいい?

「そうだよ。だからドラマになってないの! ちゃんとドラマを語るつもりだったら、夏子と抱き合って彼女を母親と認識しなきゃいけない。それが眞人の冥界での冒険の結果なんだから」

――あんな凄い冥界旅行を経験したのに、眞人は何も変わってないということですか?

「そうです。ただお母さんに会いたかっただけ。自分を生むまえのお母さんと会い、そのお母さんと帰って来ただけ。彼が手をつないでいたのは、夏子じゃなくて自分の本当のおかあさんなんだよ。結局、眞人が求めていたのは最初から最後まで自分のお母さんなんです!」

――いやいや押井さん、宮﨑さんがそこまで複雑なことを考えてそういう描写にしたとは思えないんですけど。

「だから、私が言葉にしてあげたの。宮さんは、そういうことを無意識でやっちゃうから恐ろしいんだよ。ロジックはなく、ロジックのように見えるのはすべて後付けなんです! 宮さんの作品をロジックで紐解くのは無駄なんだから」

――そういうことを聞くと、宮﨑さんのコンプレックス、とりわけマザコン色がめちゃくちゃ強い作品ですね。

「そうだよ。宮さんはマザコン、ロリコン、労働者コンプレックス、農村コンプレックスもある。ずーっとプロレタリアートに対して引け目がある。それは本作でも感じ取れるでしょ? コンプレックスの塊、それが宮さんなんです」

――はい!

「宮さんは『ルパン三世 カリオストロの城』(79)のときからマザコンをむき出しにしていた。ヒロインのクラリスはどう見ても母親だし、『風の谷のナウシカ』(84)のナウシカだって母性の象徴ですよ。共通点は胸の大きさ。ふたりともデカい。それは母性を表現しているから。女性にとっては、単なる胸の大小の話に過ぎないかもしれないけど、男性にとっては違うんです。そういうコンプレックスの表れでもある」

――じゃあ反対に、押井さんが貧乳を好きなのは、女性に母性を求めてないからですか?

「それは単なる性癖のせいかもしれないけど、そう言われてもおかしくないかもしれない。でも、宮さんの場合は終生、母性なるものを求め続けているのは間違いないんじゃない? 私の場合は、男性より強力な女性が好きなだけ。だから、あのばあさんの一個小隊は気に入りましたよ(笑)。

私にとってのばあさんは強さでもあるんだけど、宮さんにとっては母系を愛しているということの象徴。母系に支配されたい。確か宮さんは4人兄弟で、女性はひとりもいないはず。そういう反動があるのかもしれない」

――眞人はどうです? 宮﨑さんの分身的な存在ですよね。「きれいな子」と言われていましたが。

「きれいすぎたから、頭にキズをつけて剃り上げたんだよ。ハンサムすぎたからヤバいって思ったんじゃない? そういう主人公をブタにする手はもう使っちゃったし、どうしようということでキズをつけた。ただ、宮さんが眞人に思い入れしているというのは感じなかった。基本、少年は好きじゃないから、宮さん」

――そうなんですか? 『未来少年コナン』(78)も少年主人公だし、前作の『風立ちぬ』もですよ。

「『コナン』で宮さんが夢中だったのはラナです。コナンは自分の代弁者で、肉体的スーパーマンになりたかった自分の願望。相棒になるジムシーはスーパーマン過ぎるコナンとのバランスを考えて創造されたキャラクターだけど、彼にも宮さんの野蛮人願望が表れている」

――押井さん、それだとほとんどのキャラクターが宮﨑さんの願望を表していることになりますよ。

「だってそうなんだから仕方ないじゃないの。宮さんにとってアニメーションを作るというのは願望の実現に過ぎないんだよ。キリコばあさんの若い頃だって宮さんの願望。ああいうおねえさんも大好き」

――必ず出て来ますよね、そういう男前の女性。

「『ナウシカ』のクシャナや、『もののけ姫』(97)のエボシ御前。『紅の豚』(92)にも出てたでしょ。ジーナさんだっけ? 作者の願望やコンプレックスが、実写映画よりも出やすいのがアニメーションなので、宮さんの場合もストレートに出ちゃう。これも仕方ない」

「鳥が冥界に登場するのも正解だし、その表現も大正解」

――冥界の表現はいかがでした? 鳥がたくさん出て来たのが印象的です。とりわけインコが怖い!

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