次にくるマンガ大賞2020で4位を受賞し、その後も読者を拡大し続けている異色の悪役令嬢マンガをご存じだろうか。その名も『悪役令嬢転生おじさん』。現代で命を落とした主人公(女性)が乙女ゲームの悪役令嬢に転生し、本来持つ美貌や素養、現代の知見を活かしてハッピーエンドを迎える……という筋書きが近年流行りの「悪役令嬢もの」。しかし、本作ではその転生者がなんと女性ではなく52歳の公務員・屯田林憲三郎、つまりおじさんなのである。当時49歳の作者が、若年層に流行する異世界もの・悪役令嬢もののマンガを読むうちに同ジャンルにハマってしまい、「次はこんなものが読みたい」とtwitterに投稿したところ、16万の「いいね」が寄せられ、たちまち連載が決定したという本作。おじさん悪役令嬢による味わい深い行動と画面のインパクトで、若年層から中高年まで幅広く支持を広げている。本記事ではこの『悪役令嬢転生おじさん』の魅力に迫るとともに、本ジャンルを研究し尽くした作者・上山道郎氏(51)に悪役令嬢ものの魅力をうかがった。
取材・文/亀田早希
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目次
親目線に若者へのアドバイス……おじさんが作り出す「優しい異世界」
『悪役令嬢転生おじさん』の最も大きな特徴は、20歳の娘をもつ屯田林憲三郎の「親目線」だ。52歳のベテラン公務員から見れば、転生した乙女ゲームの主要登場人物はほぼ自分の子ども以下の年齢。一度は悪役令嬢の役割を全うしようと覚悟を決めた憲三郎だが、どうしても行動の端々に子をもつ中高年ならではのコメントが発現してしまう。
ほかにも、登場人物の名前を覚えきれず扇の後ろにメモしたり、混乱する幼子を鎮める方法として徹底的に甘やかしたり、生徒会での集計に悩む主人公に一桁間違えて計算した場合の確認方法として「9で割る」を伝授したりと、悪役令嬢であるグレイスは「おじさん」の経験豊富さや魅力、チャーミングさをいかんなく発揮してしまう。
若者に休息をとる重要性を説いたり、転生したグレイス本人の人となりに思いを馳せたりと、もはや「理想のおじさん」「理想の上司」とも言える憲三郎。この人物像はどのように作り出されたのだろうか。
作者の上山道郎氏は「今作を描き始めたとき憲三郎は自分より3歳年上のほぼ同世代設定で、だから作中に描かれる『おじさんらしい要素』はほぼ自分の体験や記憶によるものですね」と語る。ただし、すべて自分を投影した人物像というわけではないようだ。
「憲三郎の姿が今どきの50代にしては老けているのも事実で、これは自分が子供の頃に考えていた50代のおじさん像を反映しています。昭和50年代頃のおじさんのイメージはだいたいあんな感じだったんですよ。
でも実際自分が50歳になってみたら、なんかあんまりちゃんとしたおじさんになれていないな、という気持ちがあるので、その『理想のおじさん像』を憲三郎に託しているという面もあります」
「ちゃんとした大人」が作り出すハッピーエンドな物語に悪役令嬢は最適
そもそもは、少年マンガや青年マンガを手掛けてきた上山氏がなぜ女性読者の多い「悪役令嬢」ジャンルを選んだのだろうか。上山氏も当初は若い世代にウケる作品を研究するため、悪役令嬢ものではなく異世界転生ものを読んでいたという。
「前の連載が終わってからとにかく手当たり次第に異世界転生もののコミカライズ作品を読みあさっていたのですが、目につく作品の多くがかなり殺伐とした空気のものでした。それは異世界転生の定番シチュエーションが『俺TUEEE』や『チートで無双』だったから仕方の無い面があるのですが、正直読んでいて疲れてくるのも事実でした」
そのなかで出会った悪役令嬢ものは、言葉遣いの丁寧さや絵の美しさがあり、上山氏の心に響く存在だったという。
「悪役令嬢ものは、まず貴族社会を舞台にしているので基本的に言葉遣いが丁寧。そして作画が少女漫画の流れをくんでいるので画面が綺麗。それらによる癒しの効果で、物語に素直に入り込みやすかったことが大きいと思います」
物語の核となる憲三郎の造形についても、よく世に言われる「老害」キャラではなく「ちゃんとしたおじさん」として登場させるには、異世界転生ものよりも悪役令嬢ものが適していたそうだ。
「若者向けの漫画で描かれる『おじさん』はどちらかというとセクハラとかパワハラとかを若者にしてくるネガティブな役回りのキャラが多いです。でも自分はおじさんなので、実際の世の中にはちゃんとしたおじさんもたくさんいるのを知っていますから。もっとそういう『ちゃんとした大人』を描いてみたかったということはあります」
「ちゃんとした大人」である憲三郎は事故に遭うことで乙女ゲームの世界に転生してくるが、元の世界で憲三郎は眠り続けており死んではいない。家族はゲームのなかに憲三郎がいることに気づき、見守る設定になっている。これは近年の転生ものでは珍しい設定だ。
「ネタバレかも知れませんが、この漫画はハッピーエンドで終わらせるつもりで描いていますので、だったら娘と妻を残して憲三郎が死んじゃうのは違うなと。それに昔の異世界ものの作品はだいたい最終回に元の世界に帰って来るのが多かったので、そういう原点に立ち返ったとも言えます」
悪意を強調しないマンガが世代を超えて支持された結果に
「悪役令嬢」×「ちゃんとしたおじさん」の組み合わせは、冒頭で示したように、上山氏がtwitterに試作を公開したところ、たちまち16万「いいね」が寄せられ、連載が決まった。連載や単行本の読者層は幅広く、男女問わず幅広い年齢層に受け入れられている。夫婦や親子で読んでいるという声も寄せられるそうだ。
これまでの異世界ものや悪役令嬢ものには、いわゆる「ざまあ展開」と呼ばれる主人公を虐げてきた人物への復讐が要素として取り入れられることが多かったが、『悪役令嬢転生おじさん』にはそれがない。この点が親子や夫婦で共に読みやすい要素でもあるのだろう。
「『ざまあ展開』には、まず憎たらしい悪役をかなりねちっこく描く必要があります。でも自分が歳を取ったせいか、そういう『人の悪意』を描くのが正直しんどいんですね。
それにエンタメには色んな形があるので、別に『ざまあ』以外にも面白い物語はいくらでもある。今回はそっちを描こうと思いました。今作が多くの人に受け入れられているのは、現実世界の悪意にもう疲れてしまって、物語の中でまで見たくないという人が多い世相の反映かも知れないと思っています」
ネット発。でもネット小説を知らない層にも読める「悪役令嬢もの」作品を
本作は上山氏が長年、ホームページやtwitter、pixivをはじめネット上での発信を行い、盛んに読者と交流してきたからこそ生まれた作品だともいえる。
「絵を描いてネットに上げることはもう20年以上続けていますが、商業漫画よりも反応が激速かつダイレクトなところが魅力です。今はこういう作品の反応が良い・悪いを肌感覚で捉える場として大いに役立っていると思います」と語る上山氏だが、インターネット上の流行を追うだけが作品として成功を収めるセオリーではないという。
「ネット小説(とそのコミカライズ作品)の有利な点は、その時点の流行を取り入れるスピード感に有るのだろうと思います。が、それは一方で『知ってる人しか入ってこられない』状況を生み出しがちです。
もちろんそういう先端を追求する作品も業界には必要なのですが、自分は児童漫画出身なので、『漫画を読み慣れていない人でも読める・楽しめる』ものを描こうという姿勢が染みついています。なので、今作は『転生』『悪役令嬢』ものをよく知らない人でも楽しめて、その入口になれればいいかなと、今は考えています」
新しいものに関心がわかないときは「休息」が大切
40代後半を過ぎて新しい分野に積極的に取り組み、ネット上で作品をバズらせ、老若男女に受け入れられる作品を創り出す精力的な姿勢は、まさに「漫画界の中年の星」といえるのではないだろうか。
最新3巻のあとがきには、「若い頃のようには仕事の時間が取れなくなったりするのですが……その一方で漫画製作のためのパソコンの性能が上がったり、3DCGの作成に新しいソフトを導入したり、漫画家も30年続けると早く絵を描くコツもそれなりに身についていたりするので、次の巻も刊行ペースは落とさず出せる……予定」と力強いコメントが記されている。一方で、上山氏は「正直に言うと自分も親の介護や自分の健康面その他で、昔よりも全然、新しいものを摂取する余裕はなくなっている」と語る。
「でも逆に、新しいものに関心がわかない状態=自分は疲れている=休息が必要、と考えられるようになって、まず積極的に休む事にしました(若い頃は休む事に罪悪感があったので、その意識を改革するのに苦労しました)。そうして基礎的な体力が回復すると、自分の肌に合うコンテンツを消化して栄養にする余裕が出てきます。
オタクには真面目な人が多いから、コンテンツの消化を自分に義務化してしまうこともありがちですが、それよりまず自分がそれを楽しむ状態を作ることを心がけると良いのではないでしょうか」
また、異世界ものや悪役令嬢ものに触れたきっかけも、仕事のためにと心を律して臨んだわけではないという。上山氏は、読者に対しても、新しいジャンルを開拓しようと無理をする必要はなく、あくまで大事なことは自身の楽しむ心だと示唆する。
「自分は特に若い人向けとか新しいものとかを理解しなきゃいけない、とは考えていません。新しくて人気のあるものには当然その理由があるはずなので、自分に余裕のある範囲でそれを見つけてみたいかな、くらいの気持ちでいいと思います」
上山氏の推薦する「癒される」悪役令嬢ものは⁉
悪役令嬢ものに世界観の美しさを感じ「癒された」という上山氏。本ジャンルの作品は『悪役令嬢転生おじさん』のインスピレーションの源泉となっている。
作品のアイデアを生み出すまでに読んだ数多くの作品のなかから、上山氏が珠玉と感じるおすすめの3作品を選んでいただいた。
『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』
キャラクター原案・コミック:ひだかなみ 原作:山口悟
一迅社
【上山氏コメント】
これは説明不要の、悪役令嬢もののフラッグシップですね。主人公カタリナの、自分の破滅を回避したいだけの行動が良い具合に空回りして、逆に出会う人をことごとく救っていく様子に読者も救われます。
【あらすじ】
プレイしていた乙女ゲームの世界に転生してしまった主人公は、自分の未来が国外追放か死亡しか「ルート」がない悪役令嬢・カタリナだと気づく。破滅エンドを避けるために奮闘するうちに周囲の好感度が上がってしまい、物語は思わぬ方向へと進んでしまう。
『ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん』
漫画:逆木ルミヲ 原作:恵ノ島すず キャラクター原案:えいひ
KADOKAWA
【上山氏コメント】
これは乙女ゲームの中の様子を現実世界から観察・干渉する構造の作品で、その点で『悪役令嬢転生おじさん』も影響を受けています。主要キャラは皆互いを思いやる優しい子達ばかりなので、そこも癒やされポイントです。
【あらすじ】
乙女ゲームのツンデレ悪役令嬢・リーゼロッテが大好きな放送部の小林さんは、同部の遠藤くんとゲームの実況プレイを始めたところ、なぜかその声が「神託」として婚約者で王太子のジークヴァルトに届いてしまう。王太子のリーゼロッテへの誤解をとき、バットエンドを回避するため、二人は困惑しながらも奮闘し続ける。
『悲劇の元凶となる最強外道ラスボス女王は民の為に尽くします。』
コミック:松浦ぶんこ 原作:天壱 キャラクター原案:鈴ノ助
一迅社
【上山氏コメント】
悪役と言うにはあまりにも悪逆非道な女王に転生してしまった主人公が、そのチート能力で皆を救っていくお話。キャラクターの感情を丁寧に追っていく語り口が秀逸で泣かせます。絵もすごく良い。
【あらすじ】
乙女ゲームのラスボスであり残虐非道な第一王女・プライドに転生したことを悟った主人公は、自身が闇落ちしていたゲームの中の現実を恐れながらも、可能な限りゲームでプライドに虐げられた周囲の登場人物を救おうと奔走する。ラスボスならではの優れた心身の能力を有し、献身的な姿勢をもつプライドに周囲は忠誠を誓うが、彼女は常に「そのとき」に備えていた。
同じパターンのように見えながら、それぞれ作者の工夫が込められ、「癒される」悪役令嬢ものの世界。未読の方はその美しい世界のページを開いてみてはいかがだろうか。もちろん「休息」をとって心に余裕ができたときに、だ。
<Profile>
上山道郎(うえやま・みちろう)●漫画家。埼玉県出身。「怪奇警察PSY-POLICE」で第27回小学館新人コミック大賞児童部門の佳作を受賞。同作品が『月刊コロコロコミック スーパー新年増刊』に掲載されデビュー。代表作に、『機獣新世紀ZOIDS』(小学館)、『ツマヌダ格闘街』(少年画報社)、『悪役令嬢転生おじさん』(少年画報社)など。インターネット上での続編・オリジナル作品の執筆・公開やtwitterでのパロディ作品の公開なども積極的に行っている。
<作品>
『悪役令嬢転生おじさん』
上山道郎
少年画報社
【あらすじ】
52歳の公務員・屯田林憲三郎は、事故がきっかけで娘がプレイしていた乙女ゲームの悪役令嬢に転生したことに気づく。オタク資質と人生経験であっという間に順応するものの、社会で鍛え抜かれたおじさん所作により悪役令嬢としての振る舞いはことごとく裏目に出て周囲の好感度を上げてしまう。憲三郎は悪役令嬢としての役目を全うできるのか……⁉
投稿者プロフィール
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