『カリメン』、『土曜de R。』(ともにRKBラジオ)などで活躍する、RKB毎日放送アナウンサー、冨士原圭希。敬愛する古舘伊知郎に憧れ、アナウンサーとして日々精進を重ねる最中、ついに古舘との共演が実現した。
今回、古舘とのエピソードや、古舘から授かった、アナウンサーとして大事にすべきことなど、熱い思いを冨士原アナウンサーにコラムにしたためてもらった。
<プロフィール>
冨士原圭希(ふじはら・たまき)●1998年千葉県生まれ。2020年、RKB毎日放送にアナウンサーとして入社。テレビでは『まちプリ』(毎週月~金曜 午前10・25~11・30)内コーナー『コレ9』(11・00すぎ)、ラジオでは『カリメン』(毎週金曜 午後9・00〜11・00)、『土曜de R。』(毎週土曜 午後1・00〜5・00)に出演。乳酸菌の過酷な運命を語った「乳酸菌地獄の黙示録」、幸せについて考えた「令和版・幸せなら手をたたこう」など、独特のフリートークを展開、掟破りのアナウンサー道を歩んでいる。
無難との闘争〜掟破りのアナウンサー戦線〜
文/冨士原圭希(RKBアナウンサー)
「冨士原っていう顔と名前は一致しなかったんだけど、『RKBに受かりました!』って言われたのを思い出したんだよ。それも嬉しかったしね…」
これは、9月3日、『古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)のなかで語られた一節だ。
てっきり幻聴かと思った。まさか、古舘トークの登場人物になれるとは…。松平定知アナウンサー風に言うならば、「その時、歴史が動いた」。
古舘さんは現在66歳、23歳の私とは43年の開きがある。初めての出会いは、『報道ステーション』(テレビ朝日系)。子供心に、そのメッセージのロックさが大好きだった。
年齢が上がると、過去の書籍や情報を集めだし、「人間山脈」「わがままな膝小僧」「走るメンズノンノ」「怒りのタバスコ走法」といった、名フレーズ数え唄ぶりにどんどんのめり込んでいった。
私がずっと好きだった「啖呵売」の精神も感じとったのかもしれない。東京言葉による江戸情緒も相まって、古舘さんの語りにはほのかな温もりがある。
そんな憧れの人が話してくれたのは、私が担当するラジオ番組『土曜de R。』に電話出演していただいたときのこと。
新人時代からトーキングブルースについてまで、時間の許す限りお話を伺い、インタビューを締めた。曲が流れ出す。私は感謝を述べ、こう続けた。
「もしもし、本日はありがとうございました。実は、お伝えしたいことがありまして…。私、古舘さんの授業を受けていた、教え子なんです」
ここからは、古舘「さん」ではなく、古舘「先生」とお呼びしたい。先生は2019年から立教大学で教鞭を執られている。私が通っていたのは早稲田大学だったが、一も二もなく聴講しに行った。
毎回大量のメモを取り、また、できるだけ視界に入りたかったので、最前列のど真ん中を定位置としていた。一方的な視線ビームを送っては、目が合った回数を正の字にしてノートに書いた。最高14回。
うーん、私は軽い変態なのか? いや、熱心な学生ということにしておこう。
思い出深いのは、講義最終日。古舘先生は、敬愛するジョージ・カーリンの話で授業を締めくくった。学生の割れるような拍手で教場が覆われたのを覚えている。
教壇を降り、立ち去ろうとする先生を、私は呼び止めた。
「僕、RKB毎日放送のアナウンサー試験に受かりました!」
先生は、「そうか〜よかったね」と大変喜んでくださった。
更に、アナウンサーにとって大事ことは何か尋ねると、一拍間を置いて、こう答えた。
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