WBCで野球世界一となった日本。しかし、日本が世界に誇るスポーツは野球だけではないんです! 2月に引退した元プロレスラー、武藤敬司の化身であるグレート・ムタが世界最大のプロレス団体、WWEの殿堂入りを果たし、4月1日(日本時間)に行われた式典では、タキシード姿のムタが毒霧を披露。世界中のプロレスファンの注目を集めた。それを記念し、本誌のチャレンジ特集に掲載された武藤のインタビューに加筆した「完全版」を緊急配信! 伝説の映画「光る女」についても、語ってもらっています!
取材・文/K.Shimbo 撮影/ツダヒロキ
TV Bros.5月号はチャレンジ応援号!鈴鹿央士ほかチャレンジの歴史とその極意
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https://tvbros.jp/tvbros-2023-05/
<プロフィール>
武藤敬司(むとう・けいじ)
1962年山梨県生まれ。1984年、新日本プロレスに入団。同期の蝶野正洋、故・橋本真也さんとともに「闘魂三銃士」を結成し、プロレス史に残る数々の名勝負を生み出す。2002年の新日本退団後も、「プロレスLOVE」を標榜して全日本プロレスほか団体の枠を超えて活躍し、2023年2月に現役を引退。現在はプロレスリング・ノア所属。
引退したレスラーたちで運動会をやりたい
――今回はチャレンジ(挑戦)がテーマなんですが、プロレスを引退されて新たな道に進む武藤さんにお話を聞かせていただければ。
今後のことはそんなに考えていないですよ。引退特需というか、トークショーをしたり、取材を受けたりと、今は忙しいですね。暇になってきたら、何かやりたくなると思うんだけど。
――武藤さんのプロレス人生を振り返ると、チャレンジの連続だったと思います。
それはいっぱいあるよ。そもそも、プロレスラーになることが挑戦だもんね。すげえ不安だったけど、見えないレールが感じ取れたというか。新日本プロレスに入門したのも、新日本の選手がケガをしたら行く整骨院の院長先生に推薦していただいからだし。それに、トレーニングがしんどくて、入って3、4日くらいでコーチの山本小鉄さんに「山本さん、やっぱり田舎帰ります」と言ったら、山本さんが引き留めてくれたんだよ。ほかの人が辞める時は「あぁそうか、じゃあな」って感じなんだけど、俺に限って引き留めてくれた。それがすごい、うれしくてね。期待されているのかなって。その後、多くの先輩方が他団体に移って、俺たちみたいな若いやつをのばさなきゃいけないということで、翌年にはもうアメリカ遠征だった。その時々はいつも必死だったけど、今振り返れば、見えないレールがあって、それに乗っかったっていう気がするね。ただ、24歳の時に最初に膝を手術してさ、そこからずっと治らなかった。一撃でバキッと折れるのではなく、雨のしずくで穴が開くように、何年もかけて徐々にっていう、この膝の痛みは本当に大変でした。
――そういう中で武藤さんが頑張れた原動力は、なんだったんでしょうか。
プロレスというのは、自分の引退試合にしたって3万人以上の人間がリングの上の俺と対戦相手だけを観ている。そして、自分が動くことによって、お客さんの心がワーってなるのを感じ取ることができる。この刺激というか、エクスタシーはなかなかのものでね。引退試合でなかば強制的に蝶野をリングに上げたんだけど、サングラスを取ったらレスラーの顔つきになっていたもんね。蝶野も多くのファンの視線を浴びて、そういうエクスタシーを感じていたんだと思う。それがほかのエンターテインメントとは違う、プロレスのいいところというかね。
――最近では長州力さんが引退後にバラエティー番組で大人気ですが、武藤さんがプロレス以外のエンターテインメントに挑戦する姿も見たいです。
この前、蝶野とトークショーやった時に、長州さんと3人で「M-1グランプリ」に出ようよっていう話になって。ネタはもう決まっていて、俺と蝶野が何を言っても、長州さんに「キレていないですよ」と言わせて、最後にどうやってキレさせるかっていう。それだけやってれば面白いんじゃないのって(笑)。
――まさかのトリオ漫才! 最後に長州さんをキレさせるのがオチになるという。
そうそう(笑)。あと、長州さんや蝶野もそうなんだけど、ほかの先輩方もみんな体がでかいから、年を取ると結構、体にガタが来ていて。こういう人たちで運動会がやりたいんだ。30メートル徒競走とかさ。いや、20メートルかな(笑)。
――観たいです! お笑いやバラエティー番組はよく観る方なんですか?
いや、どっちかと言うと、ドラマの方が好きですね。現役時代は巡業に出ると、一年に250試合とかやっていたこともあるから、連続ドラマはまったく観られなかった。今は、NHKオンデマンドとかNetflixで、昔の大河ドラマなどを観たりしています。この前はね、松山ケンイチさんの「平清盛」(2012年)を観ましたよ。
――藤波辰爾さんがお城好きで有名ですが、武藤さんも歴史好きなんですか?
大河ドラマで戦国時代はだいぶ観たので、自然に勉強にはなりました。「武田信玄」や直江兼続のドラマ(2009年「天地人」)も観たし。もちろん、今やっている「どうする家康」も観ているよ。「どうする」というタイトル通り、これまでと違ったイメージの家康だよね。俺らって武将は強いっていうイメージを持っているからさ。そう言えば、俺、出たこともあるんだよ。「武蔵 MUSASHI」(2003年)に、宝蔵院阿厳という槍使いの役で。
――フジテレビ「西遊記」(2006年)にも出演されていましたよね。
「西遊記」は大変だった! 人気の方たちばかりが出演していたから、すごいタイトなスケジュールで。夜も寝られるような状態ではない中で、孫悟空(香取慎吾)や三蔵法師(深津絵里)が長々としゃべった後に、俺のセリフでカットがかかるんだけど。俺がたった一言のセリフが言えなくてさ。みんなから、白い目で見られたよ(笑)。
――武藤さんはまだ若手だった1987年に、相米慎二監督の映画「光る女」の主演に抜擢されていますよね。
長回しっていう、ひとつのシーンをずっと撮るのが相米監督の演出の得意技みたいな感じで。そのために、リハーサルを30回も50回もやって、それでもその日は撮影しなかったり。そんな中で、初めての映画、初めてのお芝居だった俺は、セリフはリハーサルで覚えるものだと思っちゃってさ。何回もやっていたら、そこで覚えるからね。その後しばらくして、テレビドラマの依頼があったんだけど、撮影現場にセリフを覚えて行かなかったんですよ。この時も白い目で見られてね(笑)。悲惨だったよ。テレビは一回くらいリハーサルをやったら、すぐに本番になるんだけど、セリフを覚えていない(笑)。
――今後、ドラマや映画に出るならどんな役がいいですか?
セリフがないのがいいよ(笑)。60歳過ぎると覚えられないから。この前のゾンビのやつ(日本テレビ「君と世界が終わる日に」)がそうだったよ。あれはメイクなどの支度に3時間くらいかかって、撮影は5分だった(笑)。
経営よりも名義貸しがいいな(笑)
――ちなみに、引退後の生活は何か変わったことはありますか?
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