「いつか途切れる世界の終わりで」『オッペンハイマー』を観て【戸田真琴 2024年6月号連載】『肯定のフィロソフィー』

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※本連載はTV Bros.6月号岡村和義特集号掲載時のものです

 放射する光のエネルギーが重力を下回った時、自らの重力に吸い込まれるようにして星は死ぬ。オッペンハイマーが科学を学び、眠れない夜に頭の中に広がる宇宙/あるいはミクロの量子世界、おそらくその両方に想いを馳せながら眠る、彼の人となりを説明する物語序盤で象徴的に入ってくる情報だ。究極の自己免疫疾患である。この世界に、「世界の終わり」を与えてしまった男について語る『オッペンハイマー』は、その趣旨において、現代で成し得る最高の質を叩き出した傑作になった。アカデミー賞最多部門受賞も当然の出来だが、日本国内では欧米諸国に比べ公開が大幅に遅れた。広島・長崎原爆での被害を義務教育時点で目にし、トラウマになっている我々にとって、原爆というものは見たくも考えたくもない、意識したら途端に「あの死体の山の一人が自分だったかもしれない」と考えざるを得ない、向き合うことに非常に胆力の要る歴史だ。しかし本作はこういった所謂”賛否両論”がそもそも不思議に思えるほど、冷静に事実と罪を映像化し、「原爆を作った人間を持て囃してる」と解釈することはさすがに難しいだろうと思えるほど“まとも”な映画だった。

 物語は徹底してオッペンハイマーという「個人」を描くことに注力する。3時間に及ぶ上映時間はそれでも足りないと感じさせるほど無駄がなく、しかし、その「無駄の無さ」は決して彼の人生の要所だけを取り上げているという意味ではない。彼の私生活や人格のアンバランスさ、恋人関係など研究に直接関係がないと思われる個人的な側面も描き、「あるものごとが引き起こされるまでには、無数の因果が連なっている」ということを映画全体を使って表している。それは量子力学での世界の捉え方とリンクし、我々が見ている「見えるモノ」主体の世界を裏側からほどいていく。大衆の夢と期待を背負った新兵器として開発された原子爆弾が、実際に投下され戦争を終わらせたという米国視点の物語も、残酷な化学兵器が実験的に母国に投下され癒えない傷を残した、という日本視点での物語も、そのどちらもそれぞれ語り部はいた。これまでに語られた多くの言説や作品に、その実態を見ることができるだろう。しかし、クリストファー・ノーランはオッペンハイマーという「個人」を徹底して描くことで、「オッペンハイマー以外のすべて」を描こうとしたと言えるだろう。彼は世界のなかを生きる人間であり、同時に世界のすべてに接続している一点のパーツであった。それがどう動いたかで、世界の運命がまったく変わっていく、我々が生きている今この宇宙は、オッペンハイマーが原爆開発に成功したパターンの未来なのだ。

 『TENET』で(あったかもしれない)第三次世界大戦を止めたノーランが、今度は歴史を遡ることで自身をプロタゴニストとしている。というのが私の感想である。第三次世界大戦は起きる。そしてきっと、この人間社会は終わる。世界の終わりというのは派手な花火や「END」の文字や長い黒味やエンドロールではなく、何年も、何十年もかけて続いていき、やがて本当に誰もそれを記録することも読むこともできなくなった時に終わる、終わりというより、「ついに途切れる」のだ。物語冒頭そしてラストを包むのは水爆をめぐる意見対立と、水爆賛成派に過去の過ちの数々を問いただされ機関を追われるオッペンハイマーの姿である。水素爆弾の破壊力はすでに投下されたことのある原子爆弾の比にならない。原爆のエネルギーを起点にし、水素によって連鎖的に爆発していく。表面を水素に覆われているこの星は、劇中のイメージ映像のように、表面全てを火に包まれ、土の上に発達した文明のほとんどすべてを失うだろう。原爆は過去のものではなく、そこから連なって生まれたあらゆる因果がじわじわと世界を終わらせるための条件を満たし続けている。世界中のニュースからミクロな自分の生活まで、あらゆる視点から「もうすぐ世界は終わってしまうのではないか」という予感を感じている人は少なくないだろう。しかしこの映画を見て確信した。もうすぐ終わるんじゃない、もうすでに、終わりが始まっている。宇宙全体から見たら、それは一瞬で終わったように見えるだろう、しかし、我々が定義して体感している時計の針やカレンダーによると、きっと何年も、何十年もかかる「終わり」の、すでにその最中にいる。私たちは終わりの中を生きている。仮に、クリストファー・ノーランがそのことに気づきながら、『TENET』のように、じゃあもしもそれを止めることができるとしたら、遡るべき点はどこなのだろう、と考えたとする。当然、原子爆弾の開発の成功、あのフィルムで撮られた耐え難い閃光、まぼろしでしかありえない全て包み影をひとつも落とさせない光。あのシーンより少し前に戻って、なぜあの光が生まれてしまったのか、それを描くだろう。あの爆発ののち、その光を吸収し切って有り余るほどの、終わりのない重力の点が残る。それはブラックホールとなってあらゆるものを吸収していく。地球上の人間社会の未来と、人々の正常な判断や矜持と、オッペンハイマー自身の人生の栄光も吸いつくしていく。人は星なのだ。

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