「宇宙の星は引き攣れて」【 戸田真琴 2020年10月号連載】『肯定のフィロソフィー』

愛は5次元の力で、時間は伸び縮みはするけれど逆方向には進まない。

 SF映画で聞いた言葉を、奥歯で噛み砕きながら生きる。誕生日を過ぎてまた一つ大人と呼ばれる年齢になったものの、そこにある感慨は「目の前にいるファンの人たちと何度目のお祝いをしたのか」といった種類のものだけで、自分の歳についてはなんの感情もない。何歳だっていいのだ、こんなものは。時間は伸び縮みするもので、君と過ごした年月は思い起こすタイミングによってずうっと長かったようにも、昨日始まったばかりのような気さえする。その間僕らが何に導かれて歩いてきたのか、確かめにいくことはできない。あの日あの時、どんな言葉で君があんな顔をしたのだっけ。あの日あの時、私はきっと喋り過ぎていただろうが、どうしてあんなに何時間も街の中を飛び跳ねていたのだっけ。私たちがこれから確かめにいくことができるのは、いつも今日ここからの未来だけ。思い出すべきことも、遡ってまで間に合わなければいけなかったことも、知りたくないことを知ってしまっても、何も知らなかった頃の君の方が好きだと言われたとしても、それでも、昨日に戻れないということを愛することができるだろうか。

 私の好きになる人は、十中八九、百発百中、好きになるときにはもう既に、傷ついている。そういうものだ、そういう魂なんだと思う。傷ついているのに、笑ってくれるのは、それだけでもう、愛するための理由に充ち満ちている。私はいつか、本当の悲しみが見たい。傷一つないものを美しいとは思わない。もしも時間が逆行して、君が一度も痛い思いをしない人生を作れるとしたら、きっとそれが一番いい。赤ん坊は誰もが、自分がまるで他人から傷つけられる日が来ることなんて、予想もしない目で生まれてくる。全ての命が今日この時も、愛されることを期待して、誰にも助けてもらえなかったらすぐに死んでしまうくらいの柔らかさで生まれ落ちる。私が神様だったら、その辺に転がしておいてもそう簡単には死なないように作るのにな。どうして人は自分で自分の命を絶ってしまう選択肢を知ってしまうのだろう。見えない星屑の鎖があって、君が君を刺してしまおうと思う時、宇宙の星が引き攣れてグチャグチャに崩れてしまえばいいのに。本当はね、君が死んでしまっても回り続けてしまうような薄情な地球なんかいらないんだよ。君が死んでしまっても続いていくような世界は馬鹿だ。これは私にとって特別懇意な人がいなくなった時だけではなくて、会った事のない人が死んだって毎回思う事だから、覆らない。会った事のない君にも、死なないでほしい。何の責任も取れないのは、私がひとりの人間にすぎないから。君を殺した人を殺せないのは、私がひとりの人間に過ぎないから。君の魂から抜け落ちた悲しみを、消えてしまう前に奪い取っていつかどこかに刻んでおかなければならない気がして、そんなことが私のような、俗っぽく努力もできない、うじうじといつも悲しみのことばかり考えている、しみったれた命にできる事なのかどうかわからない。

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