「教科書を迅速に突破し遥か光る個人へと辿り着け」-映画『バービー』と『君たちはどう生きるか』が同時にかかる2023年に向けて【戸田真琴 2023年9月号連載】『肯定のフィロソフィー』

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※本連載はTV Bros.10月号同居生活特集号掲載時のものです

 

映画『バービー』は、その作品自体が目指そうとしたものからきっとそう遠くない、まさに見事な仕上がりだった。フェミニズムに無関心な(正確には、無関心でいられるという特権を持った)層に最初のデコピンをするにはとても効果的な作品だと思う。誰もが知っているおもちゃを題材に、ファンタジックSFとして一見隙のない脚本をつくりあげ、数々のメタファーを散りばめて、高クオリティのキャストと演出でパッケージングする。ハイヒールかビルケンシュトックのどちらかを選ばせる、みたいな誰でもくすりと笑わせられるシーンから、アメリカでこの作品が想定する世代を生きていた人じゃないとピンと来ないものまで小ネタの幅が広く、魅力的な冒頭シーンに引き込まれ、いくつかのギャグに笑っているうちに観客の心は一度はきっと開くだろう。その開いたところに一矢報いる、といった明確な策略が映画の構造そのものになっていて、それは実際ストーリー内でバービーたちが実行する作戦とも同じである。

聡明でクレバーなフェミニスト監督であるグレタ・ガーウィグの高度なテクニックと、自らのルックスを逆手にとって突き進むプロデューサー兼主演のマーゴット・ロビーは側から見ても最強のタッグで、ある意味の無双状態。パワフルな彼女らにエンパワメントされ、数多くの女性は自分の中に眠っていたエネルギーを再確認し、いくらかの男性はこれまで感じていた小さな違和感のタネを自分の言葉で解析していくための初めの一歩を得るだろう。2023年、やっとここまでわかりやすい作品が、大資本から作られ、シネコンの特大スクリーンでかかっている! とても喜ばしく、素晴らしいこと。ピンクで可愛いかも、くらいの気持ちで誰でも気軽に見に行って欲しい。

 

と、当たり前の態度として称賛をした上で、私は観賞後、ある強烈な渇望を感じていた。それは、ごく個人的なもの、誰かの他愛もない日記とか、バイトの休憩室でひとつ溢れる悪口、見知らぬ人がiPhoneで撮ってSNSに載せた動画、そしてエッセイ、私小説、実験的日記映画、世界中で一人くらいにしか響かないかもしれないあらゆるもの、そういう個人史的なものへの渇望だった。『バービー』は当然ながら人形で、主人公は中でも通常タイプのバービー。他にもさまざまな人種、職種、役割のバービーが登場するが、それらはすべて(もちろんきっとわざと)コンセプトでしかない。完璧なバービーランドから人間界へ行き、家父長制を学んだケンがそれをバービーランドへ持ち込みひと騒動が起きる……というストーリーの結末は、あなたにも、わたしにも、みんな「人権」がある! という段階のことが声高に叫ばれるようなもので、それは当たり前だしそれすらも言わないとわからない(言っても、伝わらない人が山ほどいる)この世がまさに地獄だというだけである。そう、フェミニズムの第一段階を二時間で語り切るためには、その目的外のことをかなり切り捨てなければ成り立たないのだ。個人の苦しみ、喜び、葛藤、本当の意味での自己の獲得といったあらゆる個人的なことが、ここには映らない。象徴VS象徴、まさにお人形とお人形の物語を見る質感で、ある意味では完璧な映画化である。私が個人史を渇望するのは、映画が好きだから。それも、芸術としての映画が好きだからである。私にとってはおそらく、芸術性があるかないかの違いと、個人的な何かが映っているかどうかの違いに、深い繋がりがあるのだ。

 

そう考えると、宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』はやりすぎなくらい個人的な作品だったと言える。日本中のアニメ会社が協力して作り、具体的な宣伝なしに大ヒットを叩き出すという、なにもかもが特大規模で成し遂げられた作品が、ここまで一人の人間の個人史然としているのは、ほとんど奇跡と言えるだろう。この映画の感触は、鑑賞者が宮﨑駿作品に愛着や情熱を持っているかいないかでかなり異なり、私は後者であったため、なかなかドライな感想を持った。日本の有名アニメ監督の多くは、アニメーターとしての才能と技術と世界観を第一に、その上で物語の出来、といったバランスで総合的に評価されている印象を受け、私のような、アニメーション技術にそこまで関心がなく、ストーリーと人権感覚の方を重視して見てしまう観客とあまり相性が良くないのだ。宮﨑駿監督といった日本一の巨匠であっても、自分の中にはいくつかのわだかまりが残ってしまったのが正直な感想である。といっても、フリルエプロンの少女姿のお母さんがジャムパンをつくってくれ、あなたを産めただけでよかった、と少年に言ってくれる映画が2023年にかかっていて、何も突っ込まずに感動していられるほどには、私はジブリファンでも監督に思い入れがあるわけでもないというだけのことなのである。今作に深く感じ入り、感動をした人たちを貶める意図は全くない。アニメーション作品として、非常に素晴らしく、多くの人の想像力を刺激する作品だと素直に思う。

そう、個人的な女性観や人生観の相性のよくなさは置いておいて、この「監督本人のこだわりやフェチズムが露わに映り、創作人生を総括するかのような超個人史的な作品」が最大規模のシネコンで一時間おきくらいにかかっている、そのこと自体を素晴らしいことだと改めて思う。

 

この二作品はある意味対比的で、『バービー』は個人から離れエンタメとしての様式で女性の置かれている状況を教科書的に教えようとし、『君たちはどう生きるか』は芸術としての文脈で一人の男性の個人史を表出した。これを、映画館でかかる映画に幅があって素晴らしい、映画は自由なメディアだ、とポジティブに捉えることもできるけれど、フェミニズムのある視点としては、「男性が豊かな状況で個人的なフェチズムやこだわりを表現でき、それに対して文句も言われないでいる間、女性はその個人的な部分のはるか手前、そもそも私たちも人間で、人権がありますよ、というところの説明からさせられている」とも読み解ける。同じ2023年の夏に、同じTOHOシネマズで。

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