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監督作「永遠が通り過ぎていく」の上映後にパンフレット購入者にサインを行っていたときだった。映画の感想や、創作活動への激励の言葉をにこやかに受け取り、また次に並んでいる人のパンフレットにサインをする。こだわりの詰まった透け感のある表紙の雰囲気を損なわぬよう銀色のペンで、余計な情報無くさらっと。今ここに入る私のサインに大した価値はないけれど、この価値が上がるくらいがんばっていきたいな、なんて祈るみたいに書いていく。アクリル板越しにぎりぎり聞こえるくらいの声で、目の前にいる40代くらいの男性が「ほかのAV女優のサインは持ってるんだけど、あなたのは持ってなかったから。映画はよくわからなかった」と言った。こういうとき、苛立つよりもずっと先に、わたしの表情筋は笑顔をつくっている。あはは、よくわかんないですよね。すみません。と、なんの重みもない言葉が口先から飛び出したが、サインを描き終えたパンフレットを掻っ攫うように引っ張って、男性は帰っていった。意味のない謝罪と苦笑いだけが弧を描いて映画館の床に落下し、転がる。ピンポン玉みたい。

昨年4月から各地で舞台挨拶を回ってきたけれど、東京にも、愛知にも大阪にも京都にも神戸にも北海道にも、こういう人はいた。今1時間見たはずの映画と15分聞いたはずの私の話が全て無かったかのように、デビュー時のイベント以来ですね、あのときはおぼこかったよね、と懐古する人。ヌード姿の戸田真琴が印刷されたピンク映画のポスターを持ってきてサインを求める人も、「今日は機嫌悪いの? 笑顔が少なかったけど」と指摘する人もいた。「意味わかんなかったよ」と悪びれもせず小馬鹿にしたように笑うおじさんは、数え切れないほどいた。コンビニには私のグラビアが掲載された週刊誌の表紙に、「美人映画監督のヘアヌード」と見出しがついている。あの掻っ攫うように引っ張られていったパンフレットが、もっと優しい人の手に渡ればよかったな、とか、あいつが座ってたひと席が、クレジットカードがないから予約できなくて満席だと見に行けない、と言っていた高校生の女の子の席になったらよかったな、とか、ほんの少しだけ思っては、何かを売るということは、買う人を選べないということ。映画を映画館にかけるということは、見る人を選べないということ。と、呪文をとなえてわざと、感情の行き場をなくす。ほんとうは、普段の仕事の取捨選択と表出のされかたによる世間的イメージのコントロールや、サービスの抑制、デザインや打ち出し方の方向性の選択を重ねていけば多少は足を運ぶ人を“選ぶ”ことは可能だろう、だけれどそれも完全じゃない。若く見え、従順そうに見える女性の肉体が今はまだ私の魂の乗り物である限り、勝手に“この女は自分を喜ばせるために居る”と勘違いした行動に出るやつがいるのだ、何処に行ってもいる。薄ら笑いで「よくわかんなかったよ」と吐き捨てながらもサインだけは貰って帰る人間の背中を見るたびに、AV女優をやめる判断をして正解だったなと心から思う。

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