言葉にできないあなたの代わりに。-漫画『緑の歌』を読んで、台湾と、芸術に思いを馳せる【戸田真琴 2022年6月号連載】『肯定のフィロソフィー』

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「緑の歌」という漫画を読んだ。上下巻で、台湾出身の漫画家が描いている。本をひらくともう3年くらい訪れることが出来ずにいる、あの大好きな、台湾の風や光や人々の持つ優しい眼差しが打ち寄せてきて、胸が震えた。わたしは台湾という土地が好きで、訪れたときにはいつもそこで暮らすことを自然と考えた。日本よりいつも少し暖かく、12月でも長袖のシャツ一枚でちょうどよく、光の色がより白く眩しく見え、緑はつやつやとし、街ゆくひとたちからはいい意味で周りのひとたち、観光客である私のことさえもまったく気にしないでいるような、心地の良い不干渉が感じられた。東京の女の子たちのようにいつも完璧にメイクをしてきれいな格好をしてヒールを履いていなければいけない、というような空気がなく、みんな気を張っていないのに、人々のそのまま持っている可愛らしさや眩しさが垣間見える。タクシーの運転手も、お店の店員さんも、嫌な干渉をしてこないのにも関わらず、優しい。その優しさは、私から見るととても特別できれいな宝物のように感じられるけれど、彼ら自身にとっては自然に持ち得ているものであって、きっと自分たちがやさしいひとだという自覚すらもあまりないのではないか、と、勝手にこちらが考えてしまうような、そういう、河川敷で光を受けながら揺れる露草のような、やさしさだと思った。

と、外から数回訪れただけの私がその土地を語るにはなにもかもが足りていないということは重々承知の上なのだけれど、それでも、台湾に渡航が叶わなかった2020年からの3年間を思うと、そこにはずっと、遠くにいる恋人と物理的に引き裂かれているような、懐かしくて切ない痛みがあったと思う。それを恋と呼ぶのなら、きっとそうなのだろう。この漫画の中では、そんな恋人の好きなところをひとつひとつあらためて見ていくような幸福を体験することができた。紙とペンだけで、その土地にいったような感覚も、映画にも音楽にも、放課後ライブハウスへ向かう忙しない道のりまでも、読む人に魅せることができるのだから、漫画という表現はすごい。ずるい、うらやましいな、と思いながら、読んだ。

作品の中では、主人公の女の子と、その子が出会った男の子が、細野晴臣の音楽や、村上春樹の小説、エドワード・ヤンの映画などを引用しながら、交流していく。かれら自身も、小説を書こうとしている女の子と、バンドをやっている男の子であり、まだそれぞれに表現者としては未熟なところがありながらも、もがいているところだ。自分らの表現を通して伝えるべきことすべてを完全に形にすることができる段階には至っていない彼女らは、すでに世の中にあって、アンテナをはっていれば出会うことのできる、日本の音楽や文学などに触れることによって、それらをまだ言葉にしきれていない感覚の発露として共鳴し、互いの感性を知り合っていく。

 

かれらがまだ全てを自分の力で表現に消化できているわけではない、というところが、この作品において、そしてこれを読むひとたちにとって大切なことだと思った。

 

今、インボイスが導入されるかもしれないという議論の中で、数多くの人たちが反対の声をあげている。それらの言葉は私には至極真っ当に見え、どうにかして止められないものかと頭を悩ませたり、反対派の意見を茶化す人たちを見かけて暗い気持ちになったりしている。インボイス反対派の声を茶化す人たちの中には、根底に「自営業・クリエイター業の人たちへの嫉妬心」を抱えている人たちもいるように見える。これまで見逃されてたんだから痛い思いをしろ、とでもいうような、突き放した冷たい視線だ。それはかつてnote記事「SNSで死なないで」でも書いたように、「何者かにならなければならない」「個性をもって好きなことをして生きるのが至高」「それができないのは無個性でつまらないこと」というような、世の中に蔓延っている強迫観念のようなものによって育まれた、「普通に生きていることの劣等感」も強く影響しているように思う。

当然、世の中に楽な仕事などないし、それぞれの職業にはそれぞれのメリットとデメリットがあり、皆、何かを当然に犠牲にしたり耐え忍んだりしながら、それでも少しでも適正のあるものをなんとか選べるように懸命に生きているだけなのだ。職業に上下などほんとうはない。隣の芝が青く見えるだけのことを、嫉妬心として育て上げ、ただ内心に抱えているだけならまだしも、自分とは違うやり方で生きている人たちの足をひっぱろうと考える人がパッと見ただけでもたくさんいるという事実に、また暗い気持ちになる。

 

そもそもインボイスが導入されたとして影響を受ける業種はクリエイターや作家に限らず、個人経営のお店や職人、タクシー運転手など大手企業以外のありとあらゆる業種で、直接関わらない企業であっても個人事業主や中小企業に発注を行う場合は価格などに影響が出るし、社会全体へと結局満遍なく影響が出るのだと思うのだけれど、自分には関係のないことなのだと思っている人がとても多い。そういった性質をよく調べた上で賛成をしているならまだしも、おそらく全体への影響があるであろうことまで考えずに、ふわっとした理解と漠然とした嫉妬心で判断をし、それを政治的判断へ反映させるというのは大人として非常に未熟な行動原理だと思う。

インボイスの話を置いておいても、「表現者」や「クリエイター」「作家」などの業種に対して憧れや嫉妬心を感じている人は多い。劣等感によって攻撃に転嫁する人もいるし、そういう人たちの中には、SNSでの誹謗中傷や直接的な攻撃に出てしまう人もいて、やるせない気持ちになる。職業として物を作っているクリエイターも多くいるし、その人たちに対して嫉妬する人もいるけれど、ここでは、今回とりあげている作品「緑の歌」にからめて、音楽や小説、映画など「芸術」と呼ばれるものをつくる人たちに焦点をあてて話したいと思う。

 

作品の中に描かれる、主人公たちが憧れるアーティストたちの在り方、そして、彼女ら自身が作品に触れ、芸術というものとどういうふうに共に生きているのか、を感じて欲しい。誰もが、生きて、ものを感じ、そのひととして、呼吸し、考え、行動し、生きているだけで、その人固有の芸術をその身体に宿して生きている。生きているということ自体がほんとうは作品なのだと、いつも、どんな人に対しても思う。

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