世田谷ピンポンズによる連載が、今月よりリニューアル! 毎月気になった書籍を、彼の持ち味である、生活感のあるノスタルジーが散りばめられた文章でご紹介。今回は話題の大白小蟹『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』をピックアップ。
- 【最終回】又吉直樹『東京百景』それでも僕たちはこの街に憧れて、この街で生きて【世田谷ピンポンズ連載2023年5月】
- 大島弓子『秋日子かく語りき』取り戻せないものはいつだって眩しい【世田谷ピンポンズ連載2023年5月】
- 松本大洋『東京ヒゴロ』 人は表現を生きるのか【世田谷ピンポンズ連載2023年4月】
海のない街に住んで、海のことばかり考えている
文/世田谷ピンポンズ
いま使っている洗濯機は大学入学を機に一人暮らしを始めたころ買ったものだから、なんだかんだもう二十年近く使っていることになる。流石に最近少し動きが鈍くなってきたなと感じることもあるけれど、まだ全然現役だ。彼はたまに信じられないくらい大きな音を立てて踊る。こちらが心配になるくらい激しい揺れを繰り返したかと思うと、ピーピー言って急に止まる。中で脱水されたシャツがくたくたにしぼんでいる。彼は僕が暮らしてきた東京の二つのアパートも、いま住んでいる京都の部屋も全部知っている。
大白小蟹『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』を読んだ。表題作にもなっている「うみべのストーブ」にはスミオとえっちゃんというカップルが登場する。彼らの部屋に置かれたストーブはスミオが一人暮らしを始めたときに買ったものだ。ストーブはスミオがえっちゃんと暮らし始めてからもずっと一緒にいる。
同棲し始めて一年後、えっちゃんは部屋を出ていく。
「スミオは言葉が足りないよ」
どうして言葉は誰かを想う気持ちの分だけ溢れ出てくれないのだろう。どうして言葉は感情をたやすく追い越してくれないのだろう。いくら後悔したところでもう遅い。
失恋に思い詰めるスミオを見かねたストーブは彼にそっと語りかける。
「えっちゃんを誘って3人で海に行こう」
えっちゃんは冬の海が好きだった。しかし付き合っているとき、二人は一緒に海に行かなかった。
ストーブとスミオは堤防に座って海を眺める。スミオがえっちゃんに送ったLINEに既読がつくことはおそらくない。
「俺いつも自分のことばかりだった」
「えっちゃんよりも自分のことが大事だったんだ。ばかだなあ」
「うん。きみはばかだ」
どうして後悔はすべてが終わった後にやってくるのだろう。どうして取り戻せるものの何もなくなった後にやってくるのだろう。
二人が元に戻ることはもうない。それでも二人がお互いに好き合っていたころのことをストーブは覚えている。確かに存在した時間のことを覚えている。
(世田谷ピンポンズ私物)
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