永田裕志を今こそ再評価したい!【連載『神田伯山の“真”日本プロレス』延長戦!2022年8月号】

講談師・神田伯山&実況アナウンサー・清野茂樹がプロレスをとことん語りつくすCSテレ朝チャンネル2「神田伯山の“真”日本プロレス シーズン2」の歴史コーナーがいよいよ佳境に! 今回取り上げた2004~05年は日本史で例えるなら、まさに幕末。黒船で揺らいだ徳川幕府と同じように、「PRIDE」「K-1」という外圧に押された新日本プロレスは迷走を重ね、ついにはアントニオ猪木のオーナー退任という大政奉還を断行。新しい時代を迎える前に乗り越えなければならない混乱期、新日本の“夜明け前”に起きた出来事を、伯山&清野に深掘りしてもらいました。読めば、永田裕志を応援したくなること請け合いの“延長戦”をどうぞ! 1、2、3、ゼアッ!

取材・文/K.Shimbo(2004年~2005年前後の印象的な出来事は、2005年7月11日の橋本真也さん逝去。そして大晦日のPRIDEでの小川直也の入場。プロレスファンとして、永遠に忘れません)
撮影/ツダヒロキ(同じく、佐々木健介の新必殺技ボルケーノ・イラプションが火山の噴火により数回しか使われずに封印されたこと)

豊本明長(東京03)特別寄稿 2日連続ドーム大会、団体対抗戦で歩み出した新日本プロレスの50周年イヤー、プロレス業界に今、思うこと
「実況で改めて考察する『1.4事変』」清野茂樹(実況アナウンサー)【私にとっての「1.4事変」】

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<プロフィール>
神田伯山(かんだ・はくざん)●1983年東京都生まれ。日本講談協会、落語芸術協会所属。2007年、三代目神田松鯉に入門し、「松之丞」に。2012年、二ツ目昇進。2020年、真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。講談師としてもさることながら、講談の魅力を多方に伝えるべく、SNSでの発信やメディア出演など様々な活動を行っている。現在は『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)などに出演している。
清野茂樹(きよの・しげき)●1973年兵庫県生まれ。広島エフエム放送(現・HFM)でアナウンサーとして活躍。『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)で数々の名実況・名言を生み出した古舘伊知郎アナウンサー(当時)に憧れ、宿願だったプロレス実況の夢を実現すべく、2006年フリーに。2015年には新日本プロレス、WWE、UFCの実況を行い、前人未到のプロレス格闘技世界3大メジャー団体を実況した唯一のアナウンサーになる。『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本)のパーソナリティーとしても活躍。

『神田伯山の“真”日本プロレス』
CSテレ朝チャンネル2 毎月第3土曜午後10・00~(9月回は9/17土曜午後10・00~)
出演 神田伯山 清野茂樹(実況アナウンサー)
“最もチケットの取れない講談師”の神田伯山と、プロレスに魅せられた実況アナウンサーの清野茂樹が、テレビ朝日に残された貴重な映像を観ながら、プロレスの歴史をマニアックに語り尽くす。そのほか、当事者を招いて真相を探る「真のプロレス人に訊け!」や、現役プロレスラーの魅力を深掘りする「最“真”日本プロレス」といったコーナーも。
番組HP:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/recommend/hakuzan/

テレ朝チャンネル至極のプロレスラインアップ
番組HP:https://www.tv-asahi.co.jp/ch/wrestling/

アルティメットロワイヤルは結末も含めて何から何までよくない(伯山)

――まずは、長州力さんの復帰(注1)から語っていただきますが、現役の選手たちがかわいそうでしたね。

 

伯山 当時52歳の長州さんがまだ求められているというのは、あの現場にいたレスラーたちは辛かっただろうなと。あと、あそこでの永田さんがちょっと…。永田さんには何かをしてあげたいですね。だって、功労者じゃないですか。格闘技をやったりとか(注2)。なんかすごい損しているな、かわいそうだなっていう、その象徴的な事件でしたね。永田さんが行っても、ライガーさんが行っても長州さんの存在に勝てないという。なんとも皮肉な、悲しいものを見せられた感じがしました。

 

清野 逆に言うと、熱のなかった新日本の会場に、あの日は熱が生まれた。猪木さんが長州さんを戻せと言ったそうなんですが、これはやっぱり猪木さんの目論見どおりというか。お客さんが求めるものというのは、時に残酷ですよね。

伯山 それは、本当に思いますね。

――ライガーさんの長州さんへの怒りって完全に素でしたよね。今思えば、猪木さんらしい過激な仕掛けは、あれが最後だったような気がします。

清野 そうですね。リングに劇薬を投入するっていうのは、最後かもしれません。あの日は台風も来ていたんですが、会場に観に行った友達は行って良かったって言ってました。台風の影響で興行そのものをやるのか、やらないのかという中、行ったら長州さんが出てきて。あれは燃えたと言ってましたね。

――それでは続いて、清野さんが前衛的と表現していた、アルティメットロワイヤル(注3)を振り返っていただきます。

清野 伯山さんには事前にVTRを観ていただいたんですが、本当に申し訳ないというか(笑)。かなり上級者向けですよ。

伯山 上級者っていうか、あれは本当に分からないですね。それにしても、何がいけなかったんですかね。

清野 現場にいる人が、誰もコンセプトを理解できていなかったんです。

伯山 選手もレフェリーもですか?

清野 はい。だから、お客さんも当然、分からない。プロレスというより、人に見せるもので、そんなことはなかなかないですよね。現場に一人も理解している人がいないという。

伯山 僕はアルティメットロワイヤルは、リアルタイムで観ているはずなんですよ。でも、記憶にないんです。プロレスファンって、格闘技も普通に並行して観るじゃないですか。あの時期のPRIDEが面白すぎて、記憶の容量の中にPRIDEばかり入っているみたいな感じがありますね。今回、改めて観て、永田さんが勝つべきだと思いました。結末も含めて、何から何までよくないですよね(笑)。

清野 永田さんと話をした時に、「新日本プロレスを辞めたいと思った時はありますか?」と聞いたことがありまして。今まで2回あるけど、1回目はアルティメットロワイヤルだったそうです。1日2試合(注4)、しかも何のコンセプトも決まっていないような試合をやらされて、自分が大事にされていないと思ったと。あそこで優勝していれば、まだ報われたと思うんですけどね。

伯山 大事にされていないのは間違いない(笑)。

清野 優勝もできないという。永田さんの渋い顔が印象に残りました。

伯山 どうしてなんですかね、永田さんて。なんかつらいんですよ、役回りが。

清野 困ったときは永田さん任せっていう空気がありましたよね。気の毒としかいいようがないんですよ。この時、36歳というレスラーとして、いよいよ円熟期に差し掛かる、まだ老け込む歳ではないんです。でも、当時の社長からは「これからは若い選手の踏み台になってくれ」と言われたそうです。

伯山 えーーー! 36歳で! 今、34歳のオカダ・カズチカさんはバリバリですよ。

清野 そうなんですよ! 内藤哲也さんは40歳ですよ。なのに、36歳で踏み台にさせられるというのは…。

伯山 でも、いまだに新日本にいるじゃないですか。それも素敵ですよね。あんなにいやな目に遭っているのに。

清野 永田さんになんで思いとどまったんですかと聞いたら、「辞めた選手はみんなうまくいっていない」と。それをさんざん見てきた。それで、うまくいかないから戻ってくる選手が本当に嫌で、「自分はそうなりたくない。だから辞めない」とおっしゃっていました。

伯山 でも変な話、永田さんは外に行った方が活躍しそうじゃないですか。

清野 チャンピオンになる力は十分ありますよ。

伯山 新日本以外ではすごく大事にされている(笑)。

清野 不思議ですよね、本当。

伯山 永田さんは新日本を支え続けている存在なのに、なんなんでしょうね。

清野 そうなんですよ。現住所、本籍は新日本のはずなのに。

伯山 なんか悲しいですよね。

清野 でも、これが哀愁になるというか。

伯山 永田さんの人生って何なんですかね。運とか時代っていうのは大事なんだなと。なんか、いろんなことを考えちゃいます。レスラーとしては、ずっといいコンディションを維持していますよね。体もいつもパンパンに張っていて。

清野 今、54歳なんですけど、永田さんはもともと体育会系だし、練習が体に染みついていて。いまだに毎日道場に行って、練習しているんですよ。

――長州さんは永田さんを「天下を取り損ねた男」って言っていました。

 

伯山 出戻りの立場で言うセリフではないんですよ(笑)。しかも、2回も言っているじゃないですか。鬼越トマホークさんみたいな(笑)。長州さん、これに関しては鬼越トマホークさんと芸風かぶっているんですよ。やっていることは同じ!

注1・長州力さんの復帰 2004年10月9日、両国国技館。新日本を離脱し、自身の団体WJプロレスを旗揚げした長州が新日本にサプライズで登場。リングに上がってきた永田に長州が「天下を取り損ねた男がよく上がってきたな」という辛辣な言葉を放つと、大長州コールが発生。本来なら歓迎されないはずの長州に大歓声が起き、長州に対して怒りをぶつける獣神サンダー・ライガーにブーイングが浴びせられた。新日本マットを守ってきたレスラーたちにとっては、つらい現実を突きつけられる事態となった。

注2・格闘技をやったりとか 永田は2001年大晦日にミルコ・クロコップと、03年大晦日にエメリヤーエンコ・ヒョードルと総合格闘技ルールで戦い、いずれも秒殺負けを喫した。プロレスの価値をおとしめたと酷評されたが、ヒョードル戦は興行開催自体も危ぶまれる中、猪木に頼み込まれて前日に試合が決定するという状況で、むしろ永田の男気を称賛する声もある。また、古舘伊知郎との対談で永田は、ミルコ戦は藤田和之と週刊ゴング編集長だった金沢克彦氏にたきつけられたと明かしている。筆者は、ザ・ドリフターズの仲本工事が経営していた伝説の居酒屋「名なし」で、永田と金沢氏が楽しそうに飲んでいるところを目撃したことがある。

注3・アルティメットロワイヤル 2005年1月4日、東京ドーム。8人の選手が参加し、総合格闘技に近いルールでシングルマッチを2試合同時に行う。勝者が勝ち残り、最後に残った1人が優勝となる。ロン・ウォーターマン、成瀬昌由、中西学、矢野通、ドルゴルスレン・スミヤバザル、長井満也、永田裕志、ブルー・ウルフが参加。最後はロン・ウォーターマンが永田を破り、優勝した。筆者も伯山と同じく、リアルタイムで観戦したはずだがまったく記憶がない。ロン・ウォーターマンって誰だったっけ…?

注4・1日2試合 永田はこの日、シドニーオリンピックのレスリンググレコローマンスタイル69kg級で銀メダルを獲得した弟、永田克彦と「レスリングエキシビジョンマッチ・プロアマ兄弟戦」を行っている。当時の新日本がいかに、永田を頼っていたかが分かるマッチメイクといえる。

 

ファンとしては猪木のオーナー退任はショックだった(清野)

――そして、アントニオ猪木さんが新日本のオーナーを退任(注5)するという歴史的な転換点が訪れます。

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