好きな人の真似ばかりしているときがわたしにもあった。
教科書に載っていた宮沢賢治のことばがうつくしく、白んだ雲のうちに一筋さす黄桃色の光のように胸にしみて、しんみりと大事に思いながら帰って来た日にだって、晩御飯のあいだにそのことを話すと、あんなよくわからないこと書いているひとは馬鹿だから読むのはやめなさい、と恥ずかしげもなく言う家族の中で育ってしまった。感性の、腐った死体が目の前にぶら下げられているみたいで、そのときに流れていたテレビのバラエティごと気持ちが悪くなり席を立った。わたしは、わたしが思い描くような素敵な人間になることは、一生かなわないのだと気がついていた。わたしの自由は、ゼロからなど始まりはしない。ものすごいマイナスのところから始めるか、もしくは身の回りにいる殆どの人たちを一旦、居ないことにしてしまうしかなく、わりと、たやすく、家族のことを家族だと思うことをやめた。
流行っている漫画には家族は大事だ、家族を殺されたから復讐のために相手を殺そう、今はいがみあっていても家族なんだからほんとは君のことを大好きなはずだよ。と、くりかえしくりかえし書かれていて、マジで何をいっているのかひとつもわからなかったけれど、こんなにもわかりやすく「自分向けにつくられたものではない」ものを見るのはすがすがしくもある。いつも、売り物には然るべきターゲットがいて、そこからこぼれ落ちるとき、するべきことはただ「もっと自分に合うもののほうへと移動する」ことのみだと思う。琴線にふれる色づかいのポスター、素材感のちょうどよさそうなTシャツ、英題がどきっとする映画、タイトルのフォントがぐっときた本、一目見ただけできっと肌になじむとわかる、あの予感のすべて。はたまた、有線で毎日流れているヒットソング、フォロワー70万人の読者モデルのファッションスタイル、ベストセラー1位の漫画や小説、みんながこぞって並ぶ渋谷のあたらしいビル。ふれてみてもきっとどうせ、共感よりも孤独を感じてしまうとわかってしまっている、みんなのすきなあらゆるものたち。両方に少しずつ触れながら、ああ、しっくりくるな、こっちは結構好きなんだけど少しだけ胸に引っかかるものがあるな、こちらはぜんぜんわかんないんだけどここまでわからないと逆に憧れるな、これが流行ってるのはマジでわかんないけどまあそんなのいつものことだしな、と繰り返している。即席・アイデンティティの確認法。今は流行を覗き見ることに疲れて、詩みたいな小説を読んでいる。詩みたいな詩よりも小説みたいな小説よりも、小説みたいな詩と詩みたいな小説が好きだ。女性に生まれた人が書いた恋愛の歌詞よりも、男性に生まれた人が書いた女性視点の恋愛の歌詞が好きだ。サビがない歌が好きで、キラーフレーズの書かれていない広告が好きで、空と海のあわいが分かたれていない絵画が好きで、ひかりの筋が線状にならずに粒子としてはじけてしまっている写真が好きだ。メインターゲット層は……という言葉から始まる話し合いでわたしの好きなものはいっさい生まれないのだということを知っている。自分で探しに行かないと出会えないものたちにこそ、ゆだねられる一欠片の情念があった。わたしをわたしだと教えてくれるもののこと、わたしにわたしを教えてくれた瞬間からずっと、愛すると決めている。だからかわたしは歩き回るのが好きだった。愛するもののことは、自分で探しに行くほかないのだから。
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