学生運動に参加し、足を洗うまで【岩井秀人 連載 2020年10月号】

岩井秀人がワークショップ参加者や劇団員に「ひどい目に遭った体験を教えてほしい」と取材して聞いたエピソードを、体験者自らが脚本化し、自ら演じる「ワレワレのモロモロ」という企画がある。この連載は、岩井がライフワークとしているその企画の番外編として、岩井が経験または収集したエピソードを、岩井のフィルターを通して文章化したものである。

 

その男は大学入学時、さも「これにて遊びまくります!」といった軽薄な空気に満ちた同級生たちの姿を見て、あきれていたという。

人というものは大義をもって生きなければ、それこそ獣と同じで、我々人間はそういった、なるがままに獣と化していってしまう多くの本能を備えているが、精神の持ち方ひとつで、かつては絵空事でしかなかったはずの「平和」や「平等」というものを手に入れてきたのである。

テニス、野球、落語、数々のサークルの勧誘を受けたが、男の目にはどれも「汚れる行為」と映り、全く心を動かされなかった。

男は幼い頃から度々「無表情」「コワモテ」と言われており、スポーツや男女の交流というものに対して、「差別の産物」と解釈し拒否の姿勢を持っていた。どれだけ自分が楽しんでいても、その心は他人からは見えない。本質は当然心にあるはずなのに、点数や顔面など、見えるものについて一喜一憂する、差別以外の何物でもない。

時は1990年代初頭。バブルは崩壊していたものの、日本はまだその余韻の只中にあり、「大学さえ出てしまえば、いや、大学に入りさえすれば死ぬまで安泰」といった空気も色濃く、限りあるはずの資本が錬金術的に増え続けるという妄想に人々が浮かれていたが、そこでも男は「信じるべき妄想は、こんなことではないはずだ」と、世が明るければ明るいだけ、その影を己の心に感じていた。

新入生歓迎祭の数々のサークルブースが並ぶ中、男は浮かれたサークルには目もくれず、まっすぐ帰路につこうと思っていたが、ある教室で行われている写真展が目にとまった。

学生運動の写真展である。学生運動はテレビや雑誌でも見た記憶があった。大きな権力に対して、世界中で若者たちが物申し、その結果、後の文化に繋がった音楽やアートが誕生する。暗い色のスーツを着た大人たちがどれだけの発言をしようと、我ら若者の主張は圧倒的にカラフルで情緒と希望に満ちていて、正しかった。

「すごく熱心に見てますね」と、男に話しかける声があった。見れば男と年もそう変わらないだろう20歳くらいの女子が、チラシを手に立っている。

聞けば、女子は学生運動のようなものをやっており、政治や哲学について日々仲間と話し合い、日本や世界の情勢について憂い、必要とあればデモ行進にも参加しているという。この浮かれた空気の中でも、そんな学生たちがいるのか。

男は詳しい説明を一通り聞いたが、もう一度詳しく話を聞いた。
「まだ高校卒業したばっかりなのに凄いね。よかったら一緒に勉強しない?」と女は言った。

「一緒に勉強」

その言葉に、男の何かが大きく疼いた。

そしてさらなる詳しい説明を女から受けるため、後日男は約束の「サークルボックス」と言われる、サークルの個室が連なる長屋の、扉に「歴史研究会」と書かれた部屋を訪れた。

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