つまり、僕にとっての演劇は治療だった──オープンダイアローグという精神療法について【岩井秀人 連載 2021年3月号】

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以前から気になっていた「オープンダイアローグ」という精神療法について調べてみたところ、衝撃を受けた。あまりにも自分が演劇を使ってやってきたことと、構造が似ていたからだ。

前々から、僕にとっての演劇が「お客さんに見てもらう」ということがあくまで結果であって、その過程で「自分と過去、自分と問題」というものを擦り合わせることにこそ意味があるということはわかっていたし、そのことが自分自身の精神の成熟というか、引きこもっていた4年間に使わずにふやけていた社会性を立ち上がらせるためのカウンセリングのような役割を担っていたことも明らかだった。

つまり、僕にとっての演劇は治療だった。

ただ、「自分の体験を演劇にする」ということだけを続けていた段階では、それはなんの説明もできない「単なる感覚」でしかなかったのだけど、「みんなの体験を演劇にする手助けをする」という「ワレワレのモロモロ」という演劇を作るようになってからは、明らかな治癒効果のようなものを見つけられた。「参加者が自分の過去を他者と共有し、別の視点を見つけていく」様子をまざまざと見せつけられたからだ。

そして去年、「当事者研究」という精神療法を知る。これは「当事者が自分の問題をみんなと話し合い、聞いた人々でそれについてただただ話し合う」というものだ。これをさらに応用したものが「当事者研究の理念劇」というものだが、それは「当事者の問題を話し合い、それを演劇にする」というものだ。ここに至っては、ほぼ僕が演劇でやってきたことそのものだ。天然で、自分の精神の治療を行なっていたのだなと、何とも不思議な因果のようなものを感じた。

そして「オープンダイアローグ」である。

これは5年ほど前にフィンランドから始まった、新たな形の精神治療だ。どこが新しいかというと、それまでの「医者と患者」の「治す治される」の密室的な1対1の関係から場を開き、「クライアント(今までの患者と言われるもの)」と「複数の治療者(同医者)」で車座になっておこなう。クライアントが自分の問題と思われることについて話す。それを聞いた治療者たちが、その問題について、それぞれが思うことを話す。その様子をクライアントが見る、聞く。という、至ってシンプルなものなのだが、これはとても画期的なものだと思う。

まず、1対1の関係というものは、「治すもの治されるもの」という関係が決定しているから、「治さなければいけないし、治らなければいけない」ということもあらかじめ決まり過ぎてしまっている。このことが治療を無理に急がせ、「薬」「入院」という、「症状を見えなく」はするが、実は根本治療に向かっていない可能性を無視する選択を多く生んでいた。

オープンダイアローグは、クライアントの目の前で本人の問題について治療者たちが話している、というこの構造を「リフレクション」と呼ぶ。ここにこの療法の肝があるように思う。

クライアントが今まさに悩んでいることを打ち明け、それについて「治す」という姿勢ではなく、複数の治療者が「どう思う?」「どうしたら楽になるかな?」という会話を重ねていることを見る、というのは、もうすでに救いが始まっている。自分の苦しみについて、人々が気持ちと思考を使ってくれている。

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