もうかれこれ20年も演劇界隈にいて、自分自身の仕事についても考えはするのだが、新たに演劇を始める人や、若手に何を残せるか、というようなことも考えたりしている。俳優、作家、演出家。俳優の寄り合いとして始めた「どもども」というゆるい繋がりや、「ハイバイ作家部」と称した作家、演出家の寄り合いもある。
その中でも、「モースト・グイグイ来ている」のが、男岩井と同じ「自分の話を演劇にするよ」システムで、男岩井と同等かそれ以上に「エグい家族」を描いてきた、劇団「ゆうめい」を率いる作家、演出家の池田亮である。
池田と出会ったのは7年ほど前。毎年お正月にやっている公演のお手伝いで現れ、「ふへへハイバイドアを見てきましたふふふ」と特に笑うところもないのに笑いながら話す眼鏡の細い男子は、美大で彫刻を学んでいて、なんとなくネットで舞台美術を調べていたところ、「ハイバイドア」を発見したのだという。
「ハイバイドア」とは、我が劇団ハイバイが旗揚げの時から使っている舞台装置で、室内劇などをやる際、舞台美術を仕込むのがバカバカしいので、できればドアノブだけが宙に浮いているのが望ましい、という発想のもと作られたものだ。これはもっと評価されるべき装置なのだが、日本の、否、世界の演劇が100年ほど遅れているので、みんなが死んだ後に再発見されてノーベル演劇賞をとるのだろう。
そんなハイバイドアを見つけ、「これを作ったのは誰だ!?」と、人づてにハイバイにたどり着いた池田は、頼んでもいないのにハイバイドアのミニチュアを作って、「これをガチャガチャで売ったりしたらフフフ!」とまた笑っていた。
その後、ちょこちょこ手伝いに来ていたが、やがて三重県総合文化センターで、地域参加型の演劇を作ることになった際、そこにも池田は現れた。池田は演劇未経験な上に東京出身だったが、三重にまで参加してきた。僕も特に期待はしていなかった。そもそも演劇に興味があったわけでもなく、ただ造形物として「ハイバイドア」を見て近づいてきたわけだし。好きなものを吸収して、美術に戻っていくのだろうと思っていた。
が、池田は精神力と体力と好奇心が凄まじかった。その公演でも、作、演出、出演しながら舞台監督と大道具小道具作りもこなした。劇場まで歩いて40分ほどの、一泊1500円という激安宿に泊まり、日に日に無精髭を生やし、全体的に粉っぽくなりながら、とんでもない仕事量をこなしながら、常に興奮しながら道具類を作り続け、大きな方針変更でプランが変わっても、それら全てを楽しみ、形にしていき、過程も結果も、うまくいってもいかなくても、楽しんでいた。楽しめること。これはまごうことなき才能である。
そして作品自体も、池田自身の家族を題材にして、なかなかに腹をえぐられる描写と、それでいてちゃんと笑いながら見られるバランスを持っていた。
その後、東京に戻った池田は、共に公演に参加していた田中祐希とすぐに劇団を立ち上げて、そこから年4本くらいのペースで上演し、旗揚げ5年ほどで、2000人を動員する。その動員を記録した公演自体も見事だったというか、エグかった。池田の母、そして父を題材にした作品だった。池田の母は僕の父とよく似ている。外の社会ではある程度の地位を持っていて、家に帰ってからもその地位と同等かそれ以上の扱いを家族に強いる。「敬え。俺の苦労を想像して謝れ」タイプである。観客は笑いながら恐怖し、さらに身近な人や自分自身にその人格の危うさを探す。そこまでだったら、僕の作品とそんなに変わらない。池田のエグいところは、舞台上に実際の父を乗せるのである。完全なる素人壮年の身体が、舞台中央に立っている。そのインパクトはなかなかのものであります。
この記事の続きは有料会員限定です。有料会員登録いただけますと続きをお読みいただけます。今なら、初回登録1ヶ月無料もしくは、初回登録30日間は無料キャンペーン実施中!会員登録はコチラ