三宅伸治 PART1 「清志郎さんが運転手を探してるというので、車持ち込みで運転手になりました」【不定期連載「旅と酒とブルーズと」】

10年ぶりに開催される「TOKYO BLUES CARNIVAL 2022」に出演するアーティスト3組のインタビューを3週連続でお届けする「旅と酒とブルーズと」のエキストラ・ヴァージョン第3弾は、多い時は年間190本のライヴをやってきたという根っからのバンドマン、三宅伸治だ。MOJO CLUBとしてデビューし、後期の忌野清志郎にとっては欠かせぬ相棒でもあった彼のキャリア、そして音楽観をお聞きした。                  (インタビューは4月27日、吉祥寺・カヤシマにて)

取材・文/染野芳輝

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コロナの前は、多い時で年に190本とかライヴをやってました。

ーー宮崎出身ですよね。

はい。大使なんですよ。

ーーえっ? 観光大使みたいなやつですか?

いや、ただ宮崎大使っていう。とくに何かするわけじゃなくて、宮崎弁で1曲作ったぐらいですかね。

ーー高校卒業まで宮崎に?

そうですね。とってもいい所なんですけど、当時は民放のテレビ局が2局しかなくて、情報が本当に限られていた。たとえばプロレスなんて、テレビで放送される前に雑誌で結果がわかっちゃうんですよ(笑)。ここにいたら色んなことに参加できずに、どんどん遅れていっちゃうんだろうなっていう焦りみたいなものが強かったですね。音楽はもともと好きだったから、欲求はもっと大きくて、東京や京都、大阪、博多の音楽にどんどんのめり込んでいった。東京にはRCサクセションがいて、京都にはウエスト・ロード・ブルース・バンド、大阪には憂歌団、博多にはサンハウスがいるっていう感じで。

ーーヒット曲を追いかけるんじゃなく、本格的なロックやブルーズ系の音楽に傾倒していった、と。

そうですね。高校に入る頃には完全にそうなっていた。4つ上の兄貴がいるんですけど、その影響が大きいですね。それと、ブルーズやそういう音楽が好きな友達が一人だけいたんで、彼と音楽の話をしたりレコードを探したりしてました。レコードを手に入れるのも大変なんですよ。欲しいレコードは宮崎ではなかなか見つからないんで、その手の音楽に強い東京や大阪とかのレコード屋さんから通販で買ってました。

ーー早くもレコードの沼にズブズブと……。

ハマりましたねぇ。今もハマってます(笑)。当時、通販でお世話になって今でもやってるレコード屋さんはもちろん、その街に行けば必ず顔を出すレコード屋が全国にあって。

ーーツアーで訪れれば必ず立ち寄るわけですね。

そうですね。ライヴ会場とレコード屋以外、行かないですね、ほとんど。

ーー三宅さんの場合、ライヴの本数がハンパないから、馴染みのレコード屋の数もすごいんでしょうね。コロナ禍で減ったとはいえ、かなりの数のライヴをやってますよね。

コロナの前は、多い時で年に190本とかやってました。

ーー凄い! たぶん日本一でしょうね。海外のミュージシャンのケースですけど、ツアー暮らしに疲弊してしまって、何年間も活動を休止する例がけっこうありますですけど、そんなことはない?

どうなんだろう……。ライヴは好きだから、ないと言えばないのかな。この地方に行けば必ず行く店がたくさんあって、ある意味、決まり事のようになってはいるんだけど、その街に行けば誰々に会えるっていうのがあるから、行けなかったりすると何か忘れ物をしたような気持ちになるんですよね。で、年末になると、年が明けたらすぐにあの街に行こうなんて予定を組んだりして。

三宅伸治&The Red Rocks

清志郎さんは後ろのシートではなく、いつも助手席に乗るんですよ。で、いろいろな話をしましたね。

ーー根っからのツアー・ミュージシャンなんですね。そんな三宅さんのプロとしてのキャリアは87年にMOJO CLUBとしてデビューした時から始まるわけですが、バンド活動のスタートは大学時代?

いや、大学ではやってないです。バンドはずっと前からやっていて、ただ高校は進学校だったんでけっこう厳しかったんだけど、文化祭でここぞとばかりバンドを4つ組んでライヴやったりして。ひとつはジャグ・バンドで、友達に空瓶を吹かせて(笑)。

3KINGS

ーー高校生でジャグ・バンド(空瓶に息を吹き込んでベースラインやリズムを奏でるバンド)ですか? シブいなぁ。

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