やり残しが次作へのモチベーションになる【KMCインタビュー】TV Bros.WEB初夏のMUSIC特集03

KMCがニューアルバム『ILL KID』をリリースした。盟友であるSTUTSはじめ、OMSB、Hi’Spec、KO-ney、MAHBIEといったプロデューサー達も参加した、生命力に溢れる1枚になった。クラウドファンディングを通して制作された本作にまつわるエピソードや私生活について、包み隠さずありのままを語ってもらった。

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取材&文/宮崎敬太  撮影/佐野円香

 

偶然遭遇したダメレコのハチ公前サイファー

 

ーーKMCさんのバックグラウンドを教えてください。

地元が静岡で。高校1年生の終わりくらいに突如ヒップホップの衝動に襲われまして(笑)。それまでは全然好きじゃなかったんです。リンプ・ビズキッドやコーンみたいなニューメタルが好きで、ヒップホップはチャラい音楽だと思ってました。でもそのとき付き合った女の子がヒップホップを聴いてて。地元は田舎で、まず洋楽を聴いてる人が全然いなかった。そしたら、その子は(洋楽を)聴いてたんですよ。自分と同じ音楽を聴いてる人がこの世にいるってだけでカルチャーショックレベルの衝撃だったから、その人が「ヒップホップが良い」と言うなら良いんだろう、みたいな感じになりまして。2パックやジャ・ルールのカセットテープを借りて聴き始めたのが最初ですね。

ーーラップをやりはじめたのは?

じつは彼女と出会う直前にギターを買ってたんですよ。お金を貯めて。でもまったく弾けなかった。速攻で挫折しました。で、彼女がヒップホップを教えてくれて、ラップを聴いたとき、根拠なく「これなら俺でもできそう」と思ったんです。いきなりステージに立つとかじゃなく、カラオケとかで歌うレベルなんですけど。

ーーそれって「My Summer Vacation 2002」と同じ頃ですか?

いや、あの曲はもっと前。でも田舎感はまさにあのリリックみたいな感じです。静岡にいた頃は毎週いろんなところに遊びに行ってました。あと1万円だけ持って無賃乗車で東京に行ったり。でも徐々に静岡では物足りなくなってきて。高校を卒業した後、親に10万円だけもらって東京に引っ越しました。2005年くらいかな。あわよくばレコ屋や服屋で働けて、ヒップホップに関われるんじゃないかとも思ってましたね。でもそんな簡単にことが運ぶわけもなく。しかも東京じゃ10万円なんてあっという間になくなる。速攻で途方にくれました。そんなある日、金もなく渋谷をさまよってたら偶然ビデオカメラを抱えた若者の集団と遭遇したんですよ。何かなと思って見たら、いきなりサイファーが始まって。それがダメレコ(Da.Me.Records)がはじめたハチ公前サイファーだったんです。

ーーあ、KMCさんの代表曲「東京WALKING」のリリックにある「泣きっ面にハチ公 東京WALKING」ってそのことなんですね。

そうです。AFRAさんがビートボックスやって、ダース(DARTHREIDER)さんはもちろん、タロウ(TARO SOUL)さん、COMA-CHIさん、METEORさん、ケン(KEN THE 390)さんがフリースタイルしてて。あれはものすごい衝撃でした。「東京ってこんなことしてるの!?」って。それまでまともに人前でラップしたことなかったけど見てたらうずうずしてきちゃって。そんな俺に気づいたカメラマンさんが実際に背中を押して、サイファーの中に入れてくれたんです。で、わけもわからずフリースタイルをぶちかましたんですよ。そしたらみんながぶち上がってくれて。

ーーそこが初のラップ体験?

はい。ちゃんとやるのはあの日が初めてでした。ちなみにその映像はYouTubeにあります。そこから一気に東京の友達が増えました。同世代もいっぱいいて、いろんなイベントに連れて行ってもらえるようになって、ダメレコとかMSCとかの存在も知り、東京がガッと広がったんです。

KMCは管理社会に仇なすガキンチョ

ーーなぜ「ILL KID」をアルバムタイトルにしたんですか?

俺自身がどういう人間かを表してると思ったんですよね。「ILL KID」は思いつきの造語です。意味はジャケの裏に漢字である「仇児」。仇なすガキンチョ。

ーー「歳をとるほど若返る/ひとりベンジャミンバトン」というリリックがすごく好きでした。

若さに固執する考え方があるじゃないですか。27歳で自殺したり、早死にするのがかっこいいみたいな。でも俺はそうじゃねえと思ったんですよ。もっとヤバいハーコーなやつは歳をとるほど若返る。

ーーとはいえ、ヒップホップはユースカルチャーですよね。僕自身も今45歳で、若い子のアウトプットを理解できないことが多くなってきました。それでちょっと悲しい気持ちになったり。KMCさんはそんなマインドになることはありませんか?

自分は今35歳なんですけど、27、8くらいの頃はそういう感覚がありました。

ーー前作『KMC!KMC!KMC!』をリリースしたくらいの頃?

そうですね。「俺はもう終わったラッパーだ」「俺のリリックはもう(世の中に)響かないのかな」「俺がかっこいいと思う音楽は過ぎ去って行ったのかな」みたいな。でも最近は気にしなくなりました。だって、俺は俺でやってくしかないから。新しいものも良いし、俺は俺でかっこいいと思うものがあるし。別に懐古主義だっていいじゃない? 俺は俺だから。自分にしかできないことをやろうと思って。徐々にそう思えるようになりましたね。

ーー僕は勝手に同調圧力を感じてしまいがちなんで見習いたいと思いました。ちなみに「空気読まなかっただけでチョークスリーパー/何様のつもり頭ごなしに人の事を押さえつけてあんたら一体何がしたいんだ」というラインからも、アンチ同調圧力的なニュアンスを感じました。

俺、じつは書いてるときはそんなに考えてないんですよ。書くことに必死で。意味は後から気づくパターンが多いですね。さっき「ILL KID」は「仇なすガキ」と言ったけど、「仇なす」のは同調圧力を強いてくる管理社会に対してなんですよね。そういうものに対して、俺という人間を思い知らせたかったんです。

ーー「例え世の中とうまくやっていけなくても/自由だけがたったひとつだけのルール」というラインも好きです。では、KMCさんが「世の中とうまくやっていけない」と感じるのはどんなことですか?

根本的なことだけど、できない人をバカにしたり、いじめを目の当たりにしたときかな。それだけがルールです。俺は小さい頃から鈍臭くて。勉強も運動もできなかった。先生の話も聞けないし、そもそも周りがやってることにほとんど興味が湧かなかった。俺自身はいじめを経験したことはないけど、もし周りに俺のようなやつがいても絶対にバカにしない。でも世の中って、そうじゃないなって感じることが多いんですよ。平気で笑い者にする。しかも大抵の人はそういう場面に遭遇してもやりすごすでしょ? それが無理なんですよね。生きにくくても、その気持ちを捨てない人が好きです。

ーーそんなKMCさんも、音楽には興味を持った。

そうなんですよ。興味を持ったのが小学生のときで。当時はJ-POPがブームだったんですよ。CDを買って、聴くこと自体に意味がある時代というか。でも小学生なので金がないじゃないですか? だからお母さんの財布からくすねた金でCDを買ってたんです。そしたら友達のお母さんに告げ口されて(笑)。でもお母さんは怒らなかった。しかも「わざわざCDを買わなくても、ツタヤに行けば100円で借りられるよ」って言ってくれて。俺はそんなことも知らなかったんですよ。それからお母さんが毎月ツタヤに連れて行ってくれて。右から左へ流れていくような音楽ばっかりだったんですけど、「これは違うな」と思ったアーティストがいたんです。

ーー気になりますね。

それがB’zだったんですよ。中3から高2まではB’z漬けでしたね。

ーーそういえば「COAST 2 COAST」でB’zのライン「底無しのペインと戦う Ultra soul」を引用してましたね。

おもしろじゃなくて、本気でめちゃくちゃB’zに影響受けてるんです。ニューメタルを聴き出したのも、あの人たちのインタビューでレイジ(・アゲンスト・ザ・マシーン)やリンプを聴いてると言ってたのがきっかけだったり。B’zをきっかけにどんどん音楽にハマっていきました。

やり残しが次作へのモチベーションになる

 

ーーKMCさんの信念を聞いて、OMSBさんが慕ってるのがよくわかりました。彼も熱く優しい人ですよね。

はい。今回のアルバムでは「Outta Here」「HOO!EI!HO!」「Ride Music」をプロデュースしてくれました。オムスは優しいけど、音楽には厳しかったです。とはいえ、怒ったり、「そんなのダメだ」みたいなことは言わないですよ。ただオムスは自分の中に明確なヒップホップ像を持ってるので、こっちもあの人の前では生半可なことはできないと思ってました。

ーーOMSBさんとはどのように制作されたんですか?

オムスの家に行って、いろいろビートを聴かせてもらっていたんですよ。そこで「これやってみたら?」って、(President BPM featuring TINNIE PUNX)「HOO!EI!HO!」のカバーを提案されて。オムスとやった曲にも言えることなんですが、どれも生半可なことでないなってビートばかりで。尻を叩かれる感じがしましたね。「KMCならこのビートに乗れるでしょ?」みたいな。

ーーこの3曲はどれもKMCさんのバイブスもすごいことになってますね。絶叫のようなラップをスピットしてる。

じつはオムスとの曲は全部録り直してるんですね。しかも2回目のレコーディングはオムスの家で。防音室とかない普通の民家なんですよ。で、俺の声がデカすぎるから、9月なのに雨戸を締めてエアコンも切って1日で3曲録ったんです(笑)。真横にオムスがいて。

ーー「魁!男塾」みたいですね(笑)。

ほんとそれです。隣で「もっといけるでしょ」ってどんどん煽ってくる。限界までバイブスを高めて一気にレコーディングしました。帰り際にボロボロになった俺を見て、オムスは「KMC、今日はまじでよくやった!」って励ましてくれましたもん。個人的にもオムスとの3曲は制作のヤマでしたね。宅録だけど、最初よりもはるかに良いテイクが録れたと思います。

ーー「Outta Here」に「コールセンターで仕事してる俺の言う事を客は面倒くさそうに聞く」というラインがありますが……。

実際に昼はコールセンターで働いてるからです。レッカー車の手配をしてます。人間はいざというときに丸裸になれるかどうかだと思うんですよ。取り繕わないで、ありのままの自分を出せば良い。ただ、俺はそれを自分が全部できてるかはわからない。まだ丸裸になれてない気もするし。もっとやれると思う反面、やり残しが次の作品へのモチベーションになる。昔は1曲で言い切らなきゃって気持ちが強くて。だから「東京WALKING」はあんなリリックになった。あらゆる要素全部ぶち込んで、韻踏みまくらなきゃダメなんだ、みたいな。でもそれだとしんどいし、なんか違うなって思い始めて。何事も考えすぎるとわかんなくなっちゃうじゃないですか。仮に不完全だったとしても自分が納得できたらそこで終わらせることは、キャリアの中で学んだことかもしれません。

 

 

50歳くらいまでは愚直にラップし続けたい

 

ーーHi’Specさんがプロデュースした「Renegades」はどういう曲なんでしょうか?

あまり意味はないんです。俺は「東京WALKING」を作っていた頃、三上寛や遠藤ミチロウが大好きでよく聴いてて。「Renegades」はその感じです。意味わからないめちゃくちゃな歌詞だけどキッズが胸に秘めてるパンク的な熱さを表現したかった。自分が気持ちいい言葉をバーっと吐き出したというか。

ーー即興を積み上げていくジャズセッション的な作詞方法というか。

そんなふうに言ってもらえるとうれしいですね……(笑)。

ーーちなみにさきほどB’zの引用もありましたが、他にも「COAST 2 COAST」で「時に追う者は追われる者に勝る」(THA BLUE HERB)や「ILL KID」の「俺は言うこと聞く様な奴らじゃねぇぞ」(ECD)などがあります。こういったものも気持ちいい言葉を探す中で出てきたんですか?

そうですね。とはいえ人様の言葉をそんな簡単に使っていいものかという葛藤はあります。でもリリックの流れの中でこれ以上の言葉が見つからないことがあるんです。もちろん何度も自分の中に他の言葉がないかめちゃくちゃ考えるんですが、それでも「これしかない」っていう。あと引用するにあたって、俺なりの使い方になるように敬意を払ってるつもりです。「時に追う者は追われる者に勝る」に関していえば、聴くときの自分の状態によって意味が変わるんですよ。だから「All days 3 歩進んで 2 歩下がる」を前に付けたり。

ーーそういえばHi’Specさんとのレコーディング動画がYouTubeにアップされてましたね。

「KMC 3rd Album『ILL KID』リリースしてリリパをしたい!」のクラウドファウンディング活動報告ですね。この「COAST 2 COAST」はHi’Specの提案で一発録りに挑戦してみました。Hi’Specのソロアルバム『Zama City Making 35』に「やくそくのうた feat. K-BOMB」という曲があるんですよ。その曲でK-BOMBさんはリリックも用意せず、フリースタイルの一発録りをしたらしいんです。そのときの体験がHi’Specにとってものすごい衝撃だったようで。「KMCも一発録りでやってみない?」と言ってくれたんです。結構長い曲だからできるか自信はなかったけど、とりあえずやってみたらできたんです。自分でもびっくりしましたね(笑)。

ーーあと、個人的に一番好きなラインは「働け MOVE THE CROWD」の「成し遂げた事は何もないけど/ここまでやってこれた事が俺の勇気の証だと思うんだ」でした。

ありがとうございます! コロナ以降、週末のライブがなくなって制作する時間を作れるようになったんですよ。今まではリリックを書くのがすごく遅かったんですけどたくさん書けるようになったりして。未発表の曲もあるこれからはどんどん出していきたいです。2枚組のアルバムとかも作ってみたいし、その先のイメージもある。でも1人じゃ自分の音楽なんてできない。だから俺の周りにいる最高の人間たちの力を借りながらヤバいことをやっていきたい。50歳くらいまでは愚直にラップし続けたいです。

ーー「ひとりベンジャミンバトン」イズムで。

まちがいないですね(笑)。止まってたまるかという感じです。やっとここまでこれたんだから。

アルバム『ILL KID』

iTunesほか各種配信サイトにて配信中

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