様々なカルチャーを通った者が表現する、愛憎が入り混じったJ-POPに対する批評──なるほど、ここにいる独立した才能が発したその言葉を聴いて合点がいった。前身バンドであるジオラマラジオの活動を終え、2021年にソングライターでフロントマンのLenと、ベーシストであり映像作家としての顔も持つKaitoの2人で結成されたSalan。彼らの1stアルバム『Novel』は、新しい時代に鳴るべきJ-POP、その可能性としての光輝に満ちている。きっと、多くの人の心が躍り、揺さぶられる。インタビュー最後に、当記事のために書き下ろした特別コラムも掲載!
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取材&文/三宅正一 撮影/岩澤高雄
──Salanがなぜ独創的なJ-POPを描くのか、その文化的な背景を探りたいと思います。
Len 中高生のときは週3くらいでBOOKOFFに行ってました(笑)。一時期、あえてBOOKOFFでディグるというムーヴメントがあったじゃないですか。でも、我々の世代はもっと純粋にあそこでいろんなCDを掘っていて。ただそこにあったから、という。CD文化が終焉に向かっていく中で、CDのオイシイところがBOOKOFFに集約されていった時期に通っていたのかもしれないですね。
──10年代以降、CDを手放す人もどんどん増えていって、BOOKOFFのアーカイヴが充実していったとも言える。
Len そう思います。BOOKOFFで出合ったCDの中で思い入れが強いのは、小沢健二の『LIFE』ですね。お父さんから「フリッパーズ・ギターを聴きなよ」って言われて、最初はフリッパーズ・ギターを聴いていたんです。そこから、小沢健二という人がフリッパーズ・ギターの解散後にソロアーティストとして活動しているという情報と、その人が「今夜はブギー・バック」を作った人であるという情報だけは入っていて。そんな中で『LIFE』を見つけて。最初はベスト盤かと思ったんですよ。
──作品の佇まいとしてもベスト盤っぽいところがありますよね。
Len あとはBase Ball Bearのインディーズ1stの『夕方ジェネレーション』が練馬のBOOKOFFにあってそれも印象的な1枚ですね。僕はずっとメロディーに対する執着心があって。子どものころから今まで愛聴してきた曲は全部メロのいい曲ばかりです。
──メロディーメイカーとしての素養もBOOKOFFで育まれた。
Len そうですね。琴線に触れるのはメロというところはずっと変わってないです。高校生になるとレコードプレイヤーも買って、学校からの帰り道にココナッツディスク池袋店などがあったりしたのですが、レコードをディグるというよりも、やっぱりBOOKOFFでCDをディグることのほうが多かったです。邦ロック少年でもあったので、ライブにもめっちゃ行ってました。海外のバンドはアークティック・モンキーズやザ・ストロークスなどをリアルタイムで通ってましたね。
──そういったロックンロールリバイバル以降の海外バンドの作品もBOOKOFFで?
Len はい、洋楽CDもBOOKOFFで買ってました(笑)。あとは学生時代からYouTubeがあったのも大きいですね。
──Kaitoくんはどうでしょう?
Kaito 僕は音楽をディグするのが遅かったんです。地元が田舎で、CDや本屋などもなく、家にインターネットも通じてなかったので、音楽はテレビで流れてるものを聴くか、親のクルマでB’zを聴くかという感じで。18歳のときに上京して大学に入ってから音楽の聴き方や掘り方を知りましたね。大学のキャンパスは渋谷にあったんですけど、音楽サークルの先輩から「CDは図書館で借りるんだよ」って教えてもらって。
Len 僕は彼の大学の2学年後輩なので知ってるんですけど、渋谷の図書館のCDライブラリーがめっちゃ充実してたんです。
Kaito そこでJAGATARAやINUを借りて、よくわからないけど狂ってるし、カッコいいという衝撃を受けましたね。一気にディープなバンドを聴くようになって、iPhoneを持つようになってからはYouTubeでいろんなライブ映像を観るようになりました。
──LenくんとKaitoくんは同じ音楽サークルに所属していたわけではなかった?
Len 違うサークルだったんですが、小さな大学なので音楽サークルも少なく、サークル同士の交流がけっこうあってその流れで知り合ったんです。
──そこからLenくんは前身バンドであるジオラマラジオを結成し、Kaitoくんはそこにサポートメンバーとして合流した。思うに、Lenくんは昨年Salanを結成して、本当の意味で理想的なバンド像を明確に具現化しようとしたのではないかと。それはイコール、自分のさまざまなルーツをすべて肯定的に受け止め、昇華したうえで自分たちだけがクリエイトできるJ-POPを追求するという態度であって。
Len そうですね。ジオラマラジオを始めたときは邦ロック少年だった自分を捨てて、アークティック・モンキーズやザ・ストロークスを経て、ペイヴメントなどを愛聴するようになったオルタナ少年としての自分をフィーチャーしていましたね。そこにJ-POP的なメロを乗せたらどうなるんだろう?という発想があって。
──さらに現行のビートミュージックやヒップホップなどのオンタイムな音像のフィーリングもどんどん取り入れていった。
Len まさに。ちょうど大学に入ったころから日本でもサブスクが始まって「一瞬でなんでも聴けるじゃん!」って思ったんです。それこそ現行のヒップホップをはじめ、話題の新譜はサブスクで全部聴くみたいな感じでしたね。
──でも、最終的に自分で強固に表現したいのはJ-POPであるという。
Len 僕はずっとJ-POPに対する愛憎を持ってるんです。J-POPをめちゃくちゃ聴いてきたからこそ、「もっとカッコよくできるでしょ!?」という感覚があって。J-POP以外のカルチャーを知ることで、J-POPをダサく感じることもあったし、音像も含めてもっと進化できると思った。でも、やっぱり僕は音楽のみならずすべてのカルチャーにおいてポピュラーであり、ど真ん中のものが好きなんですよね。
──ただ、きっと、ど真ん中ではないカルチャーも意識したうえでど真ん中を表現しているものが好きですよね?
Len まさに。
──あとはLenくんもKaitoくんも映画愛好家ですよね。Kaitoくんは映像作家としての顔も持っていますが、映像に対する美意識がSalanの音楽像に及ぼしている影響もかなりあるのではないかと。
Len そうですね。全バンドの中で、僕らは1、2を争うくらい映画を観てると思います(笑)。彼は大学卒業後に映画監督を目指して映像の専門学校にも通っていたんですよ。
Kaito 映画を撮りたくて一度、助監督として現場に入れてもらったこともあるんですけど、つらすぎて辞めてしまって。そのタイミングでジオラマラジオのサポートメンバーになったんです。そこからMVを撮るようになったので、それはジオラマのおかげでもあるんです。
──Lenくんが書く歌は、映像のイメージを喚起しやすいのでは?
Kaito たしかにそうかもしれない。とにかく情景が浮かぶし、そういうところが好きなのかも。高校生のときは映画を観まくってました。アメリカの90年代から10年代の映画、その頃はデヴィッド・フィンチャーが大好きでした。最近好きなのは、50〜60年代の旧作邦画です。今でもいつか映画を撮りたいと思ってます。劇伴をLenくんに作ってもらってもいいかもしれない。
Len めっちゃいいと思う。
Kaito あたりまえですが、MVは曲に合わせた映像を作るので。その逆で、映像があってそこに曲を付けてもらうのも面白いかもしれないですよね。
Len 僕もいつか映画を撮ってみたいと思ってるんです。幼少期からテレビっ子で、コントに影響されたことがけっこうあって。そもそもカルチャーに興味を持ち始めたのもテレビがきっかけでした。テレビで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たのが映画好きになるきっかけだったし。そこから名画座でエリック・ロメールやジャン=リュック・ゴダール作品を観たりして、並行してサブカルチャーを掘るようになり、「TV Bros.」や「BUBKA」を毎号買うようになって(笑)。これは後追いですけど、「ごっつ」(「ダウンタウンのごっつええ感じ」)には色濃く影響されました。松本人志のコントって、夕方の設定が多いじゃないですか。
──「トカゲのおっさん」然り、「こづれ狼」然り。
Len そうそう。『HITOSHI MATSUMOTO VISUALBUM』のコントにも夕方の設定が多いですよね。昔から夕方に惹かれるところがあって、それが歌詞の情景描写に繋がってます。
──あらためて、Salanの1stアルバム『Novel』にはこれまで影響を受けたカルチャーの要素や成分を総動員していることがよくわかる。
Len そう思います。それこそ邦ロックを聴いていた自分が恥ずかしいみたいな感覚も今は全然なくて。自分のルーツを全部乗せた音楽を作り、それをど真ん中に向けてストレートに鳴らすことは、自分にとって愛憎が入り混じったJ-POPに対する批評でもあるんですよね。
──この泉はそう簡単に枯渇するものではないでしょうね。
Len メロに関しては、一生書けると思うんです。いろんな方面を敵に回すかもしれないので今まで言ってこなかったんですが(笑)、僕は「メロ一生説」を提唱していて。グッドメロディを書ける人は一生書けるし、僕もそうだと思うんです。他は人に敵わないことばかりだけど、メロは一生枯れないと思います。あとは、その強いメロと革新的なサウンドをいかに両立させられるか。そのうえでどの時代もずっとサヴァイブできるような、ヒットソングを作りたい。たとえば、キリンジの「エイリアンズ」のような。人々の琴線に触れ続ける絶妙なラインを探り続けて、Salanでヒットソングを生みたいです。
昨年12月3日、Salanという生まれたての2人組のバンドが1stアルバム『Novel』をリリースした。それを聴いた瞬間に僕は、これは時間をかけても然るべき数の人に聴かれ、広く伝播していくべき音楽作品だと思った。なんというか、ポップミュージックを創造する執念のようなものを感じた。もっと言えば、すべての楽曲の作詞作曲を手がけるフロントマンのLenが強調して言うところの“J-POP”を自分たちこそが更新すべきだと自負する使命感が、このアルバムにはそこかしこに蠢いている。この執念であり使命感が本当の意味で解放されるのは、Salanの楽曲が世間の中で鳴り響いたときだろう。しかし、その前に僕が自主的にレコメンドした人たちからの反応はたしかに熱量が高かった。ここに掲載されているテレビブロス誌上のインタビューもその証左の一つである。
<特別寄稿・書き下ろしコラム「自分たちにしか鳴らせないJ-POPを創造するために」>
文・三宅正一
インタビュー冒頭に“生まれたての2人組バンド”と書いたが、Salanにはジオラマラジオという前身バンドがあった。
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