八重「私は川に身を投げます」の場所が思い浮かぶ聖地巡りの意義と頼朝・義経対面の地【『鎌倉殿の13人』ドラマをもっと楽しむための舞台研究<三島・伊豆編>5日連続特集第5回】

イべント「大河ドラマ『鎌倉殿の13人』グランド・プレミアin 伊豆の国」に合わせてゆかりの地を訪ねるルポ、ついに最終回。源頼朝(大泉洋)が政子(小池栄子)を誘った三島明神こと三嶋大社、彼の子・千鶴丸を生んだ八重(新垣結衣)の伝承が残る眞珠院、北条義時(小栗旬)の墓のある北條寺、その父・時政(坂東彌十郎)の墓のある願成就院を見て来たが、三島に戻って『鎌倉殿』第1回で華麗なる馬上逆立ちを披露した義経(菅田将暉)にまつわる場所をご紹介しよう。

取材・文/木俣冬 撮影/ツダヒロキ

『鎌倉殿の13人』ドラマをもっと楽しむための舞台研究<三島・伊豆編>5日連続特集 記事一覧

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頼朝・義経再会の地は、2023年度の大河ドラマ『どうする家康』の聖地!?

伊豆の国市で『鎌倉殿』関連スポットを周る場合、三島も合わせて見ることをおすすめする。その際、せっかくだから三嶋大社だけでなく、頼朝と義経に関連する八幡神社に行ってみたい。ここは長らく離れ離れになっていた頼朝と義経が再会した場所とされている。会えなかった時間、20年! 父・源義朝が平治の乱で亡くなると母に連れられて奈良へ、その後、鞍馬山に預けられ、さらに奥州・平泉で藤原秀衡を頼った義経。『鎌倉殿』第1回の時点では奥州にいる。物心つく前から離れていた異母兄弟・頼朝を義経はなんでそんなに慕っているのか。身内や家来なんかを通じて連絡はなんとなくとりあっていたのか、頼朝が挙兵したことを聞いて加勢に駆けつけ、八幡神社の対面石で頼朝と涙ながらの対面をしたとされる。

 

 

三島駅からはバスで15分ほど。電車だとJR大岡駅から歩いて25分。ブロス取材班は車で三島から向かった。富士清水線を車で走って、神社を探すと、まず目についたのは「対面石」の大きな文字で「頼朝義経兄弟 八幡神社」は小さめ。「対面石」をアピールしたい気分が強烈に伝わって来た。実際、三嶋大社と比べたら、近所の神社という感じの素朴なところ。ここに頼朝と義経にまつわるものがあるとは「対面石」とアピールしなければスルーしてしまうかもしれない。

とはいえ鳥居をくぐると石の太鼓橋があって立派な神社である。しかも賽銭箱の前が自動ドアになっていて近代化されている。この神社は徳川家康との関わりもあって、家康は天正19年に西向きだった社殿を南向きにして新たな参道を作った。家康が奉納した太刀もあるという。なんなら2023年度の大河ドラマ『どうする家康』の聖地といっても過言ではないかも?

神社の御由緒によると、“治承4年(1180年)8月、平家追討の軍を起こした源頼朝公は関東・伊豆を平定し、10月、富士川の合戦のため、この黄瀬川八幡の地に本営を造営しました。”とある。黄瀬川は伊豆の国市に流れていた狩野川と合流し駿河湾に注ぐ。

義経は、兄・頼朝の挙兵支援のため奥州より駆けつけて、この境内で涙ながらに対面した。

父亡き後、外に出された義経と、戦いに負けて流された頼朝の孤独とか悔しさが呼びあったという感じであろうか。

『鎌倉殿』第2回では「信心深くなった」と頼朝が言っているように、弟と再会したと伝承されている場も神社。やっぱり信心深いんだなと思う。清水チーフプロデューサーが「縁もゆかりもない坂東で生き抜いたのは並大抵の労力ではなく、そうやって平家を滅ぼし日本を制定した彼の敵は仲間だった。その人間関係もものすごく濃密に描きます」と頼朝のことを語っていて、誰も信用できないとき、頼れるのは神様しかいないのもナットクである。果たして、『鎌倉殿』では富士川合戦の際、この場所が描かれるであろうか。

義経と頼朝の関係を三谷幸喜はどう描くか。三谷が作、演出した音楽劇『日本の歴史』では、中井貴一が頼朝、香取慎吾が義経を演じていて、蜜月期間を経て関係が悪くなってきたときの様子を歌で見せていた。義経がとにかく兄上を求めて切実で、でも頼朝は冷ややか。『鎌倉殿』の大泉頼朝と菅田義経は舞台とは全然印象が違うので、同じ三谷作品でも違う頼朝・義経を見ることができるだろうか。ちなみに『日本の歴史』では『鎌倉殿』で実衣役の宮澤エマが平清盛を演じていた。ミュージカルでも活躍する彼女の清盛の歌は最高だったから実衣役にも期待しているのだ。

頼朝に関連が多い“石”

八幡神社にはふたりが腰掛けたと言われる石がふたつある。三嶋大社の腰掛石は、大きいほうが頼朝だったが、対面石はとくに説明はない。当然兄のほうが大きいほうに座ったにちがいない。石のほかに、頼朝が柿を食べて捨てた種が芽を出し、「ねじり柿」として残っているのと、頼朝を祀った白幡社という小さな祠もある。

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