桂浜水族館・おとどちゃん連載「みんな違って、みんないい加減にしろ。」その5

高知県桂浜にある小さな水族館から大きな声でいきものたちの毎日を発信!

桂浜水族館の広報担当・マスコットキャラクターのおとどちゃんが綴る、好評連載第五回!

前回分はこちらから。

写真&文/おとどちゃん
編集/西村依莉

「新しい春を待つのは」

風冴ゆる。空高く飛行機が飛んでいる。午前八時を回ると、事務局スタッフや飼育員たちが一斉に出勤してくる。就業開始時刻の八時半から開館までの三十分間は清掃の時間で、スタッフは皆、箒を振り回して落ちている松の葉を集める。桂浜水族館の裏手には山があり、さまざまな木々に紛れて松の木が茂っている。長い年月、海岸沿いにある松は、海風を受けるうちに枝や幹がなびいて傾き「磯馴れ松」になるという。水族館の入口を入ってすぐ左手に生えている太い松の木も昔から浜辺にあって、海風になびいて傾き、エントランスから突き出している。この守り神のような磯馴れ松は、「こいつが枯れると、水族館は終わる」という言い伝えがあるほどだ。雨風が強い日は、山に生えた松から大量の葉が舞い落ちてくるため、台風襲来の翌日や早朝に暴風雨が過ぎ去った日が休みの者は、もれなく勝ち組となる。そうして敗者は終わりの見えない戦いに身を投じ、アルプスの少女がいたら、彼女のためにキングサイズのベッドを作ってあげられるほど大量の松の葉に嘆くのだ。

その日も、前日に吹いた強い風によって、地面を松の葉が覆っていた。茶色くチクチクとした見た目がカピバラの毛にそっくりだと思いながら箒を振り回していると、ズボンの両ポケットに手を突っ込んだ盛田のおんちゃんがつかつかと歩いて来た。

「おんちゃん、おはよう!」

「おう。おはよう! すごいな、本。毎月八千字書いてたんだって?」

 

彼は、私が書いたエッセイ本の話を持ち出し、自身の坊主頭を手のひらでひと撫でして口角を上げた。一年前からとある小説誌で連載してきたエッセイが単行本となり、一カ月ほど前に無事発売されたのだ。単行本にはおんちゃんが書いたエッセイも組み込まれている。彼はこう見えて、むかし小説家として活動していたことがある文学者だ。エッセイ本の売れ行きは好調なようで、連日、ツイッターでも購入者や読者が本の購入報告や感想を投稿してくれている。

私は、執筆をパソコンやポケット・メモ・ライターといったデジタルで行っている。対しておんちゃんは、いまだ携帯電話もガラケーで、パソコンも使えず、執筆はいつも手書きだ。

「毎月八千字っていってもデジタルで執筆してるから、手書きとは違って簡単に加筆修正ができるし、そういう意味では手書きより執筆時間はかからないよ」

私が手をひらひらさせると、彼は声音を強めて「俺にとって万年筆はなんのハンデにもならねえ!」と言った。そしてすぐに少し拗ねたように「しっかし、おとどちゃんはほんとに人気者だな」と継いだ。出版社も、取材に来る記者や読者も、皆口を揃えて、おんちゃんのことを綴った第四話が一番好きだと、おんちゃんが綴ったエッセイが最高だと言っている。おんちゃんが知らないだけで、もしかすると私よりファンが多いかもしれないことを彼には秘密にしておこう。

私はすぐに事務所に戻ると、「俺にとって万年筆はなんのハンデにもならねえ!」というおんちゃんの名言を忘れないようにノートにメモした。

午前九時、開館とともに館内BGMの電源を入れた。空は澄んでいて、海は静かに藍色のカーテンを揺らしている。十二月もあっという間に一週目が過ぎ、今年も残すところあと三週間ほどとなった。ゆったりと流れている音のゆりかごに心を委ねると、時が経つ速さに置きざりにされそうになる。

空はどうしてこんなにも遠いのだろう。

私は事務所を出て二階へと向かう途中、ここで出会い、そして別れた生きものたちを想った。生命は逞しく、いのちは儚い。私たちは今日も、奇跡を重ねて生きている。

長い階段を一歩一歩踏みしめながら上る。

「テテー!」

二階は、部屋の半分に骨格標本が並んでいて、半分はギャラリースペースになっている。私は部屋を仕切っている厚めのカーテンを開き、コンテナケースの中、牧草の上で横たわる「テテ」に声をかけた。テテは、とくしま動物園からやって来たカピバラ「カピィ」と「バァラ」の子で、先に天国へと旅立った「ムム」の兄弟だ。甘えん坊なふたりはよくじゃれ合っていた。互いに度がすぎてけんかに発展することもあったが、いつも身体をくっつけて寄り添っていた。ムムが虹の階段を上り空へと駆けていってから、季節は変わり、いよいよ秋も深まり始めた頃、テテは脳挫傷を負った。もともと歩き方が特徴的で、足取りはいつも覚束無かった。それが、ある日ふとした瞬間に足が絡まり、地面を滑って頭を強く打ちつけてしまったのだ。怪我をしたテテは、治療のため、両親と暮らしていたカピバラ舎から水族館本館の二階へと移動した。はじめのうちは自力で身体を起こすことができていたが、次第にそれも困難となり、寝たきりの状態となった。私は、館内BGMのチャンネルを変えるたび、どうかテテの耳にも届くようにと願った。私がテテにできることなんてこれくらいしかなかった。それからというもの、カピバラ担当の飼育員はテテにつきっきりで看病にあたり、獣医の指示のもと投薬を行って痛みの緩和と治療に努めたが、なかなか効果が見られず、テテは一時、生死の境を彷徨った。

甘えん坊のテテ。

「テテ、テテ。しんどいね。ごめんね」

館長がテテの名前を呼びながら顔を撫でると、彼は長い睫毛を微かに揺らし、黒い瞳からぽろぽろと大粒の涙を溢した。

テテはもうだめかもしれない。いのちを信じたい脳の片隅から顔を覗かせた真っ黒な影が、瞬く間に私たちの心を蝕んでいった。誰かが私に言った「どうしてそんなに『死』を見つめるんですか」という声が体中を反響する。わからない。わからない。でも。手を繋いで「せーの」で超えるはずの夜に、約束もなく繋いだ手が離れてしまう

閉館時間が近づく。力なく横たわる小さな身体を撫でる。ずっとテテを看病してきた飼育員は、俯いたまま口を噤み、顔を上げようとしなかった。憂う輪郭。目にかかる長い前髪。頭を撫でて「大丈夫だよ」と言おうとしたけれど、触れてしまえば刹那、壊れてしまいそうな彼のかたちに躊躇い、私は、伸ばしかけた手を下ろした。

 

いのちは儚く、生命は逞しい

翌朝、長い階段を上り、テテのもとへと向かってコンテナケースの中を覗き込むと、至極か細いいのちの更新を繰り返していた小さな彼は、昨日のことが嘘だったかのように生命力に満ちた呼吸を繰り返していた。「生きたい」という意思が、「生きよう」という意志が、強く強く脈打つ。飼育員が口元にいちごを持っていくと、テテはひとつひとつ噛みしめて味わうように咀嚼した。

 

それが、彼の最後の食事だった。

神様どうして。テテと生きる未来も、私たちにはくれなかったのですか。

 

令和三年十二月九日午後一時五十分、テテは天国へと旅立った。いのちの更新を終える最後の瞬間まで、彼はここで生きることをあきらめなかった。神様と手を繋ぐその瞬間まで、いのちを手離さなかった

いつか見たトビアス・レーベルガーの作品に、「あなたが愛するものは、あなたを泣かせもする」というものがある。私が愛するものは、いつも私を泣かせる。いつもいつもいつも、私を泣かせる。まったくどうして生きることは難しい。

目の前に広がる水平線と平行して伸びる遊歩道を軽トラックが走る。空を映すカーテンに弾かれた淡い光たちが、ここで生きたいのちを静かに見送る。壁にかかる電波時計が狂いなく針を進めるから、流れゆく時に正しさの正しさを願った。

 

「桜ちゃんから許可がもらえたから、赤ちゃん外に出すでー!」

海獣班のリーダーから入った一本の無線に誘われてカワウソ舎へ向かうと、ピィピィと力強い声が聞こえてきた。令和三年十一月十三日に、コツメカワウソの「王子」と「桜」の間に生まれた赤ちゃんたちの声だ。二匹にとっては二度目の妊娠と出産。赤ちゃんたちがある程度の大きさに育ち母子ともに安定するまで、家族は展示エリアの後ろにある寝室にいたため、桜の出産日を最後に、私と彼らは約一カ月ぶりの再会となった。六匹生まれたうち四匹が亡くなってしまったが、二匹は桜の母乳ですくすくと育ち、体重もしっかりと増えてふっくらとしていた。

いのちの聲が澄んだ空に舞う。ふと見上げると、冬晴れの青に飛行機雲が一本の線を描いていた。白い機体が、人々の淡い期待を乗せてゆっくりと空を滑っていく。真っすぐに伸びる雲に指を重ねて軌跡を辿ってみた。この指の動きに合わせて、ファスナーを開くように空がふたつに分かれたなら、神様の大きな手、あの指の隙間から、あわてんぼうのいのちたちが落ちてきたりして。ああ、嫌になっちゃうな。今日もまた救いようのない思いばかりに生きてしまう。苦い笑いが込み上げてきて、俯けば、溢れ出た大粒の涙がぼろぼろと地面に落ちた。寂しいなあ。悔しいなあ。もっといっしょに生きたかったなあ——

 

時折吹く強く冷たい風に木々が揺れ、松の葉が舞い落ちる。今年も寒波が到来し、日に日に寒さが厳しくなっている。明日の朝の清掃も大変だろう。いたずらにつま先に落ちてきた松の葉をひとつ拾い上げてみた。やっぱりカピバラの毛にそっくりだ。生き合った思い出といっしょにポケットにしまう。飛行機雲は、空に溶けて消えていた。

 

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