いであつし「初めて会った芸能人が城西署の弁慶で(笑)」【TV Bros.35周年企画「ブロスの部屋」第2回】

1987年7月に創刊したTV Bros.は、2022年夏に35周年を迎えました。このTV Bros.の黎明期を支えてくださった方たちに当時を語って頂こう、あわよくば今後TV Bros.が進むべき道を示唆して頂こう、という企画がこの「ブロスの部屋」。

第2回は、90年代ブロスの巻頭コラム「目くそ耳くそを笑う’91」や「場違い記者が行く」でおなじみ、コラムニストいであつしさん。変わらない温和な笑顔で、当時のブロスやご自身のあの頃を語ってくれます。

取材・文/TV Bros.編集部 撮影/蓮尾美智子

「ブロスの部屋」第1回 スージー鈴木

先月のテレビを振り返る! ブロス探偵団・定例テレビ調査報告書【2022年12月~2023年新春】

 

何回芸能人見ても「おおーっ!」って言っちゃう(笑)。

――お久しぶりです!

奥さん、お元気? 一時期、僕の担当だった工藤ちゃん、当時「私結婚するんです」って取材のたびに言ってて(笑)。で、お相手があなただったという(笑)。

――はい、おかげ様で元気でやってます(笑)。

ピンクハウス好きの工藤ちゃん。

――あ、インゲボルグ好きだったような…。まあどうでもいいですね(笑)。

昔さあ、ライターもやってる頃、月刊プレイボーイでデビューしたばかりの電気グルーヴを六本木ウエーブのカフェでインタビューしたらさぁ、あいつらものすごい食ってさぁ、昼に。清算見たら3万とか4万で(笑)。えーっ!って。

――お、いきなり話変わって電気ネタですね。

石野卓球とピエール瀧って静岡じゃない、出身が。僕と同じで。「いでさんのブロスのコラム読んでますよ」って言ってくれて。静岡の人にしか分からない静岡のTVコマーシャルの話とか、静岡ネタをよく書いてたんですよ、その頃。

――静岡県民つながりですね。

「いでさんてさあ、静岡ネタばっかやってるよね、ブロスで」って言われたのを覚えてるなぁ。夕方4時からやってた静止画のローカルCMとか取り上げてたからさ(笑)。学生服のCMの歌とかね。♪俺たちにゃ明日がある~、俺たちにゃ夢がある~ってヤツとか(笑)。

――歌っちゃうんだ(笑)。

純粋にテレビネタやってたよね、僕が書いていた頃のブロスは。テレビを見て重箱の隅をつつくみたいなコラムが中心で。ナンシー関さんテイストの。「ブロス探偵団」がその最たるもので。テレビが面白かったんだよね、あの頃。

――いでさんといえば90年代初頭のブロスで“ミーハーコラムニスト”として「場違い記者が行く」で名をはせましたよね。

うん。当時、近所のコンビニで声かけられたりしたし(笑)。その頃、とある女性誌でもコラム書いてて、取材ものの。それで「ダウンタウンのガキの使い」の公開収録見に行ったんだけど、「あ、ブロスの場違い記者が来てる!」って言われて(笑)。

――「場違い記者が行く」は記者会見や番組の公開収録とかに、いでさんが行ってリポートする形式の連載コラムでしたね。

同時期ブロスでコラムを書かれていた、堀井憲一郎さんも随分悩んでいたそうだけど、僕らはテレビコラムはどーやってもナンシー関にはかなわない、何やってもナンシー関の二番煎じになっちゃうし、宝島系にはかなわない、と。

――宝島系?

みうらじゅんさんも言ってたけど、当時ライターって2種類に分けられてて。宝島系かマガジンハウス系か、キミどっち?って言われる時代で、売り込み行くと。そのあとですよ、ブロス系っていう派閥も認知されてくるのは。

――ブロス系ってのもあったんだ!

うん、ブロスのコラムが面白いって口コミで広がり始めて、ブロス系って言われることも多くなってきた気がする。要はあか抜けているかサブカル系かってことなんだろうけど。

――いでさんはブロスの巻頭コラム「目くそ耳くそを笑う’91」を書かれてましたよね。

担当編集者の平松さんに聞いたんだけど、清水ミチコさんが「目くそ耳くそを笑う」がブロスの中で一番面白い!って言ってますよ、って教えてくれて。

――いい話ですねぇ。

「目くそ耳くそ」を書き始める時は、なんとかナンシー関に勝てるようなテレビのネタで、っていう気持ちで始めた気がする。何を書いたか、もはや覚えてないけど(笑)。あ、「大谷直子がナプキンのCMに一番似合う」とか、そんなこと書いてたかな(笑)。ファッションが好きだったから、テレビとファッションをつなげたネタを中心に書いてたんだよな。

――大谷直子はたしかに似合いそうです(笑)。

ナンシー関といでくんの違うところはどこか?って担当の平松さんに指摘されたんだけど、僕は素人なんですよ、テレビについては。「場違い記者」で芸能人見ると、どこ行ってもVサインしてるんですよ、僕(笑)。何回芸能人見ても「おおーっ!」って言っちゃう(笑)。いでくん、そういう人だよねって。そのミーハーなところを売りにしたらいいよって。

――それが「ミーハーコラムニスト」の誕生秘話なんですね。

うん。そういうスタンスで書いてたな。その辺がナンシー関と違うところかなって(笑)。

 

コラムニストとして、誰も書けない得意分野がほしくて

――いでさんがコラムニストとして仕事をするようになったいきさつは…。

コラムニストを始めたのは、ポパイ辞めたあとだから、何年だったかな、ポパイが面白くなくなっちゃって。

――いでさんはポパイ編集部にいたんでしたね。

ポパイの松木直也さんのコラムとか好きで入ったんだけど、ちょうどポパイがコラム路線やめてセックス特集とかやるようになって、DCブランドブームの頃。綱島理友さんがポパイで「街のイマイチ君」を始めた頃にポパイを辞めたんです。89年あたりかな。綱島さんはマガジンハウスで僕の先輩で、「街のイマイチ君」で売れて、ブロスでも連載始めて。僕はもともとブロスでコラムを書きたいと思っていたので、綱島さんに相談して、編集部の平松さんを紹介してもらったんですよ。その頃のブロスには、ナンシー関さん、川勝正幸さん、高橋洋二さん、デッツ松田さん、堀井憲一郎さんとかが書いてた。

――綱島さんとは子弟関係ってことですか?

マガハ系はそういうの嫌いだから(笑)。なんとなくですよね、面白いヤツがいるって言われて。ポパイのブロス的なことは全部綱島さんがやっていたんですよね、懐かしのおもちゃ特集とか。それを僕と綱島さんの2人でやってて。で、編集長に怒られたんですよ、ブロスっぽいのやっちゃって(笑)。うちはファッション誌だって。で、どーしてもコラムニストになりたいなりたいって綱島さんに相談したんです。でも朝井(泉麻人)に勝つには何か得意分野持たないと、ってずっと言われ続けてて。で、ブロスでミーハーを売りにして、プロのミーハー(笑)として。

――プロのミーハー(笑)。

初めて会った芸能人が城西署の弁慶だったって話を平松さんとしてて、じゃあそういうの書こうかって。どこで撮影してるかとか、そういうの大好きなので。どっかで映りたいとか考えてるんですよって。

――映りたいんですね(笑)。

ニューヨークに1カ月行ってた時も、「ズームイン!!朝!」のニューヨークからのシーンに映り込みに行ったり(笑)。そこに行けば映るって情報を聞いて、映りに行った(笑)。ジョン・レノンの命日にセントラルパークでジョンを偲ぶ集会があるじゃないですか、そこに行ってアメリカのニュース番組にも映り込みましたよ(笑)。このネタどっかで書いたな、そういえば。

――生粋のミーハーですね(笑)。

平松さんにも、そういう見方ならナンシーさんとかぶらないよ、って言われて。ナンシー関は視聴者としての視点だけど、いでくんは「テレビに映りたい」方向だからって(笑)。そういうスタンスならイケるって。

――最初からナンシー関さんを意識していたんですね。

あとは泉麻人さんとかね。

 

芸能界で1番ケンカの強い人って誰?

――ブロスで初めて書かれたコラムは…。

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