スージー鈴木「『紅白歌合戦を半笑いでネタとして見る』という感覚に惹かれて…」【TV Bros.35周年企画「ブロスの部屋」第1回】

1987年7月に創刊したTV Bros.は、この夏35周年。このTV Bros.の黎明期を支えてくださった方たちに当時を語って頂こう、あわよくば今後TV Bros.が進むべき道を示唆して頂こう、という企画がこの「ブロスの部屋」。

第1回は、近著「桑田佳祐論」(新潮新書)が話題のスージー鈴木さん。スージーさんは若かりし頃、TV Bros.の名物コラム「ブロス探偵団」で執筆くださっていて、今回30年ぶりにブロスに登場頂きます。

取材・文/TV Bros.編集部 撮影/池田エイシュン

 

今はなきサンチェーンでブロスと出会いました。

――お久しぶりです!

はいはい、いやあもう30年ぶりで(笑)。

――ブロスのコト、覚えてくださっていますか?

それはもう強烈に覚えていますよ、なんたって初めての売文稼業だったので(笑)。

――まず、ブロスに関わって頂いた時期や、そもそもなぜブロスに…のあたりから聞かせてください。

86年に大阪から出てきて、早稲田大学に入って東京に住むようになって。大学2年の頃、家の近くの今はなきサンチェーンっていうコンビニでTV Bros.っていう雑誌を見つけて。当時から泉麻人さん、いとうせいこうさんとか、かなり好きだったので、ああ、自分世代の面白がり方をするテレビ雑誌が出来たなぁ、と手にとったのがブロスとの出会いですね。

――ブロスの創刊当初から読んでくださっていたんですね。

それで読むだけに飽き足らず、「泉麻人のコラム通信講座」っていうページに応募して、2回掲載されたんですよ、私。今でも家を探せば掲載された本があると思うんですけど、毎回、泉麻人さんがお題を出して、それについて読者がコラムを投稿して、泉さんに選ばれた2本が掲載されるっていう。「コラム通信講座」は、のちに「完全自殺マニュアル」を書く鶴見済とかも投稿してたそうですね。

――おお、コラム通信講座ですね。バックナンバーがあるんで掲載号探してみましょうか。

あ、これだ! お題は「近頃のCM」。1991年2月23日号。(東京都杉並区・新城弓彦、32歳・広告代理店勤務)となってますね。32歳は嘘ですね。杉並区は本当です。名前は小林信彦が昔、中原弓彦って名乗ってたんで、自分はJR南武線の武蔵中原の横の武蔵新城からとって付けました(笑)。中身はマーケティング・パロディみたいな感じですね。

鈴木さんの投稿が掲載されたTV Bros.1991年2月23日号を手に。

――当時は博報堂の社員でしたよね、鈴木さん。

ええ、昨年まで30年勤めました。コラムニスト稼業と会社員の2足の草鞋でしたが、局長にまでなったんですよ、うふふ。

――凄いなぁ、年収とかエゲツなさそう。

役員になってたらエゲツなかったでしょうね(笑)。2回載ったうちの1本がこれですね。25歳の時ですね、就職して2年目。

――じゃあ、泉麻人さん繋がりでブロスに?

いえいえ。大学を出て博報堂に入ってテレビ関係の方とも友達になり、ある売れっ子放送作家の方が、ブロス探偵団を僕に譲りたい、と言ってくれて。鈴木くん、めっちゃテレビ見てるでしょ、と。

――あ、山田美保子さんですね。

そうそう、山田美保子さん。ナンシー関さんの後、山田さんがブロス探偵団を書かれていて、その次に私を含めて複数人で書いてましたね。

――山田美保子さんとはどこで知り合われたんですか?

当時、フジテレビの深夜に「TVブックメーカー」とか「カノッサの屈辱」とかあって。で、「TVブックメーカー」のアイデア出し要員をアルバイトでしてまして、そこに山田美保子さんや小山薫堂さんがいらして、っていう人脈です。懐かしいなあ。

――ちなみに、ナンシー関さんとも面識はあったんですか?

ありましたね。大学時代に、80年代後半ぽい話なんですが、FM東京の「東京ラジカルミステリーナイト」っていう深夜番組で、大学生に番組作りを任せる企画があって、自分がライターとなって、ナンシー関さんとか、えのきどいちろうさんとかにインタビューしたりしてましたので。そういう意味でも、いとうせいこう人脈と近かったんですけど。

 

私、めっちゃテレビ見てたんですよ、とにかく。

――ブロス探偵団を書いて頂いていた時期は…。

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