くやしいほど面白いおっさん愛あふれるおっさん批評。 愛されるおっさんをなるために必要なことってなんだろう?

木津毅『ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん』(筑摩書房)書評

文/宮崎敬太

男らしさってなんだろう。この歳になるまでしっかり考えたことなかった。

子供の頃ぼんやりとイメージしていたのは、“ダーティ・ハリー”ことクリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハンや、シルベスター・スタローンの“ランボー”、アーノルド・シュワルツェネッガーの“ターミネーター”(『2』のほうね)だった。みんなデカい銃を持ってて寡黙。弱きを助け強きを挫くが信条だった。正義のためなら暴力は肯定された。

僕はガンダムシリーズに強く影響を受けた。特に好きなのは『機動戦士Ζガンダム』。登場するモビルスーツの種類が抜群に多く、どれもかっこよかった。『ファイブスター物語』や『重戦機エルガイム』の永野護さんがデザインを担当していたと知ったのは随分後のこと。

ガンダムシリーズでキーになってるのは“ニュータイプ”という概念。“ニュータイプ”とは、人の気持ちを理解できる感受性豊かな人間のこと。戦場で最も不要な感覚をあえて最強の武器に設定した。つまりガンダムとは繊細な少年が粗野な大人たちと戦う話なのだ。Ζガンダムの主人公・カミーユ・ビダンはシリーズで最も神経質な最強の“ニュータイプ”。故に『Ζガンダム』のストーリーは異様に暗い。ラストもまあまあひどい。

銃(剣も含む)は言わずもがな男性器で、メカ(鎧も含む。エヴァンゲリオンは除く)はおそらく筋肉のメタファーだろう。僕がΖガンダムにハマったのは、メカのデザインが繊細で耽美でスマートだったこと、ガンダムシリーズが感受性の存在をより明確に描いていたこと、そして一番は自分自身がタフなマッチョになるイメージがどうしても湧かなかったからだと思う。

僕が男性性の有害さを意識し始めたのはふとした出来事からだった。妻と一緒に伊藤詩織さんの事件に関するニュースを見ていて、僕はポロリと何かを言った。正義感から出た言葉だと思う。でもそれを聞いた妻は心底呆れた顔で「何もわかってない」と言った。僕は自分が何を言ったかすら覚えてない。ただこの事実が示すのは、自分の認識、しかも良かれと思っていたことが決定的にズレていたということだった。

そこからずっと自分のあり方について考え続けていた。何が違うんだろう、と。そんな時に木津毅さんの『ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん』と出会った。本書のテーマは“おっさん好きのゲイが真面目に、ときめきながら考えるこれからの「父性」「男性性」”。木津さんの洞察力は非常に鋭い。おっさんの現状を“女性の社会進出や地位向上を阻む、古い風呂桶にこびりついた錆のようなものとしての「おっさん」。LGBTQやジェンダーフリーに対する理解など持たず、ただただ男性特権にしがみつくゾンビとしての「おっさん」。”(P6)と鋭く分析している。

正しい。ただおっさんとして付け加えさせていただくと、おそらくほとんどのおっさんはまず自分が特権を享受していることに気づいてない。だからセクシャル・マイノリティの問題なんて視界にすら入ってない。しかもそういうやつがリベラルを自称してるケースだってある。つまり現実のおっさんはもっと深刻なのだ。ちょっと前までの自分がそうだった。

本書で紹介されているのは、木津さんが映画やドラマ、ゲーム、音楽などで出会ってときめいたおっさんたち。題材のエンタメ作品を知らなくても、背景説明が的確で文章のテンポもいいからすいすい読める。非常に扱いづらいテーマもユーモアを交えて考察している。エンタメ批評としても抜群だし、そもそもテキストとして超イケてる。正直くやしい。

さて、僕が特に好きなのはセス・ローゲン主演の映画『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』を題材にした“「男子」ノリを乗り越える”という回。この映画でセス・ローゲンが演じるのはいい歳こいた冴えないジャーナリスト。……あれ、なんか身に覚えがある設定だ。とりあえず観てみた。すると彼なりの女性との向き合い方が描かれていた。「てか、これ俺の映画やん」。観終わった後、僕は爆笑しながら号泣した。

本作のセス・ローゲンは男らしかった。でもまったく暴力的じゃない。全然スマートでもない。感受性が豊かである故に悩みが多くて、しかも不器用。だけど彼は優しさが自分の武器であると気づいた。刷り込まれた男らしさの先にある自分らしさを認識したおっさんだった。それは僕の感覚だと“ニュータイプ”で、木津さんの言葉では“ニュー・ダッド”なのだ。

木津さんは、これまで「男子」のホモソーシャルなノリを求められてきたセス・ローゲンのキャリアを振り返って、“いま、セス・ローゲンを魅力的だと感じるのは、他者のために自分のこれまでを反省し、自分がつるんできた仲間たち(boys)といっしょに変わろうとしているからだ”(P63)と評している。

現在のおっさんのメイン層である40代は、人生の変化のタイミングと世の中の変化のタイミングが運悪く重なってしまった。20代後半から30代前半に前だけ見て10年くらいめちゃくちゃ頑張ってたら、世の中がいつのまにか複雑になってた。だから気づけない。

でも僕もおっさんだから思う。おっさんたちはこれまで刷り込まれてきた男らしさをアップデートする必要がある。だって今は僕らが若い頃と情報量がまったく違うから。2022年だよ。1992年じゃない。イーストウッド、スタローン、シュワルツェネッガーのようなステレオタイプだけがまかり通る時代ではない。てか、あなただってそんな単純な人間じゃないでしょ?

たくさんの情報に触れられるということは、いろんな意見に耳を傾けられるということ。その意味で『ニュー・ダッド』はちょうどいい入門書だ。もしかしたら想定外で理解不能な考えがあるかもしれない。でもそういうときは頭ごなしに否定しないで、いっかい頭の片隅に置いて、モヤついたまま前に進もう。すると、何かのタイミングでそれが全然別の何かと偶然リンクすることがある。そこが新しいおっさんの入り口。自分の中にある多面性を認めると全然違う景色が見えてくる。

これはオカモトレイジくんの言葉だけど「人生はいろんなこと知ってたほうが楽しい」。あとせっかく30〜40年以上も生きてきたんだし、嫌われるより好かれたほうがいいじゃん。俺らは今そういうタイミングなんだと思うよ。

宮崎敬太●音楽ライター。オルタナティブなダンスミュージック、映画、マンガ、アニメ、ドラマ、動物が好き。ラッパーがお気に入りの本を紹介する「ラッパーたちの読書メソッド」も連載中。

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