小栗旬「いつかまた大河の主演を」【鎌倉殿の13人・不定期連載】

『鎌倉殿の13人』が10月25日にクランクアップした。放送はこれから実朝事件、承久の乱……と歴史上の大きな見せ場が続きクライマックスを迎えるが、俳優たちは一足先に出番を終えた。なかでも主人公・北条義時を演じた小栗旬の心境はいかに? 結局のところ、義時とはどういう人物だったのか。最大のネタバレ厳禁なラストについて探り探り聞いた。

取材・文/木俣冬
写真提供/NHK

きまた・ふゆ●新刊『ネットと朝ドラ』(Real Sound Collection)、その他の著書に『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)、『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』(キネマ旬報社)など。『連続テレビ小説 なつぞら』、『コンフィデンスマンJP』などノベライズも多く執筆。そのほか『蜷川幸雄 身体的物語論』(徳間書店)、『庵野秀明のフタリシバイ』(徳間書店)の構成も手掛ける。WEBサイト「シネマズプラス」で『毎日朝ドラレビュー』連載中。

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「納得のいく終わり方をさせてもらった」

 

取材会は小栗がクランクアップして数日後に行われた。まず演じ終わった感想を聞くと、ちょっと意外な答えが返ってきた。

 

「すっかり日常に戻りました。あの日に全部置いてきて、今は通常営業です。いままで経験してきたクランクアップとは違う感じで、まだまだ続けていたい気持ちもあるし、と同時にやっと終わったんだなとホッとする気持ちもあり、一言では言い難い心境でしたが、納得のいく終わり方をさせてもらったので、引きずるようなこともなく、ずぱ! と切り替わった感じです。制作統括の清水(拓哉)CPに冗談のように話していたのは、今から義時をやれと言われてもまったくできない。それほど『もう覚えていません』という気分なんです」

 

昔の小栗旬は舞台をやったあと役が抜けないと言っていたことがあるのだが、義時という役を引きずることのない良い終わり方をしたとは、いったいどういうものなのだろうか。ただ、撮影前はちょっと違う心境だったようだ。

 

「最終回のラストシーンは義時と政子、ふたりのシーンでした。最終日に政子役の小池栄子さんと僕のふたりしか撮影が残っていなかったので、そわそわしてしまって……。前の晩、小池さんに『眠れていますか』というメールのやりとりをして、その流れで三谷(幸喜)さんに『僕は眠れません』というメールをしたら『安心してやってください、クランクアップの前日に言うことではないけれど、これまで完璧な義時だったから安心して明日を迎えてください』とお返事をいただいて。『素敵なメッセージですね』と返したら『寝起きにしてはなかなか気の利いたことを書いたでしょ』とお返事をもらいました」

 

さながらドラマか映画のような素敵なやりとりである。作家とこんなふうに洒落た感じのやりとりを交わしたあと、きれいさっぱり役が抜けるようなラストシーンを迎えた小栗の本音を推測してみよう。

 

<推測>

Aパターン:さんざん悪いことをしてきた義時と離れられてホッとしている。

Bパターン:義時は全然悪い人ではなかったので引きずることもない。

 

つまるところ、頼朝から実朝まで三代将軍に仕え、北条家を執権として盤石にした義時がほんとうは何を考えていたのか、そこが『鎌倉殿の13人』の最大のミステリーだと筆者は思っている。だから『鎌倉殿の13人』は後半、映画『カメラを止めるな!』(2017年)方式で、映像が巻き戻り、実はあのとき義時はこういうことを考えて行動していた! というような種明かしがされるのではないかと推測していた。いや、これは『カメ止め』というよりも三谷幸喜の『オリエント急行殺人事件』(2015年)の、前編は事件が起きて捜査していく物語で、後編で犯人視点の種明かしという表裏一体のようになった構成が先。大河で、義時視点でまたこれをやるのではないかと予想していたのだ(第1回で登場人物初登場のときストップモーションしていたので巻き戻しもあるんじゃないかと予測してみた)。まだその可能性も捨てきれないが……。

 

「『鎌倉殿〜』で、RPGで言えば8レベルくらい上がったと思います」

 

ということでやっぱり気になる義時の心情。取材会で小栗は悪に染まったのか染まりきってないのか明確に描かれない義時の心情についてこのように語った。

 

「今回、共演者に助けられたことがたくさんありました。とくに、三浦義村役の山本耕史さんと政子役の小池栄子さん。ふたりはいつも、僕の芝居に対してものすごく的確なリアクションをとってくれるんですよ。なので、自分の中で義時の心情を拡大して、例えば怖く見せるような芝居をする必要がなかったんです」

政子と義村は義時にかなり近い人物で義時の理解者、だから彼らと一緒にいるときの義時を見ていれば彼の心情がわかるということだ。とはいえ、まったくの同一人物ではないから、すべて正しく理解しているとは限らない。そこで注目したのは、取材会の直前に放送された第40回のラスト、和田義盛(横田栄司)を討たずに済みそうになり、双六をしている義時の表情だ。ひとりで誰にも見られていない義時をどんな気持ちで演じていたのだろうか。

 

「『吾妻鏡』に、和田の合戦が始まるとき、義時は囲碁をやっていたと書いてあるんですよ。それを双六にしたのは三谷さんです。この決定稿があがったとき、三谷さんが直したいとおっしゃって、少し違う流れになったんです。その直したほうが僕には好みでした。最初はどちらかというと、義時が和田の合戦が起こるように仕向けていくようだったのが、義時は畠山の乱のときの重忠(中川大志)の立場になるような終わり方になったんです。義時は鉾を収めたのに和田軍が動いてしまったという。畠山の乱では重忠が鉾を収めるために鎌倉に来たにもかかわらず、こっちが先走って戦をはじめてしまった。義時が局面によって違う立場になることが面白いと思いました。なので、双六をやっているシーンは、その回の演出を担当した中泉彗さんと一緒にそれでもまだ和田を倒したほうがいいと思っているのか、倒さなくて良かったとホッとして、双六をしてるのか、現場の最後の最後まで悩みました。あそこはやっぱり、正直、執権としてはやらないといけない戦だと思っているけれど、小四郎としては、和田と戦わないで済んだことにものすごくホッとして、双六しながら、じつはものすごくホッとしている自分に気づく瞬間だったのかな〜というふうに、演じていたと思います」

 

自身の役でも「だったのかな〜」という余白を残しているからか、いろいろなふうに想像が膨らむ表情だった。

 

「現場では冗談で、実朝(柿澤勇人)と和田が双六やろうと言っていて、その場面を撮っているとき、なんで俺(義時)は誘われないんだろうと話していたんですよ。あの瞬間に、誘ってもらえないならひとりで双六しようって思ったのかなって(笑)。そういう思いも少しはよぎるだろうし、ああいうときに誘ってもらえるくらい、実朝とふだんから双六する関係になっていたら義時のあり方も違っていたのかなと思っているかもしれないなって」

 

一人誘ってもらえなくて双六している場面は、北野武監督の映画『ソナチネ』(93年)で大杉漣が演じている役がほかのひとたちが紙相撲の形態模写しているのを見ていてあとでひとりで自分も練習しているなんとも余韻のある一瞬の場面を思い出した。意味があるようでないような感じがすごくいい。

小栗の取材時点では、残念ながら40回以降を見ていなかったので、義時の余白のある表情のシーンのような印象的な回は今後もあるか? と聞いた。

 

「もうバンバンあると思います。この1年5ヶ月、『鎌倉殿〜』をやってきて、僕、RPGで言えば8レベルくらい上がったと思います。使える魔法がふたつくらい増えたんじゃないかな。ひとりの人物の若いときから晩年まで演じたことで、ひとりの人間のグラデーションを作りながら生き抜くためにはここまで深掘りしないといけないのだと実感しました。おかげで義時の後半は、自分という器を使ってそこにいればいいという感覚になりましたけれど、そこまでいくには不器用なので、1年5ヶ月くらい必要だった気がします」

 

そう振り返った小栗。続く第41回の和田合戦の終わりでもなんとも言えない表情をしていた。たぶん、本人の言うとおり、最終回までに、義時の様々な表情が見られそうだ。

 

三谷さんが和田合戦のときの義時を少し変えたことからも考えて、小栗旬が演じた義時はとにかく任務に忠実だった人と感じる。

 

「自分や自分の家族のことを優先して考えている人が多いなか、どういうふうに進めたら鎌倉が成り立っていくか、最初から最後まで考えていたのは、義時だけだったんじゃないかと思っていて。僕がそう強く思っているからかもしれないけれど……。西の影響を受けることなく関東の武士たちの国づくりを行おうとしてきたにもかかわらず、実朝が朝廷に頼っていって理想から外れていってしまう。義時が実朝を説得できればよかったのでしょうけれど……」

 

義時は高い理想のために心を鬼にしてきた。

「やってきたことを見れば悪者に見えるかもしれないけれど、『鎌倉殿〜』では孤独な男だったというイメージは新たに持ってもらえる、おもしろい人間像になったのではないかと思います。ボタンの掛け違いやストレスが彼をじわじわと蝕んでいったんですよね」

 

そう言いながら、「他者をどんどん陥れていく義時が怖いとか不快だと思ったり、女性に対してややストーカー的な気質(笑)があるところを気持ち悪いと思ってもらえたら、それは役者冥利に尽きる」とも言う。

 

演劇人として三谷幸喜が用意したラストシーンへ

 

理想のために闘ってきた義時だが、本当に守りたかったものは――。

 

「政子と泰時(坂口健太郎)かな。政子に対しては彼女が頼朝と結ばれたおかげで人生が変わってしまったのでそこには思うこともあるでしょうけれど……。それでも政子の純粋さと、昔の自分に似ている泰時の想いや理想を守り抜きたかったんじゃないかな。それは肝でした。そういう政子と泰時をまっすぐに演じてくれた小池さんと坂口健太郎くんに感謝しています」

 

すっきり終わった安堵感と、すぐ稽古がはじまる舞台『ジョン王』を前にした心逸るような気持ちと(この取材回と同じ日に彼は舞台の取材も受けていた!)がまぜこぜになったような状態であっただろう。1年前、取材したとき、「これ(鎌倉殿)を経た後、いったい自分にどんな変化が起こるのか。芝居をもっともっと続けていきたいと思うのか、しばらく芝居はいいやって思うのか……。これを終えたときの自分の状態に興味があります」と言っていたが「いつかまた大河の主演をやりたい」という俳優として前向きな発言を聞いて、それだけ『鎌倉殿の13人』は小栗にとっていい作品だったのだろうと感じた。

 

筆者が勝手に思ったのは、このあとすぐ舞台がはじまる小栗旬が役を引きずることなく満足感ですっきりできて「さ、次」となるような素敵なラストシーンを、演劇人として三谷幸喜は用意したのではないだろうか。

 

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