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いつまで経っても選択的夫婦別姓も異性間以外の結婚の自由も認められない。多くの人々からの要請を跳ね除けるのは「伝統的家族観が壊れる」といった言説で、それはほとんど個人の価値観、或いは宗教観のような話じゃないか、と常々思っていた。当たり前の人権を主張する人々の話を遮っていいほどの論理じゃない。こども庁になるはずだった名称が「こども家庭庁」に強引に変更されたりと、この国の政府から出てくる“家族”という言葉の狭く凝り固まった意味合いを思うと胸が重くなる。家庭と括られたものがいかに共同体として機能していなかろうと、家庭内の問題は家庭内で解決してください、と平気で突き放される国で、「まともに機能している家庭」から振り落とされてきたすべての人たち、会った事もないけれどたしかに一生で出会いきれないほどいるであろうさまざまな人たちのことと、もちろん家庭から逃れられなかった頃の自分のことも思い、胸に鉛が入っているかのような気持ちになるのだ。
是枝裕和監督が韓国で製作した映画『ベイビー・ブローカー』は、BABY BOXという所謂赤ちゃんポストに届けられた乳児とその子を産んだ人、そして乳児をさらって販売してまわるブローカーたちをめぐって展開する物語だ。『万引き家族』からつらなる、“家族”という言葉のその意味を、もっと緩やかな絆で結ばれた形容しがたい共同体へと解いてゆくような意思を感じる映画だった。
わたしは”家族”という言葉が嫌いだ。辞書に載っている意味も、この国の政府や“家族”の在り方に疑問を持たずに生きて来られた人たちによって使われる意味も、全部が嫌いだ。先日参議院議員通常選挙に一票を投じた瞬間にも、思い出すのは実家にいた頃の最悪なことで、新興宗教に入れ込む母親から特定政党に投票しろと泣き喚かれた記憶だった。家では選挙広報は届いた瞬間に母親の推奨する政党の記事だけが切り抜かれ他はすべて捨てられていたし、私がゴミ箱からそれを拾ってきてよく読んでいると「どうしてそんなの読むの、ママのこと好きじゃないの!?」と癇癪をおこされ、父親と姉からも「おまえのせいで家の空気が悪くなって迷惑だからおとなしく言われたところに投票しろ」と言われた。有権者は誰にも忖度せず自分の意思で投票先を選んでいい、という当たり前のことを芯から信じるために、どれだけの毒抜きが必要だったかわからない。
自分の意思を冷静に伝えようとしても「育て方を間違えた」と泣くくせに、遊ぶ相手や行き先や読むものや聞く音楽にまで過干渉してくる理由に“家族”だから、というのを使ってくる、その繰り返しの中で“家族”という言葉をトラウマのように避けながら逃げ生きるように大人になった。私を「生きていていい」のだと思わせてくれたのはいつも、“家族”の檻の中から隙間を探してインターネットで見つけた音楽や、図書館で手に取った本、電車を乗り継いで辿り着いた美術館、好きになったものを繋いだ先で出会った友達、好きになれる他人たち、そういうものだった。そしてそれらの中にいると、私は時折、ありもしないかもしれない情景を思い出した。その情景の中ではわたしは赤ん坊で、やわらかい午後の光がさしていて、薄くまろやかな肌触りの毛布をかけられている。顔は見えないが、誰かが私を、かわいいね、と言ってそっと見つめている。私はその顔を確認しようとするけれど、あまりに気持ちのいい微睡に逆らえず、目を閉じる。わたしの命は祝福されている。生まれて、生きることを望まれている。そんな途方もない安堵が波のように打ち寄せてくるような、そういう情景を見るのだった。
他人と、優しくし合っているとき、今が生まれて初めて「子供」をやっているみたいだと思う時がある。そして心からそう思う時、それを伝えると、相手もそうだと返してもらうことがある。「子供」で居ていいはずの年齢のころに、心から「子供」をすることが許されなかった、「子供」をやりそこねた人たちと、多分少なくなく、出会ってきた。
是枝監督の作品に流れる“家族”という概念は、そんな私と、きっとさまざまに大人びて生きてきてしまった私たちを慰める。ほとんど唯一と言ってもいいくらいだ。作品の中ではずっと、心と心の話をしている。血縁や社会的に認められた共同体の話ではなく、目に見える繋がりがないからこそ、風に吹かれながらも決して切れない蜘蛛の糸のような、迷子になった子供同士が柔らかく繋いだ手と手のような、そういう繋がりの話をしている。咽び泣いても変わらないことを知ってだんだんと泣き止んだ時の夜風のように、言葉なく慰めてくれる、暖かい暗闇がそこにはある。
本編にて、乳児(ウソン)の出産人であるソヨンが警察との密談から戻ると、自分の着ていたブラウスを渡された。取れかけていたボタンを、ブローカー(普段はクリーニング屋)のサンヒョンが当たり前のように直してくれたのだった。ソヨンは直されたボタンを、しばらく見つめていた。
また、その前にソヨンが警察からの呼び出しであることを隠しながらホテルを出ようとするとき、同じくブローカーのドンスから、「雨が降りそうだから傘を持って行けよ」と言われ、「傘を持って迎えにくれば」とそっけなく言う。
それらのシーンにおけるソヨンの、多分これが当たり前の人にとってはなんてことない優しさを咀嚼するのに時間がかかっている様子を、私は親しみを覚えながら見ていた。誰かが自分に対してボタンを繕ってくれることも、雨が降ったら傘をさしていきなよと言われることも、あまりに珍しく、どうしていいのかわからなくなるような気持ちは、私にもよくわかった。誰かが、自分のために何かを直したり繕ったりしてくれることにも、降るかどうかわからない雨を、心配して傘を持っていくよう言ってくれることにも、いちいち心から驚いて、呆然として、受け止め切れなくて涙した頃があった。今でもたまに、そういう気持ちになる。
少女の頃から売春で生き延び、他人から大切に扱われた経験のないソヨンをはじめ、施設育ちのドンス、家庭を持ったがそれを保つことの叶わなかったサンヒョン、養子縁組の可能性がほとんどない年齢になったが、もらわれることを信じている孤児のヘジン。ブローカー一行は家族のふりをするのも難しいくらいの凸凹な布陣で、てきとうな嘘をつきながら、乳児というか弱い生き物を皆で当たり前に守ろうと努力しながら、旅をする。それぞれに問題をかかえ、それぞれに自由になれない事情を持ち、それぞれの心に埋めようのない穴を抱え、それらが一様にきれいに解決することはきっとない。成長過程で与えられなかったものがあとからぴったりと埋まることはない。穴が空いているまま大人になったのだから、穴が空いていたという事実までもがなくなることは決してない。
だけれど、かれらの奇妙な交流を見ていると、穴が存在しなかったことにはならないけれど、その穴に別の新しい何かをそっと置いてやることはできるのかもしれない、という気持ちにさせられた。
ドンスの中にあった、迎えにこなかった母親を許せないという気持ちは、ウソンをめぐって葛藤し続けるソヨンを見ているうちに癒されていく。サンヒョンは離婚によって離れ離れになり、今後逢えなくなるかもしれない娘に想いを馳せるが、強引に現れた少年・ヘジンの面倒を見ていくことでどこか心を慰められているようにも見える。
治しようのない傷と、それでも人生に現れるささやかな癒しの瞬間とが折り重なって、ウソンを含めた5人は、世にも優しい暗闇の中で祝福の声を聞く。
きっと多くの人が、成長過程のうちに当たり前のように、この鐘の音を聞いたのだろう。君の命は祝福されている、君がこの世に生まれてよかった。誰かにとってはきっと、聞いたことさえとっくの昔に忘れている、凡庸なものだろう。だけれどこの時ここにいた5人と、それを見ている私にとっては少なくとも、そんな音がこの世界にあったのだということさえも忘れさせられていたような、奇特で、美しくて、優しすぎる音だった。
この5人の抱える事情がそれぞれに異なるように、この世界にはありとあらゆる苦悩がある。それぞれの人の中で、さまざまな事情が複合的に重なっており、簡単に分類することは不可能で、それはしばしば社会、そして福祉の網からさえも振り落とされる。きっとこの世界には、普通に優しい人も、善意を持った人も、困っている誰かを助けたいと思っている人も、ちゃんといる。だけれど、他人に優しくする余裕を持っている人たちの想像力ではきっとカバーし切れないほど、困難の中を生きている人たちは無数にいる。誰にも想像されたことがないほどの困難を抱えている人たちはいる。当人以外には誰にも量り知ることのできない困難がいくらでもこの世界にはある。それを仮に地上と地下のように例えるのならば、地表の泥濘を越え、地下をどこまで掘っていっても人はいるということになる。この膨大な地面の中で、すべての土を退かして全員を見つけ出すのは不可能な世界で、もっと深くへ、もっと遠くまで、行ったことない角度へ、辿り着いたことのない深くまで、どこまで掘ってもきっと、そこでぎりぎり息をしている人や、命がそのまま尽きてしまった人が、いる。
その場所まで、あのやさしい鐘の音を響かせることが、どれだけ難しいことなんだろう。と考えて、呆然とする。足を少しだけ泥濘にとられていた程度の私の耳にさえ、鐘の音が届いたのは、かなり大人になってからのことだった。できるだけ遠くまで、できるだけ早く、できるだけ地下へ、できるだけ、できるだけ真心を込め、できるだけ率直に、鳴らし続けないといけない。たった一度では意味がない。繰り返し鳴らさないといけない。「ほんとうに私は生きていていいの?」「ほんとうに生きていていいんだよ。」「迷惑をかけたらいなくなる?」「いなくならないよ。」「役に立たないから嫌いでしょ?」「役に立たなくても居ていいんだよ。」「生まれなければよかった。」「生まれてきてくれて、ありがとう。」本当にありがとう。このことだけは絶対に何があってもひっくり返らないと、そう言い続けるように、ひとりひとりに目掛けて鐘を鳴らしながら生きていかないといけない、と改めて強く思った。
私の大切なことはいつもノートに書いていた。自分の感じたことを話すと頭がおかしいと怒られるから、家の中で個人的な感覚について言及することは諦めていた。誰にも話せないと塞ぎ込んで真夜中、月明かりで書いた日記のような独り言のような何十冊ものノートの、最も古い一冊に、こういう言葉が書いてあった。
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