ガッツあふれるイカすブルーズマン、近藤房之助インタビューの2日目は、あのメガ・ヒット「おどるポンポコリン」の話から。インタビュー前は、もしかすると「おどるポンポコリン」やビーイング(ZARD、B’z、大黒摩季、T-BOLAN、B.B.クイーンズなど次々とヒットを放った音楽事務所/レーベル)の話はご法度かなとビビっていたが、「何でも答えます」宣言どおり、なんの衒いもなく話してくれた。かっこいいぜ、ブルーズマン!!
(大阪・なんば「JOYFUL NOISE」事務所にて)
取材・文/染野芳輝
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行ってない県、ないですよ。どこでも行くぜっていうスタンスは全然変わってないです
ーーそれにしてもB.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」にはびっくりしました。まさか近藤房之助があんなことになるなんて!! でも、あの楽しい曲に房之助さんのシャウトが絡む様はかなり面白かった。
ははは。あれも長戸大幸さんのアイディア。
ーーZARDや大黒摩季、DEEN、T-BOLAN、B’zなどを売りまくったビーイングの総帥ですね。なんか音楽業界のドンみたいなイメージがあるんですけど、房之助さんとはどんな繋がりで?
知り合ったのは古いですよ。まだ僕が「OPEN HOUSE」(名古屋のブルーズ喫茶)の店長やってる頃。そこでブルーズ・バンドを呼んでライヴを企画してたって話はさっきしたけど、妹尾さん(妹尾隆一郎)にライヴをやってもらった時のマネージャーが大幸さんだったの。それからの付き合いですね。
ーー長戸大幸さんがウィーピングハープ妹尾のマネージャーをやってたんですか!? 意外というか、驚きだぁ! でも、長戸さんももともとはミュージシャンですもんね。
そう。若い頃はクンチョーさん(堤和美、上田正樹とサウス・トゥ・サウスのギタリスト)とバンドやってたそうだしね。
ーーそれも初耳です。そういえばクンチョーさんもビーイングのレーベルからアルバム出してますもんね。
クンチョーさんは80年代の後半にLAに住んでいて、行方不明って噂もあったんだけど、91年にサウス・トゥ・サウスの再結成で帰ってきたじゃない? でも、その後、京都の(ホステスがいるほうの)クラブでギター弾きみたいなことをやってるって話で、それを知った社長(長戸大幸)が“クンチョーを連れ戻しに行こう”って。アルバムを作らせようとしたんだね。それで、僕と二人で説得しに行ったんですよ。で、連れ戻したっていう。クンチョーさんはほんと、ギターが上手いんですよ。オレが駆け出しの頃、クンチョーさんは雲の上の人だった。憧れの人。だから、今も元気でやっているのは、凄く嬉しいよね。
ーーなんだか、いい話だなぁ。ホトケさん(永井“ホトケ”隆)のアルバムもビーイングのレーベルから出てるし、房之助さんのアルバムの多くもそうですよね。
そうですね。オレにとって社長は神様みたいな存在なんですよ。天才だと思うな。よく、先を見すぎてはダメ、半歩先を見ろっていうけど、あの人は半年先を見て物事を動かせる。それで次々とヒットを出してきたんだよね。その一方で、ブルーズが大好きで、僕たちみたいなブルーズマンに場を作ってくれる。ありがたいですよ。
ーーB.B.クイーンズのアイディアも長戸大幸さんの提案だったと思いますが、どう思ったんでしょうか。ふざけるな、とか思いませんでした?
いや、そうは思わなかったですよ。BREAK DOWNで10年、ソロになって4年近く。そろそろバイトしながら音楽をやる生活から抜け出したいというか、フルタイムのミュージシャンになりたかったというかね。だから何でもやりますよって、ちっちゃく看板掲げてたんですよ。そうしたら長戸大幸さんが電話かけてきてくれてね、ウチに入れって。わかりました、何でもやりますって即答でした。だから、結構楽しんでやってたし。ただ、あんなに売れるとは思わなかった。ひどい時は1日7本なんて仕事もあって(笑)。それでも自分のツアーはやめなかったんですよ。バランスを取らなきゃおかしくなりそうだった。それで、バンドじゃなく、小島良喜(ピアノ)と二人で恩返しツアーのような気持ちで全国を回ったんですよ。
ーー恩返し?
そう。BREAK DOWNの時も、その後も、小さな店中心に回ってたでしょ? で、客の入りとかを見れば、今日は主催者が5万円の赤字だなとか、わかっちゃうわけよ(笑)。それでも懲りずに呼んでくれる店や人が大勢いるわけ。その恩返しだよね。15万でやりますって言って。事務所に5万、オレが5万、小島に5万。わかりやすいでしょ?
ーーそれならお店に利益を還元できる。
八戸に昔からオレを呼んでくれる人がいて、その条件でライヴをやったら予想外の利益が出ちゃったんだね。で、お札の山を見てブルブル震えてるの。房さん、これどうしようって。いや、それはあんたのものだからって(笑)。そういう人たちに僕は支えられてきたんですよ。
ーーく~っ、めちゃくちゃいい話ですねぇ。そういう草の根のネットワークを頼りに全国を旅して回る。そのスタンスは今でもずっと続いているわけですね?
そうです。ちっちゃいライヴハウス、店…。行ってない県、ないですよ。どこでも行くぜっていうスタンスは全然変わってないです。昔のジャズ屋さんに近いのかもね。まぁ、バンドマンですよ。それが一番しっくりくる。
ーーそうした活動だけじゃなく、ニューヨークやロンドンでも活動した時期がありますよね。
あれはね、半分冗談みたいな感じで、ライヴを録ったカセットテープをニューヨークとロンドンのエージェントに送ってみたんですよ。そうしたらとんとん拍子にツアーが決まっちゃった。やってみるもんだなと思いましたね(笑)。で、ロンドンに渡って、アシッド・ジャズのミュージシャンでバンドを固めて、イギリスをドサ回りしました(笑)。93、94年頃だからロンドン中心にアシッド・ジャズで盛り上がってた頃。だから、面白かったですよ。
ドナルド・フェイゲンとやってたらもう少し売れてたかもしれないね(笑)
ーーSTUFFのゴードン・エドワーズとも一緒にやってますけど、彼とはどんないきさつで?
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