連載第7回となる今回のテーマは、前回、前々回に続き「石ノ森章太郎」。大好きだった『009』シリーズの監督依頼が来たという押井さん。実現には至りませんでしたが、その時の構想の綿密さ、情熱はすごかったそうです。そして押井さんが「エンタメってつくづく面白い」と思う理由も語っていただきました。
取材・構成/渡辺麻紀
長編を作るときは思い切りが大切。
「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」。
――今回も『サイボーグ009』(1964年~)についてです。劇場アニメからTVの連続アニメまで、いろんな映像バージョンがある石ノ森章太郎の漫画ですが、押井さんが唯一よかったと思っているのは高橋良輔さんが監督を務めたTVシリーズだった、というお話を前回、お聞きしました。
良輔さんのシリーズは素晴らしかった。でも、すべてがOKというわけではなく、どこかしら満足できない部分はあったわけ。トータルではかっこいいからいいんですけどね。
そんなもんだから、「『009』、やらない?」と声がかかったときは、一も二もなく「やります!」ですよ。しかも、シリーズのなかの『天使編』だったからね。『天使編』というのは『009』の最後のシリーズにもかかわらず、第1回だけで終わってしまったいわく付きのエピソード。石ノ森本人が「構想が大きすぎて、今の自分には描けない」というお詫びのメッセージが、当時、連載されていた『冒険王』に掲載されたのをよく憶えている。
――ということは、ストーリーはないも同然?
そう、存在してないも同然。唯一描かれた第一話は「世界のいろんな場所で天使の痕跡が発見され、新たなる戦いの予感が……」というところで終わっている。ということは、その設定だけを活かせば、あとは自分の解釈で作ることが出来るんです。
声をかけてくれたプロデューサーは「天使は押井さんの専売特許だから」と言ってくれたものの、わたしの「天使」で儲かったことは一度もないんだけどさ(笑)。
――……『天使のたまご』(1985年)……。
でもさ、アニメ界で言うと、「天使」に関する勉強、聖書の勉強はわたしが一番しているという自負がある。だから、声がかかったときはまさに「やらいでか!」と勇気凛々、やる気満々だった。
――押井さん、もしかして監督になったとき、頭の片隅に『009』、やれたらいいなと思ってました?
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