社会人1年目のlyrical schoolメンバーのhimeが、社会人の先輩から「生きる道標」を学びます! 今回はラッパーであり、アニメや舞台などにもラップを提供する作詞家でもあり、主宰レーベル「DREAM BOY」を経営し、「フリースタイルダンジョン」では審査員を務めるなど、「ラップの総合商社」ともいえる活動を展開するKEN THE 390さんに、「ラップで生きる」ことについて伺います!
取材&文/高木”JET”晋一郎 撮影/佐野円香
「ラッパーとして生きること」秘訣を教えてください!(hime)
hime 今日はよろしくお願いします!
KEN THE 390 こちらこそよろしくお願いします。
――話の入り口的に、himeさんがKENさんの楽曲に出会ったきっかけから教えていただけますか?
hime 2014年リリースのWHITE JAMの「HEYLAS」をKENさんがリミックスしたバージョン(「HEYLAS」KEN THE 390 feat.GASHIMA, ISH-ONE, SHIROSE, TOC」を最初に聴いたんです。そのときは、失礼ながら大ファンであるHilcrhymeのTOCさんがお目当てだったんですけど(笑)、でもKENさんのラップはすごくクリアで耳に届きやすいのに、韻が固くて。それを自分のラップのお手本にしたいと思いました。それからKENさんの楽曲を聴き始めのですが、楽曲だけじゃなくて「フリースタイルダンジョン」の審査員だったり、イベントの司会をされているところを拝見して、その部分でも見習わせていただくポイントがたくさんあって。
KEN THE 390 ありがとう(笑)。
hime 本当に学ばせていただくことばかりなんですが、今回はKENさんに「ラッパーとして生きる」ことについて伺いたいと思います!
KEN THE 390 壮大なテーマだけど(笑)、僕なりの経験と意見をお話出来れば!
――まずアーティストのキャリア的な話を伺うと、KENさんは大学生の段階でユニット・りんごとして「りんごのりんご」(2004年)や、太郎(現:TARO SOUL)&KEN THE 390として「JAAAM!!!」(2005年)を、ダースレイダーの立ち上げたインディレーベル「DA.ME. RECORDS」リリースされました。
KEN THE 390 そうですね。himeちゃんも学生の頃からリリスクとしてメジャー・デビューしたり、ラップが仕事になってたと思うけど、でも僕が学生の頃にやってたラップは全く仕事にはなってなかったんだよね。
hime そうなんですか!
KEN THE 390 当時はラップでお金をもらったことなんてほとんどなくて。ライブで5000円もらったらスゲーみたいな(笑)。
hime アハハ!
KEN THE 390 そういう感覚だったから、もちろんラップや音楽活動で生活してる人はいたけど、「自分でラップでお金を稼ぐ」ってことにはリアリティを感じられなくて。そんなときに就職活動の時期が来て、周りも普通に就活してるしってことで自分も普通に就活を始めたのが、サラリーマンになったキッカケ。
hime バイトしながらラップをする、とかは考えなかったんですか?
KEN THE 390 もちろん学生時代はバイトもしてたんだけど、それが「生きてる時間の切り売り」みたいな仕事だったし、それは一番もったいないと思ったんだよね。お金はもらえるけど、お金しかもらってない。自分の成長にはほとんど繋がらないし、流石に大学卒業してそういう生活は自分は難しいなって。だから、働くなら堂々と働いた方がいいと思って。
会社員として働きながらラップすることにタブー感のある時代でした(KEN THE 390)
――いまでこそ「働きながらラップ」なんて普通だし、会社員や医者、企業経営しながらなど、その職種は多岐にわたっています。しかし00年代前半は「正業に就きながらラップ」がある意味、禁忌のような雰囲気がありましたね。バイトしながらか、ラップだけで食えるか、もしくはアンダーグラウンドビジネスか、という選択肢以外はあまり好まれなかったというか。
KEN THE 390 そうなんです。だから結果的にめっちゃレアなキャラになった(笑)。
――いまよりも同調圧力がものすごく強い時代でしたね。
KEN THE 390 多様性のかけらもない、ラッパーなのにキャップ被ってないっていうだけでものすごく珍しがられるような(笑)。だから会社員でラッパーなんて、MCバトルでは相手が攻撃する格好のネタでしたよね。「サラリーマンがなんでこんなところにいるんだ!」「リーマンはお呼びじゃねえ!」って何百回言われたか(笑)。
――会社はリクルートという大企業を選ばれましたが、その理由は?
KEN THE 390 業務内容に興味があったのもあるし、単純に早めに内定をくれたから、他を受ける理由がなくなって。でも面接でも「大学時代はラップしてました」ぐらいしか言ってないんですよ。
hime そんなことってあるんですか(笑)。
KEN THE 390 大人になってよく分かるようになったけど、「何をやってたか」にジャンルはそんなに重要じゃないんだよね。応援団だろうが野球だろうラップだろうが、「そこで何を考えて、どういう経験をして、それがどう自分の価値になったか」が大事だし、「それをいかに人に伝えられるか、プレゼンできるか」の方がもっと大事だと思う。だからリクルートの面接のときも、自分の経験について本当に細かく聞かれて、「こうやってレコーディングをして」「ライブイベントはどう運営して」みたいな話をちゃんと出来たから、人事の人にもちゃんとそれが届いて、採用してもらったんじゃないかな。
hime なるほど……。
KEN THE 390 himeちゃんだったらアイドルの経験だったり、学生生活とアイドルを両立したときの悩みとか、アイドルとしての成功体験をしっかり言語化したり、自分の中で整理すると、自分の魅力にもなるし、すごく自分自身の成長にもつながるんじゃないかな。やっぱり考えをまとめることが出来ると、人にそれを伝えることが出来るし、人に思いが伝わらないと、なにも始まらないからね。
hime こんな先生が大学の進路相談室にいてくれたらよかったな〜!
飲み会は断る、ライブがある日は急いで帰る。いま思うと本当に理解のある会社でした(KEN THE 390)
KEN THE 390 あと、そういう話に興味を持ってくれる理解者の存在も重要だよね。僕はありがたいことに面接官がそういうタイプだったから、ラップの話でも興味を持ってくれて。その人は歳は全然上だったからラップのことはそんなに知らなかったし、当時はRIPSLYMEやKICK THE CAN CREWがメジャー・デビューしてたけど、いまほどラップが世間的に一般化はしてない時代だったのに。
――まだ「ラップってチェケラッチョでしょ?」時代ですね。
KEN THE 390 そうそう。でも自分が知らない世界の話でも、それに真摯に耳を傾けるたり、興味を持てるっていうのはスゴいことだなと思った。だから、興味がないからシャットダウンしたり、攻撃したりはしないようにするっていう姿勢はそこで学んだし、それはいまも自分の人生のモットーにもなってる。
hime 素敵ですね。でも会社員とラッパーの両立は大変じゃなかったですか?
KEN THE 390 ハードな会社だったし、みんなバリバリ働いてるから、大変ではあったけど、同時にやりがいもあったし、割とアーティスト活動も自由にさせてくれる社風でもあったから、それも自分にも合ってたんだ思う。逆に副業やアーティスト活動が禁止されて、社内の付き合いも半強制みたいな会社だったら1年も保たなかったんじゃないかな。だって新入社員なのに、会社の飲み会とか全部断ってたから(笑)。
――生意気な新入社員として(笑)。
KEN THE 390 歓送迎会やプロジェクトのキックオフパーティは行くけど、日常的な飲み会は全く行かなかった。そうするといつしか「誘っても断るからそもそも誘われない」というキャラが確立できて、より楽になるという(笑)。
hime 会社ではどんなお仕事をされてたんですか?
KEN THE 390 当時は名前が違ったんだけど、いまのsuumo編集部。ただ雑誌の編集というよりは、「今月の特集は~~市だから〇〇駅に何部置こう」とか、「この地区の売上が悪いから、これぐらいバイトを動員して配りましょう」とか、営業と編集と配本管理を併せたような感じでした。
――その中でも「1日30分でもいいから、リリックを書いたり、ラップをする時間を捻出していた」そうですね。
KEN THE 390 やっぱり僕にとって最高最大の趣味がラップなんですよね。生きがいだし、それが無いと逆に仕事も出来なかったと思う。「今日帰ったらあのパートを書こう」「あのフロウを試してみよう」って仕事の合間に考えてるし、それが楽しみで仕事にも精が出たというか。むしろ、その「帰ってからのラップを考える時間」が楽しすぎて、一番アルバムをリリースしてたのはサラリーマンの時だったから。いまの方が「まあ……明日でいいか」ってリリック書く速度が落ちてる(笑)。
――入社2年目で初ソロ『プロローグ』とTARO SOUL&KEN THE 390として『FLYING SOUND TRACK』、3年目にソロ『My Life』と『More Life』をリリースするという。単に自分でリリックを書く、ラップをまとめるだけなら簡単だけど、その上にトラックも集めて、レコーディングもして、アルバムにして、インディだからリリースに関わる案件も自分で手掛けたわけだから、どうかしてますね(笑)。
KEN THE 390 やっぱり追い詰められたり、『この時間しかない!』という集中力が功を奏したというか(笑)。朝9時から働いて、夜に退勤して、そのままレコーディングスタジオに入って、3時ぐらいに帰ってシャワー浴びて仮眠して、また9時に出社とか普通にやってて。酷いときはそこに深夜のライブまで入ったり。でも会社も理解があって、「今日は夜中に大阪でライブがあるので絶対に最終の新幹線には乗りたいです」って話せば、そこに協力もしてくれたり。もちろん、僕がちゃんとそれまでに自分のすべきことを終わらせるっていうのが絶対条件だったけど。
hime そういう生活で体を壊したりしなかったんですか?
KEN THE 390 おかげさまで音楽の仕事も増えてきて、寝る時間が本当になくなってしまって。それで入社3年目に「流石にこの両立はもう無理かも」と思って会社を辞めました。でも、その送別会で、幹事が「今日は会費プラスCD代にするから」って、来てくれた人みんなからCD代も徴収して、CDを配るっていう。だからその日で100枚ぐらいアルバムが売れたり(笑)。
hime アハハ! 優しい。
……と今回はKEN THE 390のサラリーマン時代の話を中心に伺いました。次回はメジャーデビューと自主レーベル「DREAM BOY」の立ち上げ、そして音楽産業が大きく変化する中で、いかにサバイブしているのかを伺います!
hime●5人組ガールズラップユニット・lyrical schoolのメンバー。無類のヒップホップ好きとしても知られる。https://twitter.com/hime_514
KEN THE 390●ラッパー、音楽レーベル”DREAM BOY”主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねた後、2006年アルバム「プロローグ」にてデビュー。これまでに10枚のオリジナルアルバムを発表。テレビ朝日にて放送中のMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」へ審査員として出演。各種CMをはじめ、舞台、映像作品への参加、ヒプノシスマイクなどジャンルを超えた様々なプロジェクト、アーティストへ楽曲を提供。FM YOKOHAMA「BREAK IT DOWN」WREP「ロックザハウス」などラジオのレギュラーパーソナリティもつとめる。10月22日(金)主催ライブ「3 PREMIER」がSHIBUYA WOMB LIVEにて開催!
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