昭和後期~平成初期にかけての大人気番組『お笑いマンガ道場』が、令和の時代に帰ってきた! 『復活!令和もお笑いマンガ道場』は、現代版らしくナイツの土屋伸之、野性爆弾のくっきー!に足立梨花、漫画家の島本和彦が登場しつつも、車だん吉と司会・柏村武昭は27年前の放送と変わらず出演します。
今回は、そんな伝説の番組の復活を記念して、当時と変わらぬ名司会ぶりを見せた柏村に、今回の復活について、そして鈴木義司、富永一朗ら、かつての共演者らとのエピソードを語っていただきました。
取材・文/やきそばかおる
スタッフも復活!1990年をまたいで実感した「テレビの笑い」の変化とは『復活!令和もお笑いマンガ道場』vol.1
「テレビもラジオも本音を言うところに面白さがある」新企画『若者よ、一応聞いておけ!高齢者の金言格言悪口雑言』【柏村武昭編】
『復活!令和もお笑いマンガ道場』
中京テレビ 9/26(日)午後4・25~5・30
※「hulu」で見逃し配信
※中京テレビ公式チャンネル(YouTube:https://www.youtube.com/c/ChukyoTV)で事前配信中出演/柏村武昭 磯貝初奈(中京テレビアナウンサー) 【回答者】車だん吉 島本和彦 くっきー!(野性爆弾) 土屋伸之(ナイツ) 足立梨花
- 1976~1994年に放送された『お笑いマンガ道場』(中京テレビ)が令和の時代に復活。当時のセットを再現した中で、お題に沿って回答者たちがマンガを披露し、その面白さを競う。柏村、車の往年のやりとりのみならず、“令和”の回答者たちのマンガの完成度は見ものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=v_hTkks9NEY&t=2s
https://www.youtube.com/watch?v=BmXo_8Sy1vg
https://www.youtube.com/watch?v=meuq_kyok5E
司会席に座って実感「確かに27年経ったんだな」
――『お笑いマンガ道場』復活おめでとうございます! 27年ぶりに復活するという話を聞いた時、どう思われましたか?
いや、本当に生きてて良かったと思いましたね(笑)。だんちゃん(車だん吉)とは同級生なんですけど、髪の毛が薄くなってきたこと以外は昔と全然変わりません。昔はよく一緒に飲みに行ってて楽しかったです。余談だけど、薄毛に関するネタを放送すると一番厳しかったのはなぜか僕の故郷の広島だったそうです(笑)。
――柏村さんも車だん吉さんも頭の回転の速さが凄まじいですね。
僕は77歳になった今も、毎日3キロ以上歩いて鍛えてますからビンビンに元気ですね。ゴルフだってまだ80台。昨日も86だったしバリバリです。野球の実況だってできます。今もラジオの生放送をやっていて、新聞を4紙とってますからね。新聞によって好き嫌いはありますけど(笑)。
――柏村さんはパネラーの回答に対してジョークで返しますが、その辺りの感覚はどうやって鍛えていますか?
https://twitter.com/mangadoujo_CTV/status/1435504012124508160?s=20
昔(1977年〜1988年)、ラジオ番組『柏村武昭のサテライトNo.1』(広島・RCCラジオ)を放送していたことが大きいです。生放送の番組で28%という日本一の聴取率をとりました。西日本6局ネットで放送していて公開録音をやったら3600人も集まったんです。ハガキで小話を送ってもらう「コント小話」は非常にレベルが高くて『サテライト』で読まれなかったら『欽ちゃんのドン! といってみよう』(ニッポン放送)に出していた人もいるほどです(笑)。あの頃に引き出しに入れたものが多いです。
――今回の『復活!令和もお笑いマンガ道場』の収録でも大いに盛り上がり、柏村さんは「僕はもう怖いものはない」っておっしゃってましたね。
27年経って司会席に座ってみると「確かに27年経ったんだな」と思います。若かった頃は楽しむ余裕がなかったけど、こないだの収録では自分が楽しんでましたね。
――ナイツの土屋さんが「この番組は司会者が一番面白いことを言う番組」と言ってました。
パネラーとの受け答えが楽しいのが『マンガ道場』の良いところですから。かつては僕が富永(一朗)先生に対して「よくそれでプロをやってますね」と平気で言っちゃってました(笑)。
――パネラーのラインナップも20代から70代までバラエティ豊かでした。
漫画家の島本(和彦)先生は60歳。あんなに面白い先生だと思わなかったですね。くっきー!さんは結構真面目で堅実。土屋さんも頭がキレて面白いし、足立梨花さんは漫画がうまいし、お色気ネタも入れてくるし、思ったことをハッキリと喋ってくれるからとてもやりやすかったです。川島なお美さんとはまたちょっと変わった雰囲気でしたね。
――1980年代のセットを再現したところも面白いですね!
当時のセットの雰囲気だったのでプレッシャーを感じませんでした。さらにアシスタントとして磯貝初奈アナウンサーと一緒に進行したのも良かったですね。磯貝さんも1980年代風のファッションでした。しかも彼女は東大出身。すごく爽やかで素敵でツーといえばカーと返ってくる感じだったので「中京テレビも良い人材を見つけてきた」と思いましたね。
三谷幸喜の発言にビックリしてひっくり返りました(笑)
1976年に始まった『お笑いマンガ道場』は中京テレビで始まり、好評を受けて全国で放送されるようになり大ヒット。さまざまな方面に影響を与えました。ダウンタウンの松本人志も『お笑いマンガ道場』のファンで「おまけコーナー」にハガキを送っていたとのこと。そのことが縁で1992年には『お笑いマンガ道場』のメンバーが『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)の「結婚前提戦士ラブラブファイヤー」のコントに登場したこともありました。
――『マンガ道場』の影響力はすごかったですね。
ずいぶん前だけど、(ビート)たけしさんにお会いした時に「それでは第1回戦!」って言いながら僕のまねをされました(笑)。
――脚本家の三谷幸喜さんは『マンガ道場』のスタッフのひとりだったそうですね。
https://twitter.com/mangadoujo_CTV/status/1435170723555725320?s=20
『マンガ道場』のレギュラー放送の終了から何年か経って、NHKの番組で三谷さんが「僕の原点は『お笑いマンガ道場』なんですよ」と言ったことがあって、ビックリしてひっくり返りました(笑)。僕は三谷さんのことは全く覚えてなくて、作家の大岩賞介さんが連れてきた若手の作家の中に三谷さんがいたんです。三谷さんが大学在学中で、東京サンシャインボーイズを旗揚げする頃の話らしいです。
『お笑いマンガ道場』といえば、漫画家の鈴木義司さんと富永一朗さんとの罵り合いも人気でした。鈴木先生が富永先生を「オバケナマコ」「デブの恵まれない人」などと揶揄すれば、富永先生は鈴木先生を「土管に住んでる貧乏人」「アホウドリ」とキャラクター化して対抗していました。
https://twitter.com/mangadoujo_CTV/status/1431253232773259269?s=20
https://twitter.com/mangadoujo_CTV/status/1431252195635171334?s=20
――鈴木先生と富永先生は普段から仲が良かったそうですね。
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