夢はサハラ砂漠でライブ!?エグスプロージョンデビュー20周年記念インタビュー

 「本能寺の変」で一世を風靡したエグスプロージョンが、今年で結成20周年を迎えた。「踊る授業シリーズ」を始め、これまで発表してきた楽曲を、メンバーセレクトとファンセレクトでまとめたベストアルバム『ベストプロージョン』のリリースや、全国ツアーの開催と、例年にも増して精力的な活動を繰り広げている。

 しかしそもそもの話だが、「本能寺の変」は知っていても、実は彼らはリズムネタ芸人ではなく、ダンサーであることを知らない人達も多いのではないだろうか。今回のインタビューでは、結成当時の話から、元祖エンタメダンスユニットとして、誰も歩んでこなかった道を切り拓いてきた先駆者ゆえの苦悩、そして「本能寺の変」のブレイクで叶えられた夢、いまだ叶えられていない夢など、20年の歩みをじっくりと語ってもらった。

取材・文/山口哲生
撮影/笹森健一

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10/12(水)渋谷プレジャープレジャー 開場 18:30/開演19:00 ~ 終演20:30(予定) チケット代5,500円
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テレビに出られるようなダンサーになりたいとずっと思っていた

──「今年で結成20周年ですね」と言われると、どんな気持ちになりますか?

まちゃあき:これが申し訳ないぐらい何もなくてですね(苦笑)。ただ数字がついただけというか、節目だなというぐらいで。そう思って初めて、長くやってきたなって後からついてくる感じですかね。そうだよね?

おばらよしお:うん。20周年だからこそ後ろを振り返った感じはありますね。これが19年でも21年でも、本人達の気持ちはあまり変わらないというか。

まちゃあき:新幹線に乗ってて、「あ、富士山だ」ぐらいの感覚というか。

──そこに普通にあるものという感じなんですね。20年前、結成時にお2人は同じダンススクールに通われていたそうですけど。

まちゃあき:最初はリーダーが別にいて、最強のグループを作ろうというところから僕ら2人は集められた側だったんですよ。だから、当時は同じダンススクールに通ってはいたけど、それぞれ接点はなかったんです。

──そこからテレビ番組に出演されていたりもしたわけですが、その当時からこういうふうになっていきたいとか、将来のことをいろいろ考えていたんですか?

まちゃあき:僕はずっと考えてました。当時のダンサーが活躍していたのは、クラブシーンとかアンダーグラウンドな場所だったんですけど、僕に関しては、テレビに出られるようなタレントになっていきたいって、その当時からずっと思っていましたね。その部分がひょっとしたら、周りのダンサーとはちょっと違っていたところのような気がします。

──なぜまたその方向に進みたいと思っていたんです?

まちゃあき:僕は元々役者になりたくて上京してきて、芸能人になりたい、有名になりたいという気持ちがある中で、ダンスと出会ったんですよ。でも、当時のダンスシーンはまだアンダーグラウンドだったから、僕は伝道者としてダンスのかっこよさを世の中に伝えていきたいと思ったので、ずっとオーバーグラウンドの考え方だったんですよね。周りでダンスをやっている人達は、ダンスシーンから好きになった人が多かったですし、アンダーグラウンドにいてこそヒップホップという考え方も当時はまだちょっとあったので、そもそも根本的なところが違っていて。そこはよかったかなと自分では思っています。

──周りの人と違うからこそ、少し居心地の悪さみたいなものを感じたりしませんでした?

まちゃあき:しました。たとえば、“マイケル・ジャクソンすごくない?”っていう話によくなるんですよ。今でこそ好きですけど、俺としては“そうか?”って当時は思っていたタイプで。だから、ダンサー達がマイケル話で盛り上がっている中、俺、それよりもダウンタウンの話がしたいんだけどな……とか(笑)。そういうズレみたいなものをずっと感じながらやっていましたね。“ダンスシーンのことを考えたことがあるの?”って言われても、“いや、ないないない!”って。僕はシーンじゃなくてショーが好きなので、気持ちの置いている場所が周りと全然違っていたんですよ。でも、嬉しかったのは、本当にヒップホップシーンを大事にしていらっしゃる方が、“実はエグスプロージョンってヒップホップだよね”って言ってくれたりしたことがすごく支えになってました。“あれはダンスじゃない”って言われてきたりもしていたので。そんな時期もありましたね。

──おばらさんは、結成当時はどんな将来を思い描いていました?

おばらよしお:僕は芸能界とかタレントとか、そういうものを当時はまったく意識していなくて。単純にこういう曲が好き、こんな踊りが好きという、極々ありふれたダンサーだったんですけど、まちゃあきさんが言っていたみたいに、“ヒップホップのカルチャーを!”とか“ダンスのシーンを!”っていうのは考えたことがなくて。好きなダンサーもダンススクールの先生だったものですから、“アメリカでは!”、“ロサンゼルスでは!”って言われても、全然ピンと来ない……!っていう(笑)。

まちゃあき:あったなぁ、そういう時代……(笑)。

おばらよしお:“お前らのヒップホップは何なんだよ!”って言われても、“俺らのヒップホップ……あの、どういう答えがいいんでしょうか……?”みたいな感じだったので。だから、単純に好きでやっていただけという、すごくシンプルなタイプだったんですよね。もちろん人気者になりたいとか、ワーキャー言われたいというのは素人考えでありましたけど、強い野心があるタイプではなかったです。そうやって活動していく中で、最強のグループを作ろうって僕らを集めたリーダーが、“方向性が違う”と言ってどこかへ行ってしまったんですけど(笑)。

──自分で集めたのに……?

おばらよしお:そう。集めたのに“何か違う”って抜けて行って。だから、(まちゃあきは)厳密にいうと2代目のリーダーなんですけど、この通りの野心家でございますから。“行くぞ! 全員ぶっ倒すぞ!”っていう感じだったので。

まちゃあき:“全員●す!”って言ってましたからね。

──物騒ですね(笑)。

おばらよしお:僕としては“そ、そうなんだ……”みたいな。そこから時間が経つにつれて、僕らのやっていることって他はやってないことだからおもしろいなとか、こういうことをもっと知ってほしいなっていう気持ちがどんどん強くなっていった20年でした。

──まちゃあきさんがリーダーになった時点で、明確なビジョンもあったんですね。

まちゃあき:こういうことがやりたいというのはずっとありましたね。たとえば、当時のダンスシーンって、ヒップホップを流して踊るだけだったんですよ。だから、分かりやすくするためにJ-POPを使おうとか。僕らみたいなコンセプトの人って当時はいなかったし、僕らがそれをやり始めた自負もあるんですけど、まさにそれをやろうと思ってました。「●●ネタ」みたいな感じで、作品にタイトルをつけたいという気持ちがあって。

──ダンスをひとつの作品として捉える感覚は、当時はあまりなかったんですか?

まちゃあき:いや、みんなの中ではヒップホップを流して踊るだけでも作品だと思ってはいたんです。ただ、僕は元々音楽も好きで、やっていたところもあったから、ダンスシーンに疑問はずっと感じていたんですよ。なんていうか、“人の曲でよく偉そうに出てこれるな?”みたいな(笑)。

おばらよしお:ははははははは(笑)。うんうん。

まちゃあき:中指立てて出てきて、イェー、イェー、イェーってやってるけど、いや、それはお前のメッセージじゃないだろ?っていう。そこに違和感がずっとあったから、当時はまだ僕らもオリジナル曲はなかったんですけど、なるべく原曲をそのまま使わないようにしようとしてましたね。エディットして、元がわからないようにぐちゃぐちゃにして使っていたりしたので。その中に自分を詰め込んでいく感じでした。

──自分達が踊るための曲は、自分達で作るべきなんじゃないかと思っていたと。

まちゃあき:時代的にそっちのほうになっていくんじゃないかなってずっと思ってましたね。実際に少しずつそうなってきていますし、もっと増えていくんじゃないかなと思ってます。

本能寺の変」に行くために切り替えた最初のポイント

──活動していく中で「本能寺の変」という大ブレイク作が生まれたわけですが、エンターテイメント色の強いダンスをしていこうというのも、結成当時から考えていたことではあったんですか?

まちゃあき:いや、あれはですね……僕らは『スーパーチャンプル』という番組に出させてもらって、殿堂入りさせてもらったんですけど。あの番組って、言ってみれば「ショーダンサーのミュージックステーション」みたいな感じだったんですよ。そこで人気が出たら天下を獲れると思ってたんです。でも、ダメだったんですよね。一度、エンタ芸人とスーパーチャンプルダンサーが一堂に会するイベントがあったんですけど、声援の数がまったく違ったんです。

──なるほど……。

まちゃあき:やっぱり僕らは芸能人じゃないんですよね。そのときに感じたことがずっと残っていたというか。だからこそ、自分達で曲を作らなきゃいけない、アーティストと呼ばれるようなところまで高めていかなきゃいけないんだろうなって。それが「本能寺の変」に行くために切り替えた最初のポイントだったと思います。

──おばらさんも同じことを感じました? このままじゃダメなのかもしれないという。

おばらよしお:それはもちろんありました。でも、それ以上に……自分達はあくまでもダンサーであって、当時はダンスをやりながら歌を歌うとか、そういったスタイルはもちろんありましたし、それを嫌うわけではないんですけど、どこまでもダンサーでいたかった気持ちもあったんですよね。

まちゃあき:ああ。俺達も興醒め感みたいなのがあったしね。ダンサーが歌を歌ったら──。

おばらよしお:ああ、歌っちゃった……っていう。

まちゃあき:そうそう。今は全然そういうのないですけどね。そこは変わってよかったですけど。

おばらよしお:うん。自分達としては、ダンスにタイトルをつけて、ネタや作品として扱うことは、ダンスのショーにこだわりたかったからでもあったんですよ。そうやって自分達の中で突き詰めていった先の現実を見せつけられて、寂しくなった気持ちのほうが強かったですね。このままじゃダメだというよりは、そうか、そうなんだな……っていう。

まちゃあき:天井が見えた瞬間でしたね。ここが一番と思っていたけど、ここじゃダメだっていう。

おばらよしお:やるせなさもあったし、なんでこの良さをわかってくれないんだ!っていう歯痒さみたいなものもありましたね。

──その天井を突破するために、よりエンターテイメントに振り切ったと。

まちゃあき:それをすぐに思いついたわけではなかったので、結構苦しんでましたね。バンドを始めて、「踊れるバンド」みたいなのを目指した時期もあったし。その頃は周りから“迷走”ってよく言われてましたけど。まぁ、迷走といえば迷走だけど、探し求めている途中でしたし、逆に、そのときの経験がめちゃくちゃいまに繋がっているんですよ。だから、探して、探して、やっと辿り着いたのが「本能寺の変」でした。

──いまに繋がった経験というと、どんなものがありました?

まちゃあき:音楽性ですかね。音楽を作る感覚を研ぎ澄ます作業とか、いろんな人に話を聞かせてもらえましたし。あと、昔からコメディックなショーはしていたんですけど、おもしろいものを作るためにはもっと頭がよくならないといけないと思ったし、もっとお笑い的な感覚を研ぎ澄ませたいと思っていたときに、吉本から声をかけていただいたんですよ。だから、ここしかないな、と。最高のお笑いがある事務所に一度浸かってみて、感覚を磨いて、自分の音楽性と合わせたオリジナル作品を作っていければいいなと思ってはいましたね。

──おばらさんも、吉本からお話が来たときは、この船に乗ろうという感じでした?

おばらよしお:そうですね。そもそもの話ですけど、僕らはエグスプロージョンという箱の中でやってきたものが全然違っていたんですよ。僕はダンスが楽しいから続けたい、まちゃあきさんは芸能のほうに行きたいという感じだったから、そもそも物の見方とか根本的な部分が全然違っていて。だから吉本に入るという話が現実味を帯びてきた辺りから、「付いていきます!」っていう感じになりましたね。それまではダンスのこととか、自分の中でいろんな考え方があったけども、ここからはまた違う戦い方をしなければいけないんだな、と。そういうときに、まちゃあきさんはこの通りの野心家ですし、何か爪痕をって常に考え続けてきた人だから、下駄を預ける気持ちでいました。とにかく自分は付いていきますという。その腹を括ったのが吉本に入ったときでしたね。

──価値観の違いから解散の話が出ることはなかったんですか?

まちゃあき:それはなかったですね。たぶん、完全なる力関係ができあがっているので(笑)。そういう意味では相方にめちゃくちゃ感謝をしていますし、リスペクトもすごくしていて。簡単な言葉で言うと、僕らは合わないんですよ。友人として趣味もまったく合わないし。けど、このデコボコがいいんだろうなと思って。そういう2人が一緒にやっているというのも偶然だなと思うので、この偶然をすごく大事にしたいですね。

──おばらさんとしては、それこそ付いていきますという気持ちだったからこそ、もうそろそろかな……という感覚はなかったと。

おばらよしお:なかったです。どんなユニットや団体もそうだと思うんですけど、リーダーは2人いらないですし、その人が進めていく船に乗るのであれば、その人に従うべきだし、従わないのであればその船に乗るべきではないので。僕はその船に乗る選択をしたので、進む方向をお決めいただけたら、私はオールが必要だったら出しますし、帆を張れと言われれば張りますし、飯を食うから舵を取っておけと言われれば取りますし(笑)。だから、僕の価値観はないです!っていう感じですね。あなたの価値観が僕の価値観ですという。それで20年が経ちました(笑)。

天国に行ったら信長に何と言われるんだろう

──いろんなことを探し求めていく中で、「本能寺の変」が完成したわけですが、どんなきっかけから生まれたんですか?

まちゃあき:YouTubeをやっていく上で、当時だったら「ラッスンゴレライ」とか、流行っているものの音楽をかっこよくして、ダンスをして、本家超えみたいなことをして数字を稼ぐという方法をしていたんですよね。そういうやり方はいまでもSNSのセオリーとしてありますけど、それをしていても人のネタの上にずっと乗っかっているだけだし、エグスプロージョンとして名を挙げるには、やっぱりオリジナル曲が必要だなと思っていて。ただ、スベるのがめちゃくちゃ怖かったんですよ。

──確かにそこはありますよね。

まちゃあき:一応僕らはダンサーですし、芸人の土俵でやることになるので、そこにめちゃくちゃ抵抗があったんですけど。でも、これはやらないといけないなって考えていたときに、僕は歴史が好きだったので、前から歴史の曲を作りたいと思っていたんです。学べる楽曲みたいな。じゃあそれを一緒にやってしまおうと思って、歴史を学べるリズムネタを作ろうと思ったのがきっかけでした。

──自分達ができること、考えていたこと、好きなもの、やろうとしていたものをすべて混ぜたというか。

まちゃあき:そうですね。お笑い、音楽、ダンス、歴史っていう僕の大好きな趣味が全部乗っているという。なんか、不思議だなぁと思いますね。あんなに憧れていた(織田)信長に人生を救ってもらった感じです。天国に行ったら褒められるのか、怒られるのか……。

おばらよしお:本当にどっちかでしょうね(笑)。

まちゃあき:やっぱ殺されるのかな……。

──殺してしまえと言っているぐらいですからね(笑)。おばらさんとしては、「本能寺の変」をやろうと言われたときも、やりましょう!と。

おばらよしお:もちろんです(笑)。僕は戦国時代に詳しいわけではないんですけど、歴史はすごく好きですし、そういうオリジナル曲をつくりたいという話もずっと聞いていたので、まったく抵抗はなかったですね。あと、僕もスベるのは怖くて。そもそも我々は芸人さんではないですし、“流行っているからってダンサーが調子に乗ってリズムネタを作った”みたいな感じに見られるのもすごく嫌だったので。だからおもしろくて笑えるネタというよりは、楽しくて温かいネタみたいな感じというか。

まちゃあき:真似してもらえるようなものにしようというのも意識したしね。

おばらよしお:そうですね。振付もスキルフルなことは必要ないですし。衣装もコテコテなダンサーです!みたいな感じじゃなくてもいいし、元々我々もそういうものがめちゃくちゃ好きというわけでもないので(笑)。ちょっと肩の力を抜いたような感じでやれたらいいなという思いはありましたね。

まちゃあき:初めての冒険でもあったんですよ。「本能寺の変」って、(おばらは)腰を振るだけの役なんですよ(笑)。だから、初めて見た人からすると、“踊れないほう”になっちゃうんですよね。ダンサーとしてそこに抵抗があるのかなって当時も聞いたんですけど、そこのリスクを受け入れてくれたのは、結果デカかったです。

おばらよしお:確かに、15年間ダンスをやってきて、気がついたら学ランを着て腰を振っているのって、ダンスを始めた当時の尖りに尖っていた僕からしたら……まちゃあきさんの場合は信長だけど、僕の場合は過去の自分に殺されるかもしれないですね(笑)。「お前何やってんの!?」って。一言「いや、違うんだよ」って言いますけど(笑)。

──(笑)。その「本能寺の変」は、2015年のYouTube「国内動画」のカテゴリで年間再生数1位を獲得。他にも「ペリー来航」「関ヶ原の戦い」「島原の乱」がトップ10に入ったわけですが、当時はやはりめちゃくちゃ忙しかったですか?

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