文/世田谷ピンポンズ 題字イラスト/オカヤイヅミ 挿絵/waca
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二〇〇三年のある日の夜、いつものように『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』を観ていると、えらく素朴な二人組が出てきて驚いた。その素朴さは北関東の田舎町に住む高校生の僕からしても相当なものだったので、それはそれは相当なものだったのだろうと思う。うろ覚えではあるけれど、彼らは自身の薄給のことなんかをネタにしていて、すかさず浜田雅功のツッコミが振り下ろされていた。二人はずっと笑っていて、そしてずっと身を縮めていたように思う。
ハマノ君、と呼ばれた方の背の低い青年はなんだか常に笑っているような顔をしており、なんとなくそこに彼の人柄が出ているように感じた。相方を君づけで呼ぶ坊主頭の青年(と呼ぶには迫力があったが)は竹原ピストル。いかめしい名前だなあと思った。しかし、その顔は笑うとくしゃくしゃになるのだった。
場面が切り替わる。いつもはアイドルやジャニーズグループやメジャーバンドが演奏している煌びやかなスタジオのステージに、頭にタオルを巻いてアコギを持った竹原ピストルが立っている。そして一瞬の呼吸ののち、アコギの激しいストロークが始まると、それに合わせてハマノヒロチカのキーボードが軽快に乗っていった。
そのとき彼らが歌ったのは「自殺志願者が線路に飛び込むスピードで」。語り口調であり、字余りフォークであり、その佇まいは見事なまでの前傾姿勢だった。こんな人たちがいるのか。思わず息を飲んだ。ご飯を口に運ぶ手が宙に浮いたままとまった、かどうかは実際覚えていないけれど、とにかく画面に釘付けになってしまった。
それからすぐに東武宇都宮百貨店の中にあったHMVに行って「野狐禅」のCDを買った。
『便器に頭を突っ込んで』というアルバムと『自殺志願者が線路に飛び込むスピードで』のマキシシングル。タイトルの衝撃は言うまでもなく、収録された曲はどれも愚直なほどにフォークであり、何より畳み掛けるように放たれるそのことばは力強く繊細だった。それらは逆説的な歌詞でもって生を肯定してくれるのだった。
ところで東武宇都宮百貨店の店内を歩くとき、僕はいつもどこか恥ずかしかった。というのも、店内には当時好きだった同級生のKさんが通っているらしいお店があった。高校時代、友達と一緒に宇都宮で遊んだ経験が一回しかない(本当に一回しかなかった)僕はいつも親と一緒に車で一時間かけて宇都宮に行っていたので、百貨店内を親同伴で歩く姿をKさんに見られたくなかったのだ。僕は気もそぞろに店内を眺めまわし、こそこそKさんの姿を探したけれど、いつもそこにKさんの姿はなかった。そのことを悲しむと同時に安堵していたことを思い出す。
しかし野狐禅のCDを探しに行った日は違った。この日の僕は前傾姿勢で、つんのめってさえいた。誰の目も気にせずに一目散にCDショップへと向かった。彼らの歌にはちっぽけな羞恥心を越え、自分の芯を突き動かす何かが確かにあったのだろうと思う。
そのころ、自分に音楽をやるきっかけを与えてくれたフォークデュオは、段々メジャーの海に浸かり、ふやけ始めてきていたこともあって、より一層野狐禅の硬質でエッジの効いたフォークがありがたかった。しかしアルバムには「少年花火」のように暴走族を讃えているように自分には受け取れる曲もあって、根がヤンキーに拒否反応しか持っていなかった自分にとってはちょっとついていけない要素も少しあった。それでもこの二枚は残り少ない高校時代、繰り返し何度も聴いた。
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