「今年のM-1とワールドカップ」天久聖一の笑いについてのノンフィクション【笑いもの 天久聖一の私説笑い論】第18回

第18回 今年のM-1とワールドカップ

 

普段、テレビと芸人が支配する「笑い」には楽しませてもらっている反面、政治同様の不信感も感じている。

M-1グランプリは僕にとって、まさに笑いの政治化を象徴するような儀式であり、どこか穿った目でしか見られないイベントだけれど、いざ番組がはじまると毎回熱中してしまう。上層部の思惑はどうであれ、チャレンジャーたちの真剣勝負はホンモノだからだ。

番組の後、とくに話題になったのは優勝したウェストランドとヨネダ2000だった。なるほど、いまの笑いを考察する上ではかっこうの二組だ。

ヨネダ2000をちゃんと観たのは初めてだったが、すごく精密にアップデートされたリズムネタで、これは完全に人力テクノだなと感じた。実際その後、ヨネダ2000のネタにプラスチックス(テクノポップの代表的バンド)の名曲「コピー」をあてている動画がツイッターに流れてきて、その見事なシンクロ具合に笑ってしまった。

すっちーと吉田の「ドリルせんのかい」も思い起こした。あの果てしないループにオカズを挟んでいく方法も、当時打ち込みそっくりだと思ったけれど、ヨネダ2000はさらにそれを確信的に詰めている。また、これまでのリズムネタが言葉(歌詞)に重心を置いていたのに対して、彼女たちは完全に音だけで構築しているのも面白い。

正直、スタイルとして革新的かというと、個人的にはそこまで新しさは感じないけれど、決勝に進み、順位以上の支持を(とくに若い人たちから)集めているということは、時代のニュアンスを正確に伝えているからだろう。

そこで関連して思い出されるのが、日清の一連のCMである。

日清のCMはある時期から(個人的にはカレーめしでデタラメなことをやりはじめてから)かなり特殊なアプローチでCMをつくっている。

少し前のものでは音数の少ないDaBaby風のラップに、トリッキーなダンスをあわせた辛麺のCM。最近では「映像研に手を出すな!」の作家さんが描いたキャラに、お経風のラップが乗るどん兵衛のCMが印象に残る。

面白いのは、元ネタはネットから拾ってきたものだったり、敢えてクセの強い芸人を起用したりで、ビジュアルは一見チープなのだが、徹底的な作り込みで絶妙の中毒性を獲得していることである。

おそらくCM自体に対する捉え方がこれまでと違うのだろう。考えてみれば、長くても十数秒のCMは次々とスワイプされるショート動画と変わりなく、だとすれば一瞬でも手を止めてもらえるものに価値があり、メッセージは各自があとで読み解けばいい。とくにCMが「購買」という能動性を促すものなら、声高に宣伝するより気になる暗号を送った方がいい。

そういう現在のモードというものを、若い人たちは生活の中から敏感に感じ取っているはずだ。ヨネダ2000の極端に記号化された中毒性のあるネタは、いまの笑いが「面白い」から「気持ちいい」にシフトしていることを如実に物語っている。

優勝したウエストランドはヨネダ2000とは正反対で、現在の笑いに逆行する毒舌漫才だった。

誰もが言うように、これはここ数年の「誰も傷つけない笑い」に対する揺り戻しで、いまの窮屈な笑いに風穴を開けるものだったのかもしれない。

ウエストランドは前回(2020年)出場したとき、すごく面白かった印象があって楽しみにしていた。今年は前回のストレートな感情の吐露ではなく、あるなしクイズをギミックに使った毒舌カタログになっていた。

ラスト10組目の出場で、井口の鬼気迫る世間への不平不満が会場を沸かし、上位三組の決勝ラウンドへ、そのまま優勝をさらっていった。

確かにあれだけ際どいネタを笑いに変える気迫と技術は並大抵のものではない。とくに決勝ラウンドで、あろうことかM-1自体を俎上に載せディスるくだりにはカタルシスがあった。

これはプロレス的な見方になってしまうけれど、ウエストランドの所属事務所は爆笑問題のタイタンで、決して松本人志と交わらなかった太田からの、言ってしまえば刺客である彼らが、決勝ラウンドの最後にM-1自体を否定するネタを切り、それを松ちゃんが丸ごと受け入れるというドラマ。

リアルタイムで見たときは素直に感動した。しかし、翌日あらためて振り返ると、ウエストランドの身内や業界に向けたディスりネタは、それはそれだけ仲間を信頼している証でもあって、だからこそ温かく迎えられたのだろうし、そう考えるとなかなか香ばしいものを見せられた気もする。

誰も傷つけない笑いが声高に言われはじめたのは、まだコロナ前だった。M-1でのぺこぱのブレイクがそれを決定づけだけど、それ以前のジェンダーやルッキズムの風潮が下地にあることは明らかだ。

そこからコロナに突入して、世間はさらにやさしい笑いを求める。でも、ようやくそれも収まり(といよりは常態化)、もとの活気ある生活を取り戻しましょうと、ならば笑いにも多少の毒なら入れていいじゃないかという、ウエストランドの優勝にはそういうメッセージが含まれているように感じる。

しかし冷静に考えると、元の生活を取り戻すことと、笑いに毒を取り戻すことはまったく関係ない。それはただ、笑いに毒を盛りたい側の便乗策でしかない。

審査員側にそういう意図はなく、ウエストランドの優勝はあくまで彼らの気迫と実力が引き寄せたものに違いない。ただ重なった偶然とタイミングが、奇しくも毒舌漫才の再評価に加担したのは興味深い現象である。

僕も審査員と同じ世代なので、当初は「誰も傷つけない笑い」に反発もあった。ただ不思議なことに一旦それを受け入れてしまえば、とくに窮屈を感じなくなる。というよりも、敢えて反感を買う笑いに意義を感じなくなった。

今年のM-1は、それでも抑えられない衝動をかたちにしたウエストランドと、まったく違う地平で時代の「ノリ」を写しとったヨネダ2000が目立った。

さて、今回は枕にM-1の話題を、本題にワールドカップの話題を書くつもりだったけれど、文量が丸っきり逆になった。

今回のワールドカップは開催前の下馬評を覆し、日本の予選リーグ突破で大いに盛り上がったが、僕がもっとも響いたのはスペイン戦で三苫選手が決めたライン際ギリギリのセンタリング、その際に撮られた真上からの画像だった。

三笘 ラインギリギリから決勝アシスト「脚が長くて良かった。感覚では中にあると思った」

日本もスペインもハラハラの2分半…VARが明らかにした三笘薫のクロスの「事実」

その「ギリギリぶり」が本当に髪の毛一本、ラインの外側とぴったり重なる状態だったのだ。最初その画像をみたときは単に「ホントだ!すごい!」という驚きだけだったが、なにかこの感情には驚き以上の興奮があるような気がした。

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