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<文・太田光>
夢であいましょう
木魚を打つポクポクという音と低い読経が響いている。
新しくやってきた男が式場を覗くと、大勢の弔問客の向こうに立派な祭壇があった。
経を読む坊主の後ろ姿が見える。
男は自分がどの位置に入ればいいかわからず、しばらく入り口で様子を見ることにした。
少しすると係の人が、「それではご親族の方からご焼香を」とうながした。
正座している小太りの男が隣の妻から肩を小突かれる。男は「え?」という顔で妻を見て、首を横に振る。心なしか顔が青ざめている。
咳払いをして係の人が言う。「どうぞ、ご親族の方から」。
「……早く」と妻も更にうながす。
小太りの男の額には大粒の汗が噴き出している。相変わらず首を振りながら自分のひざを指差す。
小声で「……だめ……だめ」と繰り返す。
どうやら長時間正座していて足が痺れているようだ。
読経は続いている。坊主は木魚を打ちながらエヘン! オホホン! と咳払いをしてチラと後ろを振り返り、何をしてるんだという顔をする。木魚を叩く音がどんどん大きくなる。
お経の文句が変わっていく。
「早くー焼香ーあーげーろーよーいつまで待たせんだぁーはーやーくーもたもたーすんなーふざけんなー次のー葬式ー間に合わないからー」
チーンと、りんを鳴らす。
妻が小声で「……いいから、あなた早く」。
「……わかったよ」
小太りの男は立つと、ヨロヨロっとよろけて倒れそうになり、思わず前に座っていた男性の頭を掴む。すると髪の毛が取れて男性のハゲた頭が剥き出しになる。
「あ!」
「あ!」
「す、すいません!」
カツラを取られた男性は、慌ててそれを奪い返し、頭に乗せるが位置がずれて変な髪型になってしまう。
カツラの男はムッとして小太りの男を睨み付ける。
「……すいません、すいません」小太りの男は恐縮しながら焼香台の前に進んで行き焼香をしようとするが、間違って火のついている方をつかんでしまう。
「アチ!! アチアチ!!」
前にいた坊主が振り返り、木魚を叩くバチで小太りの男の頭を叩く。
ポン! と音がする。続いて坊主は男性の股間を叩くと、チーンと音がする。
しばらくそれを繰り返す。
ポンポンポン、チーン。ポンポンポン、チーン。
「ちょっと!」小太りの男がたまらず坊主に文句を言う。「あんたいつまでやってんだよ」。
坊主はハッとして「あ、これは失礼」と言い、再び経を唱え始める。
入り口の男はそのやり取りをクククと笑いをこらえながら見つめている。
次に焼香に立ったのは、若い女だった。
若い女は泣きながら立って祭壇の前に行き、写真を見つめる。
遺影の写真は、浅黒い顔で目がギョロッとした迫力のある、どこかの社長か会長といった風情の老人だ。
女はこらえきれずに泣きながら言う。
「……あなた、嘘だと言って。あたしを残して逝くなんて……ねえ! あなた! 遺産は私にくれると言ったじゃない!……ねえ、約束したわよね……お願い、もう一度顔を見せて! 私は顔を見るまで信じられない!」
若い女はそう言うと祭壇を乗り越え、棺の所まで行こうとする。
坊主が慌てて止めようとするが若い女はそれを振り払い、棺を開け、中の白装束の男のほっぺたをひっぱたきながら、「ねえ! あなた! 何とか言って!」。
坊主が「いや、ちょっと奥さん……」と止めるが、若い女は「うるさいわね!」と坊主を突き飛ばす。
ゴロゴロと祭壇を転がり落ちる坊主。
そこで別の女が祭壇に上がってくる。
「ちょっとアンタ待ちなさいよ!」
どうやら、死んだ男の本妻のようだ。
「ちょっと! 遺産をくれるって言ったってどういうことなのよ! そんなこと言ってないでしょ! アンタ誰よ!」
「この人の愛人です!」
「愛人?」
「そうです。この人、俺が死んだら財産は全部お前にやるって。あんな鬼ババみたいな女には何も残さないって……ねえ、そう言ったわよね? あなた!」
「鬼ババですって?……」
本妻が怒りに震える。
若い女は遺体になった男を何度も何度も揺り動かしてはビンタする。
「冗談じゃないわよ! ちょっとアンタ! 本当にそう言ったの? ねえ、答えなさいよ!」
今度は本妻の方が、遺体を起き上がらせて揺さぶり頬を何度もひっぱたく。
「イテっ」
遺体の男が思わず声を漏らす。
「……え? 今この人痛いって言わなかった?」
と本妻。
「確かに……」
遺体の男は小刻みに顔を横に振る。
「ちょっとお坊さん、今この人声を出したんです。もしかしたら生きてるんじゃないですか?」
「まさか、そんなことはありません」
「でも確かに今痛いって、ねえ?」と本妻が愛人に言う。
「はい。確かに。もう一度やってみましょうか?」
とビンタする。
「痛っ!」
「ほら! 痛いって!」
坊主は「本当ですねぇ。ちょっと私が試してみます」と、バチで遺体の男の頭を叩く。
ポン!
「痛えなこの野郎!」
思わず遺体の男が怒鳴る。
「あっ!」
と一同。
遺体の男は慌てて目をつむり棺に横たわる。
坊主が「今確かに話しましたな」と言い、もう一度試してみましょう。と、今度は遺体の男のほっぺたをつねる。
遺体の男、しばらくは黙って耐えているが、そのうち、「いたたたたたた!」
「うわぁぁぁ!」と驚く一同。
男はまたも慌てて目をつぶり、遺体に戻り、棺の中に横たわる。
坊主が言う。「これはまだ成仏されてないかもしれませんな」。
「そんなぁ、あなた、どうか成仏して!」本妻が涙ながらに言う。「どうすれば主人は成仏してくれるんでしょうか?」
「そうですな。じゃあ、お清めをしたほうがいいかもしれません」
坊主は遺体の上半身を起こし、「ちょっと」と、先程の小太りの男を呼び「背中をしっかり持ってて」と指示する。
小太りの男が言われたとおりに背中を持つと、坊主は山盛りの塩を持ってきて、ひとつかみすると、遺体の男の顔にめがけて投げる。瞬間、遺体の男が頭を下げると塩はもろに後ろの小太りの男に浴びせられる。
「ちょっとぉ!……ペッ……ペッ……何してるんですか!……ゲホっ……ペッ……しょっぱ……」
「いや、あなたがちゃんと押さえてないから」
と坊主。
「押さえてますよ!」
「じゃあ、もう一回、今度はちゃんと押さえててくださいよ」と塩をつかんで顔めがけて撒くと、遺体の男が再び頭をヒョイと下げる。塩は全部小太りの男に当たる。
「おい、いいかげんにしろよ!……ペッ……ペッ……ちょっとよこせ!」
と小太りの男が塩を山盛りにつかんで遺体の男の顔に押しつける。
「ふぐっ……ふぐぐぐぅ……」
塩に顔を埋められてもがき、たまらず顔を逃し「ペッ、ペッ……ゲホゲホ……く、苦しいじゃねえかバカヤロウ!」
「え?」
「え?」
驚く坊主と小太りの男。
遺体の男は「あっ」と言い慌てて目をつぶりカクンと頭を垂れる。
本妻や愛人を含めた弔問客達が、顔を見合わせて、「やっぱりまだ浮かばれないんだ」と言い合い、「これはちゃんと綺麗にしてあげなきゃ」と言い、遺体を起こしバケツにぞうきんやブラシを持ってきて、洗剤を付けて遺体の男の顔を皆でゴシゴシと洗い始める。
遺体の男は必死に目をつぶって耐えているが、泡だらけになったり、水を派手にかけられたりしている。
新しくやってきて入り口でやり取りをジッと見ていた男は、肩を揺らして笑っている。
洗剤で男を洗う一連のやり取りは、男が子供の頃から見てきた往年の動きだ。
まさか、生でこうして観られるなんて。
ふと、座っている弔問客の末席を見る。
そこにいたのは、鼻と頬が赤い老人だ。
「し、師匠!」
男は思わず声を出した。鼻と頬を赤くした老人は、まさしく男が師匠と呼んでいた懐かしい人だった。
「師匠!」と、もう一度叫ぶ。
老人は男を見て「しっ!」と、言った。
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投稿者プロフィール
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太田光(おおた・ひかり)●1965年埼玉県生まれ。中でも文芸や映画、政治に造詣が深く、本人名義で『マボロシの鳥』(新潮社)などの小説も発表。
田中裕二(たなか・ゆうじ)●1965年東京都生まれ。草野球チームを結成したり、『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)などで披露する競馬予想で高額馬券を的中したりと、幅広い趣味を持つ。
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